53話 月の光も届かぬ場所で
出発の順番は、各グループのじゃんけんで決められた。
最初に出るのが、エージと氷雨。その次が一輝と名取。俺たちは最後になった。
エージはやや緊張した面持ちで、氷雨と並んでいる。あのガチガチ具合なら、なにかやらかすことはないだろう。氷雨も、普通に話せているみたいだし。
「じゃ、じゃあ、行ってくるっす」
最初の二人が出て、五分はすぐに経つ。
「じゃーなテツ、小日向。また後で」
「おーう」
「いってらー」
ルートは、森を通ってキャンプ場の別の場所に出るところまで一周。普通に歩けば十五分ほどの、軽い散策路らしいけど。今は夜だし、下手すれば三十分くらいかかるのか?
暗いよな……絶対。
まあ、変な話がある場所じゃないし。暗いだけだから、オカルト的な? そういうのは無縁だしな。問題ない問題ない。
スマホの時計で時間を見ながら、出発のときを待つ。
どうせなら一番最初がよかった。最後ってことは、終わるのも一番遅いってことだ。
「テツくんは、怖いの大丈夫な人?」
「よ、余裕だけど? そういう小日向はどうなんだよ」
「怖いけど、好きっていうタイプかな。えへへ」
「怖いのに好き?」
「うん。けっこうビビりだけど、楽しいよね。ホラーとか」
やっべえ一ミリも理解できねえ。
これはあれか? お化け屋敷に入って絶叫して号泣して、なのになぜか「楽しかったー」って言ってるあの人種ってことなのか? 小日向! お前が!?
どうなんだろう。ちょっと聞いてみるか。
「あなたは絶叫マシンが好きですか?」
「おっ、大好物だよ~。テツくんは?」
「ま、まあ。人並みには」
人並みには怖いけど。
「そっか。じゃあ、今度行く? 遊園地」
「…………タイミングが合えば」
まさかジェットコースターが怖くて仕方がない。とは言えず、妙な流れになってしまう。
「よーし。じゃあ、ちょっと頑張って宿題やろっかな。オフはまだ余ってるから」
真面目に考える小日向。
うーん。えーっと。まあ、いいか。どうせ当日は俺以外にもいる。他のメンバーで楽しんでもらって、俺はしれっとヤバそうなのを避けるとしよう。
ちっちゃいジェットコースターなら、ギリギリ乗れるし。
「そろそろ行こっか」
「もうそんな時間か」
スマホを確認して、ポケットにしまう。
懐中電灯の明かりを頼りに、真っ暗な林道へ足を踏み入れた。
暗闇を恐怖するのは、人間の本能だ。人間は巨大な脳を獲得する代わりに、五感の機能はそれほど優れていない。多くの動物に比べて、劣っていることのほうが多い。
ゆえに昼行性。日が昇っている最中に物事を済ませ、日が落ちれば眠りにつく。
現代社会では、夜行性の人が増えているものの……進化によって選別された性質は、数百年で変わるものではない。
だから怖い。
当然だ。人間っていうものが、暗いところを怖がるようにできているのだから。
だからさ。俺がちょっとビビってるのは、仕方がないことだ。特別怖がりだから。とかじゃない。正当な理由がある。
「け、けっこう雰囲気あるね」
「だ、だな。なんか、もっとちょろい感じかと思ったんだけど」
上を見上げても、星すら見えない。月の光さえ、ここまで届かない。生い茂った木々によって遮られているからだ。
木々がカサカサと音を立てるのも、あまり心臓に良くない。
「前のグループ、全然見えないな」
「見えないね。みんな、平気だったのかな」
「あいつら……心臓強そうだけど。どうなんだろ」
先に行った四人は、誰をピックアップしても平気そうな雰囲気だった。
小日向もそうだったんだけど……想像以上にビビっている。それでホラー好きってマジ? 女心はよくわからん。
「でも、お化けとかは出なそうだし、大丈夫そうか――な」
それまでどうにか歩き続けていた小日向の足が、不意に止まった。
ピタリと。電源の切れた機械みたいに。
彼女の持つ懐中電灯、その明かりが示す先には、一体のお地蔵様があった。ライトの当たり方で、不気味な雰囲気になっている。
「テツくん」
「お、おう」
「大丈夫じゃないかも……!」
「まじか」
小日向は、ふるふると震える目を向けてくる。若干涙目だ。そんなに怖いか。
いや、怖いけど。怖いことは怖いけど、
「ホラーは好きなんだよな」
「映画は偽物だから楽しいんだねって、思いました」
「なるほど」
実際に体験しているほうが耐えられない、ってことか。
俺なんかは、ホラー映画の映像に耐えられないタイプだけど。小日向は、偽物として扱っている。自分の安全を理解しているってことか。
俺は意外と、お地蔵様は大丈夫だな。ずっと見てると不気味だから、ちょっと目は逸らすけど。
「歩けるか?」
「なんとかね」
弱々しく笑って、小日向は俺の後ろをついてくる。
ペースは明らかに、さっきよりも遅くなっていた。しばらく経って、小日向が小さな声でお願いしてくる。
「あの、テツくん。……手、繋いでもらっていい?」
「手?」
「そう、手」
申し訳なさそうに、右手を伸ばす小日向。視線もさまよっている。相当怖いのだろう。暗くて、表情はよく見えないけど。不安なのは伝わってくる。
「――……いいぞ。ほら、大丈夫か」
小さな手を握ると、冷たかった。細い指がぴくっと動いて、ちょうどいい場所に滑り込む。気持ちしっかり繋ぐと、同じ強さで握り返してくる。
「ありがと」
「歩けそうか?」
「うん。――テツくんは、頼りになるね」
「ま、まあな。お化けとか、そういうオカルトは信じてないし」
「そうなの?」
きょとんとした顔……はよく見えないけど、声だ。暗闇の中でも、彼女の声ははっきり届く。感情を百パーセント載せたままで。
「信じる根拠がない」
「でも、いるかもしれないよ?」
「なんで怖いのにそういうこと言うんだよ」
「しまった」
しまったしまった。と言ってから、なぜか小さく笑う小日向。
「手、繋いだらあんまり気にならなくなっちゃった。変だね、あたし」
「……もう怖くないのか?」
「怖いよ。怖いけど、平気。だってテツくんなら、お化けもやっつけてくれそうだし」
「過信なんだよなぁ」
塩もお札も持ってないし。
「寺生まれだったりしない?」
「そんな強い個性あったらもっと有名になってるだろ」
「じゃあ、テツくんはなに生まれ?」
「五月生まれ」
「知ってるよ。五月二十日でしょ」
「覚えてたんだな」
「もちろん。じゃなくて、なんかはぐらかされてる!?」
「ははっ。ところで小日向、あっちにお地蔵様が五体並んでるぞ」
「ええっ!?」
驚いた拍子に、がしっと左腕にしがみついてくる。
「ど、どこ……?」
「ごめん。嘘」
「て、テツくんの意地悪ぅ」
へなへなと崩れそうになりながら、辛うじて立ったまま。それと一緒に腕からも引いていく。手は放さないまま。
「ほら、行くぞ」
手を引いて歩き出す。
いろいろなことを隠したままで。月すらも見ていない道を行く。
散策路が終わったのは、たっぷり30分後のことだった。
次話予告 エージ・氷雨ペア