誘いの手紙と善意
封筒を受け取った瞬間、指先に“微かな甘さ”が触れた。
(……誘いの術式……)
アルフォンスも、静かに頷いた。
「開ける前から分かる…“意図”が滲み出ているな」
イーサンは横で、静かに私を守るように立っている。
「クララ様。恐れず、ゆっくりで」
私は深呼吸し、慎重に封を切った。
紙がめくれる瞬間、ふわりと甘い香りが立ち上がる。
(……濃い…昨日より…)
文字は丁寧で、優しげで、まるで“優しい婚約者”のように柔らかい。
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『クララ様へ
昨日はお話できて嬉しく思っております。
もしよろしければ、本日の午後、“庭園の温室”で少しお話しできないでしょうか。
お父様、お母様にもご挨拶をしたく存じます。
どうか、ご無理のない範囲で。』
——エリオット
⸻
(……温室)
ローレンス邸の庭の奥。
家族の気配が薄れ、人目が届きにくい場所。
背中が冷たくなる。
「……クララ、それ…なにかしら?」
母の声が廊下から聞こえた。
(……来た!)
イーサンの灰色が私の横でぴたりと立つ。
私は慌てて手紙を折りたたもうとしたがアルフォンスが、
「見せなさい」
と小声で指示した。
私は震える指で母へ手紙を差し出した。
母セリーヌは一読すると、ふわりと明るい桃色を揺らした。
「まあ…素敵ではないの。クララ、行ってらっしゃいな?」
兄エレンも覗き込み、にこやかに言う。
「昨日もすごく心配してくださってただろ?本当に礼儀正しい人なんだな。母さんも一緒に挨拶すればいいんじゃないか?」
(…色がにじんでるせいで…読めない…でも、これは…)
アルフォンスが裏で眉をひそめる。
イーサンは家族の揺らぎを観察し、私へ小声で言う。
「クララ様、ご家族に悪意はありません。…ですが、術の影響で誘導していると思われます。」
私の胸が痛くなる。
(家族が…エリオットに…操られかけている……)
兄が明るく言った。
「行ってきなよ、クララ。あの温室なら安全だし。それに、エリオット様が母さんに挨拶したいならちゃんと応えるべきだよ」
“善意で送り出そうとしている”
それが一番つらかった。
⸻
母が私に優しく言う。
「ねえクララ。大丈夫よ?イーサンがついていてくれるでしょう?」
イーサンは丁寧に頭を下げた。
「もちろんでございます。クララ様から離れることはございません」
その灰色には、強い青が混じっていた。
アルフォンスが一歩前へ出る。
「奥様、ローレンス卿。私も“温室の点検”がございます、ご不安なら同行いたしましょう。」
母は嬉しそうに頷いた。
「まあ、それは心強いわ、良かったわね!」
(……よかった…家族は完全に術にかかっているわけじゃない…ただ…判断が曇っているだけ……)
イーサンが私の横で囁く。
「クララ様。呼吸を整えて。“演技”が必要なのは…今です」
(…そうだ…私は“誘いに惑わされたふり”をする……)
胸の奥がぎゅっと掴まれる。
怖い。
足がすこし震える。
でも。
逃げない。
私はゆっくりと母へ向き直り、稽古した“焦点の緩み”を作りながら言った。
「……行ってみる…少しだけ」
母の桃色がふわりと広がった。
「ええ、クララ。無理しないでね。すぐ戻ってくるのよ?」
(……大丈夫…大丈夫…)
イーサンの青が、深く強く震える。
アルフォンスは低く呟く。
「…いよいよだ。クララ嬢、決して視線を外すな。奴は“今日”決めにくる」
私はこくりと頷き、両手をぎゅっと握りしめた。
(……金色の揺らぎが何を意味するのか確かめる。
そして…騙す。)
ローレンス家の温室へ向かう歩みは、決戦の始まりだった。




