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第1章 王太子の断罪は即否定される1

 私が通うエルデン王立魔法学園の大広間には、春の花が惜しげもなく飾られていた。

 白い百合と青いデルフィニウムの間には銀の燭台が並び、磨き上げられた床にいくつもの炎を映している。

 弦楽団の演奏は軽やかで、給仕が運ぶワインからは甘酸っぱい香りが漂っていた。


 私が入学して三週間。今夜は新入生の歓迎祝賀会だ。


 エルデン王立魔法学園に通えるのは、魔法を使える王族と貴族の子弟に限られる。教室で魔法理論と属性制御を学んだかと思えば、実技場では一対一で魔法を撃ち合うマジック・デュエル、その上、剣術も体術も礼法も身につけなければならない。武術を得意とする生徒なら、魔法を交えた決闘で腕を競うことも珍しくはなかった。


 そうして実力と家名の両方を覚えられた者には、卒業後、騎士団や宮廷、政界から声がかかる。それゆえ、歓迎祝賀会も単なる親睦の席では済まない。誰がどの家と親しくし、どんな人物として見られるか。その最初の評判が、今夜ここで決まる。


「マチルダ嬢、ご入学おめでとうございます」

「先日の魔法実技、拝見しました。六属性すべてで適性を示されたとか」

「ありがとうございます。けれど、適性と習熟は別のものです。これから先生方にご指導いただきます」


 一人ずつ顔を見て礼を返し、相手の家名と声を頭の中で結びつけていく。

 今朝、腰まで届く淡い金髪を低い位置でまとめ、真珠の髪飾りを添えてきた。

 鏡で見慣れた空色の瞳の周りを、さりげないメイクで整えた。

 こうした振る舞いも、十歳から受けてきた王太子妃教育で身につけたものだ。


 生徒達が道を空けるのは、私個人をよく知っているからではない。アシュフォード男爵家の養女、エドワード王太子の婚約者、そして全六属性を扱う一年生の秀才。マチルダ・アシュフォードという名前に付いた、そういう肩書を知っているからだ。


 本来なら、王太子妃に選ばれるような家柄ではない。

 それでも私が選ばれた理由を、周囲の生徒達は知らないだろう。


 今夜、失敗するわけにはいかない。

 王家へ迎えられる者として、後輩には安心を、先輩には敬意を示さなくてはならない。

 けれど、今夜を楽しみにしていた理由は役目だけではなかった。

 二年生の参列者の中に、お兄様がいる。


 お兄様――アーサー・アシュフォードは、壁際で二年の同級生の話を聞いていた。

 襟にかからない黒髪を右へ流し、濃紺の制服には銀の学園章以外の飾りがない。

 青灰色の目は穏やかで、背は高いのに人目を引こうとはしない。

 誰にでも礼儀正しく、学業も武術も平均。

 周囲が知るお兄様は、実直な男爵家の嫡男でしかない。


 そんな評価を聞くたびに、本当のことを言いたくなる。私には、お兄様が苦手なものなど一つも思い浮かばない。何が起きても疑わず、守ってくれる。その確信があるからこそ、慣れない学園でも私は背筋を伸ばしていられた。


 お兄様と目が合う。わずかに笑ったお兄様が、私の髪を指で示した。

 今朝、結び目が緩んでいると言って直してくれた淡青色のリボンに、そっと触れた。

 式典用の真珠の下に、いつものリボンを残してきて正解だった。


「お兄様もご覧になっているのですもの」


 小さく呟いた。

 壇上では学園長の祝辞が終わり、次は新入生代表へ進むはずだった。


「待て」


 エドワードがよく通る声を上げ、演奏が止まった。

 白地に金縁の王族用制服。その上から深紅の肩章と短いマントをまとった青年が、壇上の中央へ進み出る。

 明るい金髪を後ろへ流し、濃い青の目で会場を見渡す。生まれた時から人を従わせてきた者の自信が、その立ち姿に表れていた。

 エドワード王太子。私の婚約者であり、次代の国王となるはずの人だ。

 私へ目を向けても、いつもの儀礼的な笑みすら見せなかった。


「今宵、皆の前で明らかにすべきことがある。マチルダ・アシュフォード。君との婚約を破棄する」


 楽士の弓が弦に触れたまま止まり、給仕の盆で細いグラスがかすかに鳴った。


 言葉の意味は分かる。分かっているのに、それが自分に向けられたのだとは理解できず、瞬きすら忘れていた。聞き間違いであってほしいと願う一方で、エドワード殿下の隣に寄り添う少女が、その願いを否定していた。


 蜂蜜色を帯びた栗髪を胸元で柔らかく巻き、薄桃色の大きなリボンを結んだ小柄な少女。

 公爵令嬢マーガレット・ブラウンは、誰かに守ってほしいと訴えるように両手を胸元で組んでいた。

 涙に潤んだ榛色の目が一瞬だけ私を見て、すぐ床へ伏せられる。


「理由を、お聞かせいただけますか」


 どうにか、王太子妃候補として叩き込まれた話し方を崩さずに済んだ。


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