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第3話 馬車に乗って

目を覚ますと、夜だった。


それほど時間は経っていないのだろうか。


頭には濡れたタオルが乗せられていて、少し離れたところには暖かな暖炉が見えた。


ざらざらとした布団は古びていて、ところどころ傷んでいる。


それでも、今はこれだけで十分ありがたい。


あの男はどこへ行ったんだろう?


とりあえず、歩けるか試してみよう。


私はゆっくりと手を持ち上げた。


少し乾燥した手。指先を動かしてみる。


……どれくらい眠っていたんだろう。


身体を起こそうとすると、急に視界が揺れた。


あ、無理だ。


私は再びベッドにぼすんと倒れ込んだ。


どの体勢が一番楽だろう。


少し横を向くと、視界の端に一枚の写真が映った。


あの男と、妹が一緒に写っている写真だった。


私はしばらく、その写真を眺めていた。


――楽しかった?


あの子に、最後にそう尋ねてみたかった。


こんなことを誰かに尋ねたことはなかったから、少し気になった。


けれど、きっと楽しかったのだろう。


写真に写る二人の表情が、そう物語っていた。


ふと視線を天井へ向ける。


天井には、古びた電灯が一つ、今にも落ちてきそうな様子でぶら下がっていた。


ゆらゆらと揺れるそれを眺めていると――


ドンドン!


階段を誰かが駆け上がってくる音がした。


ギィィィ……。


扉がゆっくりと開く。


入ってきたのは、あの男だった。


男は私の姿を確認すると、すぐに近づいてきた。そして、私の額にそっと手を当てる。


「おい」


少し低い声だった。


「意識が戻ったのか?」


心配そうな目をしていた。


……こんな私を助けてくれたんだ。


「世話になったね。ありがとう」


私がそう言うと、男は一瞬だけ動きを止めた。


「別に」


ぶっきらぼうな返事だった。


けれど、口元にはほんの少し笑みが浮かんでいた。


男は照れくさかったのか、そそくさと暖炉の方へ向かい、必要もないのに火の様子を確認し始めた。


「お前、自分が三日も倒れていたって分かってるのか?」


「……え?」


三日?


私は驚いて、慌てて身体を起こした。


しかし、次の瞬間には視界がぐらりと揺れた。


「うっ……!」


倒れそうになった私を、男が素早く支える。


そのままベッドへ押し戻され、男は私のすぐそばに腕をついた。


「病人なんだから、おとなしく寝てろ」


目の前には、相変わらず冷たい瞳があった。


「昔から、病気で寝込んだことなんてなかったんだけどな」


「それを自慢してるのか?」


「これは随分と借りを作ってしまったね。何か欲しいものはある?」


私は男を見つめた。


「この身でできることなら、できる限り応えてあげるよ。恩は返さないとね」


――今回が最後だから。


心の中で、そう付け加えた。


「いらない。病人からまで何かをもらうつもりはない」


「そう……?」


なかなか頑固な奴だ。


男はしばらく私を見つめていたが、やがて何かを思い出したように口を開いた。


「ああ、それと」


そして、少し顔を背ける。


「お前、自分を守ってくれる人間が必要だって言ってただろ?」


私は黙って彼を見つめた。


「どこまで行くつもりなんだ?」


「……」


「お前は、どこかに縛られるのが嫌なんだろ?」


男は私に顔を向けないまま尋ねた。


性格も頑固そうだし、誰かの言うことを素直に聞くようなタイプには見えない。


「そうだね。無理にとは言わないよ」


「……そうか」


私は少し考えてから、口を開いた。


「だったら、あなたが望む日まで私を守ってくれない?」


「は?」


「あなたがもう嫌だと思ったら、その日に去ってくれて構わないよ」


「おい、お前……」


男が振り返った。


少し驚いたような顔をしている。


いつも冷たくて、怒っていて、どこか泣きそうな顔ばかりしていた男が、こんな表情もするんだ。


……まだ子供なんだな。


「私の条件はこれだけだけど」


私は彼を見つめた。


「受け入れてくれる?」


男はしばらく黙っていた。


そして、静かに頷いた。


よし。


それなら、あと一つ。


「ねえ、坊や。名前は?」


「は? 俺?」


「そう。あなたのこと。まだ幼く見えるけど、何歳なの?」


「……覚えてない」


「は? 自分の年齢も分からないの?」


私は少し呆れたように彼を見た。


「じゃあ、名前は?」


「……」


「どうしたの?」


「俺には名前なんてない」


その言葉に、少しだけ沈黙が流れた。


名前がない、か。


私は彼の顔をじっと見つめた。


私を守ってくれる対価として、お金を渡すには足りないし……。


それなら。


「名前はどう?」


「名前?」


「そう。あなたの名前」


私は手を伸ばし、彼の頬にそっと触れた。


そして、少しだけこちらへ引き寄せる。


「あなたは、なんだか悲しみをたくさん抱えていそうだから」


少し考えてから、私は告げた。


「ハヤト。あなたはハヤトだよ」


彼は何も言わなかった。


ただ、じっと私を見つめていた。


「まだ少し物足りない名前かもしれないけど……」


まぶたが、だんだんと重くなっていく。


「心配しないで。いつかきっと……」


「おい」


返事はなかった。


「おい、寝るな!」


……何を言ってるんだろう。


もう少しだけ寝かせてほしい。


「どういう意味だよ!!」


こうして、その夜は終わった。


三日後

私たちは馬車に乗って移動していた。


魔物たちが暴れ始めたせいで、当初向かう予定だった村への道が塞がれてしまった。


結局、目的地を変更するしかなかった。


ひとまず、この地域に滞在することにした。


馬車の中は静かだった。


ハヤトは時折、ちらちらとこちらを窺っていた。まだ私の体調が万全ではないと思っているらしい。


「少し休んだら?」


「俺は護衛だぞ」


「知ってるよ」


「じゃあ、俺が休んだら誰が見張りをするんだ?」


「一人で見張るつもりなの?」


私は少し呆れたように彼を見つめた。


ハヤトは当然だと言わんばかりに頷いた。


「俺は鼻が利くんだ。だから俺を信じろ」


その表情には、微塵の迷いもなかった。


そんな彼の様子を見ていると、なぜか安心した。


本当に変な奴だ。


まだ身体もまともに回復していないくせに、よくそんなに平然としていられるものだ。


……まあ、わざわざ口にする必要もないか。


馬車は日が暮れるまで走り続けた。


それなりに高い金を払った馬車だけあって、乗り心地は悪くなかった。おかげで長時間移動していたにもかかわらず、身体への負担もそれほど大きくなかった。


私たちが向かっている場所は……


オルデン。


村と村の間に国境が引かれており、比較的自由に行き来できる地域だった。


そして、そこには次の目的があった。


まだ、やらなければならないことが残っている。


馬車はゆっくりと、夜の闇の中を進んでいった。

何日か投稿できませんでしたね。

今回は定期的に投稿していく予定です!^^

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