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旅の終わり

魔王は勇者によって討たれた。その報はたちまちに世界を駆け巡った。毎夜昇る朱い月、それが清浄なる輝きを取り戻し、魔物たちも急速にその活動を収束させている。それが何よりの証左である。

 そう。人類は間違いなく救われたのである。――勇者の手によって。


「魔王という脅威が排除された。それはよろしい。ですが果たしてそれにより我が王国は安寧となるのでしょうか?いや、それはない!なぜならば、あの勇者という存在は極めて。き、わ、め、て危険な存在であるからです!」


 唾を散らし、顔を真っ赤にしながら主張する騎士団長。普段は温厚にして誇り高く騎士団を直卒する彼の剣幕に王国の家臣団は困惑する。しかし彼ほどの人物がそう語るのであればそうなのであろう。何より、彼の後ろ盾である王弟が無言でその言を支持している。そして大臣までもがそれに同調する。


 まあ、実際問題として国家の制御を受け付けようとしない武力――それも規格外の――なぞ害悪にしかならんわなと王子は内心呟く。

 そして、魔王という純然たる脅威がなくなった今、騎士団はその影響力を減退させていくであろう。その焦りも理解できるというものである。あるのだが。


「くだらん」


 ぼそり、と王子が呟く言葉は騎士団長の怒号と言っていい言葉の羅列に遮られて誰の耳にも入らない。

 なんとも滑稽で、やるせないことよと王子は嘆息する。国家の論理に巻き込まれることなく、願わくばこのまま勇者が行方知れずになってくれればいいのだが。などと考えていたのであるが。


 ドゴォ!という轟音が響く。なんだ?とその場にいた全員が思うと同時に。


「王子君!魔王、倒してきたよー!」


 ――阿呆が壁をぶち抜いて現れた。せめて扉から入ってこい。思わず天を仰ぐ王子の想いを知ってか知らずか。甲高くも能天気な声が場を支配する。



「えー?だからね。王子君から預かってたこの伝家の宝刀がなかったら危なかったなー。これはもう、実質魔王を倒したのは王子君ってことでいいんじゃないかな」


 けらけらと、或いはえへへと楽しそうに顛末を語る勇者に王子は内心頭を抱える。


「で、では、魔王は、その剣があればなんとかなったと?」


 自失からいち早く立ち直り、勇者の相手をしようとしている大臣。王子は同情を禁じ得ない。彼らが描いていたシナリオ――勇者の欠席裁判――は壁とともに崩れ落ちたのだからして。


「あー、それはないねー。十万とか百万の兵卒。それを一呼吸で殲滅して、その死を自分の力に帰するような存在だったから。少数精鋭で当たるべし。王子君が私に言った通りだね!」


「俄かには信じられんな。貴様、盛りすぎではないか?」


 大臣が吐いたその言葉に空気は凍りついていく。物理的に。


「そう?今から百万の兵卒揃えてみて?瞬き一つあれば殲滅できるよ?炎熱?氷雪?それとも物理?ああ、物理はいけないね。死臭ってほんとにくさいもの。人って本当に糞袋だよね。ああ、煉獄やら烈火も駄目だなあ。うん、ここは穏やかに氷の棺が穏当だろうなぁ。

 あ、でも周辺の農作地が影響あるから、どっかの沙漠がその演習に相応しいかなあ。でもきっとその氷で沙漠が湿地になっちゃいそうだなあ。まあいいか。たいしたことじゃあないよね。

 さあ、始めよう。今すぐ始めよう。気にしないでね、単なる模擬戦。いずれあった魔王との正面血戦に比べたらなんのこともないよ。いや。兵卒を殺っても分からないかな?だったら自慢のつよーい護衛がいるこの場で氷漬けにした方がいいか・・・。それが一等、分かり易い、か、な・・・?」


 くすくすくす。


 笑いながら、氷雪を纏いつつある勇者。キン、と涼やかな音を立てて空気中の水分が氷結する音が響く。ダイヤモンドダストが彼女の周りを舞い、いっそ幻想的ですらある。


「阿呆が」


 只一人その場で平静を保っていた人物――王子――がべしり、と脳天に手刀を加える。


「ひゃ?王子君――?」


「――阿呆が」


 わしゃわしゃと頭を撫でくり回して。


「だが、よくやった。ご苦労」


 その言葉に勇者はにへら、と笑う。ふにゃりと緩む表情とともに冷気も霧散していき、室内にほっとした空気が流れる。


「うん、頑張ったよ!他ならぬ王子君のお願いだったもの!がんばったよ!」


 えへへーと王子にすり寄る勇者。その緩む顔に反比例して周囲の自失から立ち直った重臣たちは苦虫を噛み潰す。


「どうです、かな。この、勇者という存在は極めて不遜にして不安定。いささか・・・問題がありすぎはしませんかな?」


 騎士団長が発した声に幾条もの賛意が寄せられる。是、と。

 その空気に満足したのか王弟が口を開く。


「過ぎたるは及ばざるが如し。先人の言葉、実に尊い。

 魔王が討たれた今、勇者の武は周辺国家から警戒を受けるだろう。悲しいことに。

 制御の効かない力ほど恐ろしいものはないからな」


 騎士団長が賛同し、言葉を紡ぐ。


「然り、然り。ですがその危険人物。幸いにも王子殿がその制御できるというのはまっこと幸い――」


 ち、と王子は舌打ちをする。勇者が重臣一同に威圧をかけたのも不味かった。地位の高さとプライドは概ね比例するものであるし、彼らは揃って執念深いときた。

 だから王子には王弟がどう場を導くかも読めていた。そして内心呟く。

 下衆が、と。


「魔王。その脅威。それを単身討ち果たすだけの力を持っている勇者。しかしてその人格には大いに問題がある。いつ同朋に牙を剥くか分かったものではない、と危惧を覚えるほどにな。

