チェスは苦手です
俺と呉葉はノックをして部屋に入った。
大広間を後にして、用意された部屋に入ると紅茶を出されて待機するように言われメイドさんが出ていった。しばらくして同じ人が呼びに来てくれて、今いる部屋に案内された。
「今は奈義沙。説明は私からするわ」
奈義沙の顔は何処か追い詰めた様に厳しい。
「色々と状況が飲み込めていないでしょうけど、まず烏のことを話そうかしら。私達魔術師には使い魔がいるわ。その姿は限られていて、猫、烏、梟、蛇に鼠と蛙と謂ったところかしら。真穂は烏を使役しているの」
それが俺達に関係あるのか?少々疑問に思うが、取り敢えず説明を受けるべきだろう。
「烏が教えてくれた事は何だったの?」
だいたいの流れ的に言ったが、どうやらそれがドンピシャだった様で、奈義沙が薄く笑った。
「私は物分かりの良い子は結構好きよ」
「そりゃどうも」
奈義沙に言われたところで全く、これっぽっちも、1ミリたりとも嬉しくないし、寧ろ嫌味に聞こえてムカつく。
「吸血鬼と共に、人間が向かっていると教えてくれたの。あれはヤバかった」
満更でも無さそうな表情が、口調よりも信憑性に繋がり背筋が震えた。
「でも奈義沙なら、空でも飛べば良かったんじゃない?」
「飛べたけど、そしたら貴方達二人を置き去りにするしかないわよ?」
何で?呉葉を担げたんだから、二人ぐらいなら持てたんじゃない?
「図々しいわね。二人も持てるわけないでしょ」
俺の考えを読んだかのような回答に、正直吃驚した。
奈義沙は仏頂面に不機嫌さをプラスさせ、長い脚を優雅に組んで座り直した。机に頬杖を付き、パチン!と指を鳴らす。すると一瞬で机にはテーブルクロスが敷かれ、細工の見事なティーセットが並んだ。紅茶とセットで一緒に出てきたのは、色とりどりの美味しそうなケーキである。
「好きに食べて良いわ。普通に食事がしたいなら用意するけど、どっちにする?」
「俺はケーキが良いけど、呉葉は?」
「僕もケーキで」
そっ。とそれだけを言って、自分のティーカップに紅茶を注ぐ。紅茶を一口飲むと、目付きが少し和らいだ。
「吸血鬼が国境内には侵入出来ないように、結界を張っていた。事実、今まで一度たりとも入られた事なんて無かった」
「けれど入られた」
「ええ」
奈義沙の言葉を呉葉が繋ぎ、それを肯定する。俺達も吸血鬼だけど、多分例外ってことで良いんだと思う。
「初めてのことで多少対応に遅れたけど、移転魔法で対処出来たと報告が上がったし、当分は安全面での危険は無いわ」
そこで疑問が生じる。今回、何故結界が破られたのか。
「十中八九人間が原因でしょうね」
奈義沙の説明によれば、人間の介入で結んだ条約が無効化されてしまったらしい。『吸血鬼のみ立ち入りを禁ずる』そういう条約らしいが、それなら人間のみ入れて吸血鬼は入れない筈だった。なのに侵入出来た。その理由はまだ判明していないが、間違いなく要因は人間にある。
「まぁ、この話は調査がはっきりした後でまた今度話すわ。それでこれからの事だけど、貴方達二人はどうしたい?私達が信用出来なくて、出て行きたいならそれでも良いけど?」
射るような目で俺達を見つめる顔は、今までに無い程真剣そのもので背筋が震えた。
「僕はまず記憶を完璧に取り戻したいかな。それから良く考えます」
