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婚約破棄されましたが、最強のお兄様がただでは済ませません  作者: 百鬼清風
第一部 王太子の婚約者

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第14章 不名誉な交換留学1

 マーガレットが我が家を訪ねてきたと聞いた時、私は名前を聞き間違えたのかと思った。

 お兄様と私を見かけるたび、殿下の隣から勝ち誇ったように見ていた人だ。その彼女が、わざわざアシュフォード家へ来る理由が思いつかない。


 応接室へ入ると、マーガレットはソファから立ち上がった。栗色の巻き髪には薄桃色のリボンを飾り、胸元にはいつもの薔薇のブローチを付けている。ただ、今日は殿下が一緒ではなかった。


「突然お訪ねして、申し訳ありません。マチルダ様、どうかお話を聞いていただけませんか」

「私に、ですか?」

「はい。二人だけでお願いしたいのです」


 私は入口にいた使用人を下がらせ、向かいのソファに座った。扉が閉まるまで、マーガレットは何も話さなかった。

 膝に置いたハンカチを握り、私が続きを促すのを待っている。


「それで、どのようなお話でしょう」

「殿下を、お止めいただきたいのです」


 マーガレットの頬を涙が伝った。自分のハンカチで拭っても、すぐに次の涙がこぼれる。

 殿下がまた何かしでかしたのだろうか。私達へ文句を言いに来たのなら、文句を言いたいのはこちらだ。


「エドワード殿下のことで、何かあったのですか」

「この国を出るとおっしゃるのです。私も一緒に来いと。二人で竜帝国へ行くと仰って……」

「竜帝国へ?」


 私は思わず聞き返した。

 グランデル帝国。二年前、我が国へ攻め込んできた竜人族の国だ。お兄様が戦った相手でもある。王太子である殿下が、どうしてそこへ。


「陛下のお許しは出ているのでしょうか」

「いいえ。誰にも伝えずに出ていくとおっしゃっています」

「それは、亡命するということですか」

「そうです。私と駆け落ちしようと……私は、そんなことを望んでいないのに」


 マーガレットはハンカチを両手で握ったまま、私へ身を乗り出した。


「王太子のお立場はどうなさるおつもりなのですか、とお尋ねしました。でも、そんなものは捨てればいいと。十分に金はある、後は私さえいれば構わないとおっしゃって」


 それはまた、随分と思い切ったことを。

 殿下なら、相手が喜ぶ言葉だと思って口にしたのかもしれない。けれど、目の前のマーガレットは困り果てていた。少なくとも、愛する方との駆け落ちに胸を躍らせているようには見えない。


「マーガレット様は、ご一緒するお気持ちがないのですね」

「あるわけがありません」


 あまりにも即座に言い切ったので、私は返す言葉を失った。

 マーガレットはハンカチを膝へ戻した。まだ涙の跡は残っていたが、話す声からは先ほどの頼りなさが消えている。


「私は、王太子であるエドワード殿下に期待していたのです。いずれ国王になる方だからこそ、お側にいたのです。それを自分から捨てるなんて、何を考えているのでしょう」

「殿下ご自身をお慕いしていたのではないのですか」

「何もかも捨てて付いていく気はありません。あの男には、もう愛想が尽きました」


 マーガレットの顔を見つめた。

 私の前で、そこまで言ってしまっていいのだろうか。殿下の隣で、あれほど幸せそうに振る舞っていたのに。

 だが、自分もお兄様やアシュフォード家を捨てて殿下についていっただろうかと考えると、その気持ちも理解出来た。義務感で婚約関係を続けていただけで、とてもそんなことは出来ないだろう。


「知らない国へ連れていかれて、どう暮らせというのですか。私はブラウン公爵家の娘です。駆け落ちなどして、家を捨てるつもりはありません」


 言いたいことは分かった。分かったけれど、なぜ私に頼むのだろう。

 元婚約者だから、話が出来るだろうと思われたのだろうが、あまりに無神経ではないか。

 婚約を破棄された上に、新しい恋人との揉め事まで持ち込まれるとは思わなかった。殿下が何を考えているのか、私の方が教えていただきたいくらいだ。



「そのお気持ちは、殿下に直接お伝えになるべきではありませんか」

「お話ししても、聞いてくださらないのです。私が怖がっているだけだとおっしゃって。ですから、マチルダ様から説得していただけませんか」

「私が申し上げて、殿下がお聞きになるでしょうか」

「以前は婚約者でいらしたでしょう。私より長く、お側にいらしたのですから」


 その婚約を終わらせた時、あなたも隣にいたでしょう。

 危うく口に出しかけて、私は膝の上で両手を重ねた。マーガレットは再びハンカチを頬に当てている。


「お願いです。思いとどまっていただけるなら、それでいいのです。私には、もうどうすればいいのか」


 彼女を慰める気にはなれなかった。

 それでも、王太子が竜帝国へ亡命するという話を、二人で解決してくださいと追い返すわけにはいかない。殿下は王家の方だ。国を出れば、恋人同士の揉め事では済まない。


「お話は分かりました。私から殿下を説得できるとはお約束できませんが、このままにはいたしません」

「本当ですか。ありがとうございます、マチルダ様」


 マーガレットは、ようやく安堵したように微笑んだ。

 私は玄関まで彼女を見送り、もう一度礼を言って帰っていく姿を見届けた。最後まで、私にこの頼み事をすることについての謝罪はなかった。



 マーガレットが帰った後、私はお兄様の部屋を訪ねた。

 中へ入ると、お兄様は椅子をこちらへ向け、私の顔を見て尋ねた。


「どうした。マーガレットと何かあったのか」

「あったのは、エドワード殿下との関係だそうです」


 私は、お兄様に先ほどの話を伝えた。殿下が竜帝国への亡命を計画していること。マーガレットにも同行を求めたこと。そして彼女には付いていくつもりがなく、元婚約者の私に説得を頼んできたこと。

 お兄様は途中で口を挟まず、最後まで聞いてくれた。


「殿下とお会いしてお話しするべきでしょうか。私の言葉では、お怒りになるだけかもしれませんが」

「いや。お前が会いに行く必要はない」

「ですが、放っておいて、本当に国を出てしまわれたら……」

「分かっている。万事、俺に任せろ」


 お兄様は立ち上がり、私のそばへ来てくれた。


「よく話してくれたな。お前が一人で抱えることではない」


 私は、お兄様の服の袖をそっとつかんだ。あの二人のことまで頼るのは申し訳なかったが、自分で殿下を訪ねるよりもずっと安心できた。


「よろしくお願いいたします、お兄様」

「ああ」


 お兄様は穏やかに微笑んだ。何をするつもりなのかは教えて下さらなかったけれど、私は袖を離して頷いた。

2026年09月19日は、5話アップロード予定。

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