 王子よ。勇者に命じよ。自害を」


 ざわ、とする空気など気にも留めずに王弟は言葉を続ける。


「貴様も王族よ、分かっているのだろう?そこな小娘の危険性が。

 まさか否とは言わんだろう?」


 空気が張り詰める。ニヤリ、としながらも王国の軍権を掌握する王弟の気迫は場を支配し、王子に圧し掛かる。

 無言。静寂。大時計の秒針の音が無機質に刻を重ねる。その沈黙に耐えきれずに口を開いたのは勇者であった。


「あのね、王子君。私のことは気にしないで?ううん、そうじゃない、な。私のこと、忘れないでいてね?

 私は王子君のものだもの。王子君のために生きて、死ぬの。それが私の在り方、生き方。

 だから、王子君が言うなら――喜んで死ぬ、よ?」


 おお、という周囲のざわめきに舌打ちを一つ追加しながら王子は口を開く。


「お前は本当に阿呆だな」


「ふぇ?そ、そんなことないもん!わたしばかじゃないもん!」


 もお、と頬を膨らませて勇者は抗議する。その鼻頭をぺち、とはたいて王子は周囲を睨む。


「そして貴様らは更に阿呆だ。なるほど、勇者という存在なくしては人類は魔王に勝てんかっただろうさ。それを確信したとも」


 ざわ、と困惑する場の空気。それを王子は支配する。口を挟むことなど許さない。


「大体だ、勇者よ。貴様・・・。どうやったら死ぬ?」


「へ?そりゃあ……心臓を抉られたら死ぬんじゃないかな?」


「心臓再生、余裕だろう?」


 へみゅ、と勇者はしょぼくれる。


「え、えっと。首を切ったら流石に死ぬかな!」


「貴様、首から上だけで生きていけそうだよな?」


「はうー」


 下手したら下半身から頭が生え、上半身から下半身が生えそうであるという懸念については王子は口をつぐむ。


「大体、貴様の身体に危害を加えられる武具なんてそうないだろうに。

 ――叔父上!」


 やれやれ、と言った風に勇者を窘め、王子は政敵に向き合う。


「なんだね?」


「まず、です。救国の英雄に死を賜る。それが実に気に食わないと言っておきましょう。信賞必罰。あまりと言えばあまり。そのような謀略を好めば国は自壊するでしょうよ。

 なに。僭越ながら老婆心までにね。ええ、他意はないですとも」


「貴様、何が言いたい」


 それまでの余裕はどこへやら。王弟の短い言葉には隠しきれない焦燥がにじみ出ている。それを王子は複雑な思いで見やる。


「叔父上、そしてこの場にいる皆に告ぐ。貴様らが思うほどこの勇者という存在は扱いが易くはない、ぞ?」


 クク、と心底おかしそうに笑う王子に場がざわり、と。確かに勇者は御しがたいであろう。それをどう利用するのか。いや、王位を求めるであろうことは容易に想像できる。

 王弟が次期国王として優位に立っているのは王位継承権の席次だけではない。騎士団という武力を握っているからなのだ。それを歯牙にもかけない勇者という駒を握る。それはすなわち――。


 場のざわめきを無視して王子は勇者に傲然と言い放つ。


「勇者よ、俺のものになれ」


「うん!」


 間髪入れずに勇者は応える。心底嬉しげに。


「うん、私は身も心も、王子君のものだよ!」


 うっとりとしている勇者を尻目に王子は面白くもなさそうに言葉を続ける。それはその場の誰も予想しえないものであった。


「勇者の制御、俺がしようとも。ああ、叔父上、安心してくれ。

 ――俺は王位継承権を放棄するのでな」


 てっきり勇者の武威を背景に王位を要求してくるものと思っていた王弟は目を白黒させる。


「なん、だと――?」


「追ってくれるなよ?こいつの暴発を抑えるのは俺とて手間なのだからな?

 国土を全て焦土にする覚悟があるなら話は別だがな。安心しろ。金輪際この国には近づかんよ。

 山奥に隠れ住むか、新たな土地で国を築くか。いずれにしてももはやこの国とは関わらんさ――」


 淡々と述べる王子の表情を勇者は見ることができなかった。




「よかったの?私がちょっと本気になったら王子君がこの世を支配できたのに」


「阿呆が。絶対的な暴力に裏付けされた権力なぞな。魔王の侵略と変わらんわボケ」


「へぅ、ごめんなさい」


「謝る必要はない。あれはあれでよかったのさ」


「そうなの?」


「そうともさ」


「王子君――」


 その言葉に、ぺちりと頭をはたく。


「阿呆が。俺はもう、王子じゃない。そして、お前も――」


 そう、二人は、ただの男と女になったのである。


「うん!やっぱり私は、だーいすき!だよ!」


「――阿呆が」


 肩書なんてない、ただの、男女に。


ありがとうございました。

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