奈義沙の顔がフッと緩む。呉葉はフルーツタルトを皿に取り、完全な休憩モードに移るようだ。
「安心したわ。で?紅色はどうするの?」
俺……。俺はどうするのが一番良いんだろう。
「俺は呉葉に付いて行く」
何回も考えたけど、俺は呉葉みたいに頭が良い訳でもないから、結局答えは自分がどうしたいかしかなくて、今一番自覚していることと言えばこれしかなかった。
「それは、呉葉にも迷惑を掛けると解っていて言ってるの?」
一転して奈義沙は不機嫌な顔になり、厳しく問い詰める。俺は一回大きく深呼吸して応える。
「うん、解ってるつもり。拒否されたとしても付いて行く」
フンッと鼻で嗤って一層顔をしかめた。
「私はそういの嫌いよ。自分では付いて行くと言いながら、平気で被害者面をして偽善者振る。貴方が付いて行くことに一体何のメリットがあると言うの?」
そう言われると図星過ぎて、悔しいけど言い返せる程の台詞の持ち合わせは無い。
「紅野は僕の生命線だからね。それに、紅野の事も、僕の事も、何も知らない奈義沙にとやかく言われたくない」
フルーツタルトを食べていた筈の呉葉が、沈黙に顔を上げて俺を弁護してくれた。
「道理ね」
そう言ったものの、奈義沙は俺をずっと睨んだままだ。負けじと睨み返すが、向こうは威圧感も貫禄も全然上だった。
「真穂が変わりたいみたいだから、私は昼寝でもするわ」
声にはまだ不機嫌そうな響きがあるが、それだけ言うと奈義沙は行ってしまう。力無く項垂れる頭が良い証拠だ。
「二人共お久し振りです。私はお二人のことを応援しているので」
フワリと微笑む姿は奈義沙とは対照的に、親しみと優しい印象を受ける。中身が変わるだけで、こうも受ける印象は違うのかと、何だか少し奇妙な感じがした。
真穂は、見た目通りの洗練された動作で紅茶を一口飲むと、涼しい顔で俺の心のど真ん中にとんでもない爆弾を降下させたのだ。
「で、呉葉さんと紅野さんは何処まで行ったの?」
「ゴホッ!」
飲みかけていた紅茶を激しく喉に詰まらせる。今何て言った!?
「紅野大丈夫?どうしたの」
「な、何言ってんの!!」
恥ずかし過ぎる!自分でも顔に熱が集まるのが判って余計に恥ずかしい。知り合って間もない相手にバレるとか、そんなに俺の態度は分かりやすかっただろうか。
「じゃあ紅野さんは、後で私に報告しに来て下さいね」
「お断りします!!」
性格が変わった様に思えるのは気のせいじゃない。軽蔑されるよりマシだが、他人の介入は気分が良くなく避けたい事柄だ。
真穂がフフッと品良く楽しげに笑う。綺麗である筈の笑顔は嫌な予感がした。
「呉葉さんは紅野さんのこと、好きですか?」
邪気の無く見える笑顔で問い掛ける。更に無邪気な呉葉がキョトンとした顔をして頷いた。
そのキョトンとした顔にでさえ、可愛いとキュンとしてしまう俺はどうしようもない。
「好きだよ?親友だし」
嬉しい。………………けど、何というか超複雑。
好きと言ってくれた事に関しては嬉しいが、親友という関係性が凄く微妙だ。親友認定してくれていることは嬉しいのだけど、恋人の仲になるには遥かに先か。
「良かったですね紅野さん。私は応援しますよ?」
その言葉は信じちゃいけない気がする。絶対に見て楽しんでるだけだよね?応援なんてしないよね?てか何?この人腐った人種だったの?見えないんだけど!?
