隙間の出来事・16
「それじゃ、黒檀くん、長い間付き合ってくれてありがとね」
「いいや、あんたの役に立ててよかったと思ってるよ」
からからと若干オーバーリアクションで笑い声を立てるグリューシナにそう答えながら、エベーヌスは若干の寂しさを覚えた。
少しの間笑っていたグリューシナは、ほんのりと名残惜しさを見せながらも、次の旅行先であるブルー・バードへ向かうために国家間転送依頼をするために転送施設に向かっていく。その軽やかな後ろ姿を見送って、エベーヌスは一つため息をついた。
エベーヌスがグリューシナを知ったのは、彼が旅行記ブログを始めてさほど経っていないころだった。
幼少期は病弱だったエベーヌスは、本を読むかゲームをするかくらいしかやることがなかった。そのゲームも、課金が必要なオンラインゲームは許可されず、買い切りゲームか課金の必要ないフリーゲーム、あとはPCやスマホを使わない、いわゆるコンシューマゲームだけが許された。
学校にも碌に通うことができずに部屋と病室を往復していたため、友人もおらず一人で過ごすことが多かった当時、一番気になっていたのはフルダイブ式VRゲームだった。意識だけで操作をするというそのシステムは、病弱なエベーヌスにとってあこがれの的だったが、まだまだ新規技術であったソレを両親が許すことはなかった。
外も碌に歩けない、でも、フルダイブ式なら。あこがれは消えることがなく、両親を説得する材料を探すためにネットサーフィンを繰り返していた時に見つけたのが、「グリューシナのVR旅行記」という旅行ブログだった。
最初はてっきりフルダイブ式じゃない方のVRなのかと思ったが、ブログを見れば今話題のフルダイブ式VRMMORPGの世界を旅行しているというなかなか類を見ない内容で、これはいいとまだまだ少ない記事を読み始めた。
読み始めたとたん、エベーヌスは夢中になった。ほかのフルダイブ式のブログでは、モンスターのことや戦闘の仕方、どこがおいしい狩場かといった攻略情報ばかりが載っているのに、グリューシナという人物が書いているブログは、そんなものは一切なく、ひたすらブログ主がきれいだと思った景色、目を引くオブジェクト、ほっとするような雑踏の様子、NPCからきいた世界観や歴史の説明。
ゲームを攻略するのではなく、ゲームの世界を楽しんでいるブログは、エベーヌスの心をつかんだ。夢中になって読みふけり、更新を心待ちにするようになったのはそう経たないうちだった。
エベーヌスが夢中になっているということもあり両親もグリューシナのVR旅行記を読み出し、こんな遊び方ならいいかもしれないね、と両親の意見が変わったのはVR旅行記が始まって一年くらいの頃だった。
それまでの間に、エベーヌスはほそぼそとブログ記事にコメントを残し、それをみたグリューシナから返信があって……と交流を続け、ブログを飛び出してメールでやり取りをすることになり、初回のフルダイブ式VRへログインする際のお目付け役……ようは保護者をしてもらうというやり取りが両親とグリューシナの間で交わされ。
そうして訪れたフルダイブ式VRMMOの世界で、その人はエベーヌスを笑顔で迎えてくれた。
『ようこそ、フルダイブ式の美しい世界へ』
ゲーム内の時間がちょうど夕暮れだったからか、その人は夕日を背負っていた。ブログに載せられていた写真からもアバターの顔はわかっていたが、十以上違う割に結構な童顔で、結構整った柔和な顔立ちがエベーヌスに笑顔を向けてくる。
きれいな藤色の髪が夕日で赤く焼けてマゼンタのように染まっている。元々格闘技をやっていたということで武器を使用せず拳で戦闘もこなすと言っていた、手甲に包まれた差し出された手のひら。
伸ばされた手を取ろうとして、エベーヌスは一瞬躊躇したが、そのまま手を取った。
そのまま連れまわされた世界は情報が多すぎて混乱したが、とても楽しかった。
「……はぁ、トレディシェンはめんどくさいっつってたからブルー・バードで終わりか」
早いことだとため息をつきながら今後に思いをはせる。
あまりにもグリューシナのテンションが高い状態が続ている所為で、想像以上に速い速度で世界の旅行が進んでいる。最近また残業続きだと言いつつ、ほぼ毎日ログインしてきているグリューシナの現状には少々の不安がこみあげた。
「……とりあえずどめか桜にでも通報しておくか」
おそらくイリアンサとナルツィアも感じているであろう違和感を、何気にリアルでも知り合い(前者は押しかけ弟子を名乗っているが)の二人に通報しておくことを決め、エベーヌスは未完了任務一覧を見る。
おそらく残り一か国の旅行中には進まないだろう複数の世界の謎に迫る「国家任務群」を見ながら、久しぶりに旅行記は休みかなと考えながら、さっきそっと撮影しておいたグリューシナが笑っている大量のスクショをいつものギルドチャット欄に大量投下を開始した。