心の中でツッコミを満足するまでしていると、真穂が咳払いをしたのでそちらを向く。
「一つだけ言っておきたいことがあります」
「なに?」
さっきまでの柔らかい雰囲気は消え、代わりに殺伐とした空気が漂う。真穂がただ笑顔でなくなっただけなのに、部屋の気温が3度は下がった気がした。
「貴方達は私にとって、都合の良い駒でしかありません。その事を良く念頭に置いて、これから行動なさって下さいね」
俺は寒気を覚えて息を飲む。
真穂は直ぐ様元の優し気な微笑みを浮かべた。まるで先程の殺伐とした空気は嘘だったかのように。
何よりも真穂は信じてはいけない。今しがた悟った。一番怖いのは真穂なのだと。
「はい。解りました」
呉葉がそう言ったのを聞いて、硬直が解けた感じがする。
「今日はここまでで良いわ。お休みなさい」
半ば強引に真穂から話を終わらせれて、俺達は用意された部屋へと行くしかなかった。
「さて、紅野クンに相談です」
俺達が割り当てられた部屋に連れて行かれた後、ノックも無しに俺の部屋へと入ってきた呉葉。
「夜中にどうしたの?」
時刻は既に0時を回っている。
呉葉は何も言わずに靴を脱いで、ベットにダイブする。
「何してんの」
「眠いからいつでも寝れるようにしとく」
それ俺のベットじゃないけど、俺のベットなんだけど。
「俺も寝るんだからね!?」
「お馬鹿な紅野クンは床にでも寝てよ」
とか何とか言ってるが、ちゃんと俺の寝るスペースを空けてくれてるところに呉葉の優しさを感じる。それはつまり、一緒に寝ようという…………。
「おーい紅野?大丈夫?」
これはヤバいんじゃないか?俺、寝れるかな。
「おーいてばっ!」
絶対寝れない。既に心拍数が凄い事になってるのに、隣で寝るとか無理だ。死ぬ。緊張と嬉しさで死ぬ。
「ちょっと!いい加減にしてよ」
「いはいほ(痛いよ)。ふれは(呉葉)」
「いくら馬鹿だからって、もう少し人の話を聞こうよ。それとも何?耳はお飾りで聴覚無いの?手話しようか?」
呉葉に両頬を左右に引っ張られて我に返る。心なしかイライラして見えるが、気のせいじゃないのが恐ろしい。
「で、相談」
思いっきり引っ張られてスッと放す。痛い。
「これからどうする?奈義沙も真穂も信用度に欠ける。かといって、他に頼る宛も無い」
呉葉は真剣な話をしに来たのだと、今更ながらに悟った。能天気だった自分が恥ずかしい。
「奈義沙も嫌な感じするけど、俺は真穂が何よりも怖かった。あいつだけは怖くて信じられない」
「そうだね。僕独りだったら声なんか絶対に出なかった」
思い出すだけでも寒気で鳥肌が立つ。見透かす様な冷たく暗い目。指先を少しでも動かせば、殺されるのではと思うほどの圧力と殺気立った空気に、上手く息が出来なくて押し潰されるかと思った。硬直した俺を助けてくれたのは、紛れもなく呉葉の声。とても声が出そうになかったとは考え難い、落ち着いた冷静な声だったのに。
「紅野のお陰だよ」
そう言ってフッと笑う。さっきまで、憎たらしい発言をしていたとは思えない程の優しい笑みだ。
こんなの反則だろ……!
「…………俺はここを出た方が良いと思う。いつ何されるか分からない」
「そっか。僕としては留まるべきだと思う。ここから出たとしても、野垂れ死ぬのが関の山だもん」
確かにそうかもしれないけど、直ぐ近くに恐怖があるのは些か危険すぎやしないか。
「僕に付いて来てくれるんでしょ?じゃあ一緒にいてよ」
不満が顔全面に出ていたのだろう。それを察した呉葉に先手を打たれた。
「僕は上手く誤魔化して仲良くする振りは出来るけど、紅野には無理だね」
呉葉が至極真面目な顔で言う。
「それ、貶してんの?」
「褒めてるんだよ」
完璧なまでの美しい笑顔で言う。うん。絶対に貶してるね。
「そんな顔しないでよ、褒めてるんだから。紅野は素直で良い子だと思ってる」
…………………………………………………………。
変換します。つまりそれは、表情に何でも出ちゃう単純馬鹿。だということか。
もうどうでも良いよ。呉葉と一緒にいるのは好きだけど、揶揄われるのは好きじゃない。
「解ったよ。付いていく。何処にだろうが一緒にいる」
それだけしか言ってないのに、呉葉は酷く嬉しそうに笑った。何処にその要素があったのかは俺には分からない。
「お休み紅野。明日ね」
バタンと倒れるかの如く寝っ転がる。程無くして聴こえてきた寝息に、相当疲れていたのだと気付いた。
「お休み呉葉。俺が必ず守るよ」
秀麗な顔にかかった綺麗な黒髪を、起きてしまわないよう慎重に払う。
「呉葉。月が綺麗だね」
真ん丸の満月が、煌々と輝いていた。