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アウストロメリアの炎  作者: 白月一
第四幕:虚空の英雄

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第七十九話:瓦解

 西の壁上から放たれる矢と術は絶えず敵の数を減らしている。加えて、空堀へ落ちた者、杭に腹甲を貫かれた者、投石器から放たれた岩に押し潰された者。その数はすでに数える意味を失うほどだった。

 それでも鎧人の軍勢は止まらない。先頭の“平鎧”が死ねば後続はその背を踏んで前へ出る。新たに倒れた者の上へ、さらに次の死体が重なる。

 空堀はとうに見えなくなっていた。

 “平鎧”と“ツノ持ち”の死骸。放棄された長梯子。砕かれた漆黒の塔。投げ込まれた土嚢と丸太。それらが折り重なり、城壁へ向かって傾斜する巨大な山を築いている。


「正面!まだ来るぞ!」


 壁上の将校が声を張り上げた。

 死骸の山へ、新たな“平鎧”の一団が取りつく。足場が崩れれば倒れた同族の角や脚を掴んで身体を引き上げ、矢を受けた者は途中で動きを止め、その場で次の足場となった。


「放て!」


 矢の雨が降り注ぎ、何体もの“平鎧”が射抜かれ、死骸の斜面を転がり落ちた。だが、一部は山の途中で引っかかり、その高さをさらに増していく。


「火術、用意!」


 壁上から放たれた火炎が死骸の山を舐めた。乾いた甲殻が焼け、隙間に積もった木材や土嚢の布へ火が燃え移る。黒煙が立ち昇り、登っていた“平鎧”たちを覆い隠した。

 無数の悲鳴が上がるが、それでも煙の奥から新たな影が次々と現れた。燃えている仲間を押し退け、その身体を踏み越え、城壁へ向かって登り続けている。


「いつまで続くんだ……」


 胸壁から下を見た兵士が掠れた声を漏らした。

 戦いが始まった頃、敵は遥か下にいた。弓を斜め下へ向けなければ、狙うことさえできなかった。

 今は違う。死骸の山は胸壁の真下まで迫っている。登ってくる“平鎧”の頭部が壁上からはっきりと見えた。

 槍を突き出せば届く。そして、それは敵の手も壁上へ届き始めるという意味だった。


「近づけるな!槍兵、前へ!」


 長槍が一斉に突き出され、山の頂へ立った“平鎧”の胸部を貫き、後方へ押し戻す。仰向けに倒れた身体は斜面を転がり、後続を巻き込みながら落下した。


「押し返したぞ!」


 歓声が上がりかけるが、その直後には死骸の隙間から別の腕が伸び、胸壁へ指がかかる。

 槍兵が反射的に穂先を突き下ろし、その腕を甲殻ごと貫いた。力を失った手が胸壁から離れ、死骸の山へ落ちていく。


「次が来るぞ!」


 一体を落とした場所へ、もう次の“平鎧”が登っている。

 その後ろにも、さらに次の影が続いていた。


 敵は倒せている。

 それでも戦況は悪化していた。

 外壁は依然として高く、厚く、どこにも穴は開いていない。だが、その壁を守っていた空堀も、切り立った壁面も、死骸の下へ消えつつある。

 壁は壊されていない。

 ただ、壁としての体裁を失おうとしていた。


 ○ ○ ○


 ドッゴォォォンッッ!!


 南門へ杭状に削られた丸太が打ち込まれた。

 城門の裏側を押さえていた荷車が大きく跳ね、積み上げられた土嚢が崩れ落ちる。補強材を支えていた兵士たちも衝撃に耐えきれず、まとめて地面へ倒れた。


「起こせ!次が来る前に積み直せ!」


 将校の号令を受け、兵士たちが散らばった土嚢へ駆け寄る。

 門扉の前には付近から持ち込めるだけの重量物が積み上げられていた。荷を満載した荷車、倉庫から運び出した木材、街路の敷石、使われていない投石器の部品、大小の水甕まで土を詰め込み、隙間へ押し込んでいる。

 巨大な閂へ鎖を巻きつけ、その上から新たな柱を渡す。城門が内側へ開かないよう、あらゆる物を重ねて押さえつけていた。

 それでも、打撃を受けるたびに山全体が少しずつ後方へずれている。


「構造物、後退!」


 門上の見張りから報告が上がった。

 三角屋根の構造物が杭を引き抜きながら城門から離れていく。充分な距離を取れば、再び内部の鎧人が加速し丸太を門へ打ち込む。その前に破壊しなければならない。


「術士官、構造物を狙え!」


 壁上から火炎が放たれるが、三角屋根を覆う泥と濡れた獣皮が熱を遮った。水蒸気と黒煙を上げながらも、構造物は後退を続けている。

 投石器が岩を放つも狙いは外れ、三角屋根の傍らへ落ちた。土煙とともに周囲の“平鎧”を吹き飛ばすが構造物そのものは止まらない。


「毒尾、接近!」


 新たな報告に、弓兵たちが南西へ向き直る。

 毒尾の群れが荒野を疾走していた。一団は南門へ向かうと見せかけ、途中で左右へ分かれる。その陰では長梯子を担いだ“平鎧”が外壁へ走っていた。


「弓兵は毒尾を狙え!」


「長梯子も来ています!」


「投石器は構造物から狙いを外すな!梯子は槍兵で対応しろ!」


 矢が毒尾へ放たれると、群れは即座に進路を変えた。射程の外へ逃れる個体がいる一方、数体だけは速度を上げ、死骸や土嚢で埋まりつつある空堀を飛び越えてくる。壁際へ到達した毒尾が架けられたばかりの長梯子へ取りつき、何本もの脚で横木を捉え、一息に駆け上がる。

 槍兵が梯子を押し返そうとした瞬間、毒尾は壁上へ躍り込んだ。大きな鋏が槍の柄を挟み、そのまま兵士ごと引き倒す。続けて湾曲した尾が振るわれ、起き上がろうとした兵士の首筋へ毒針を突き立てた。


「壁上に毒尾!」


 周囲の兵士が殺到するのに対し、毒尾は深追いしなかった。鋏で一人を突き飛ばし、追撃を受けるより先に胸壁を乗り越える。外壁へかかった梯子を滑り降りるようにして再び荒野へ逃れていった。

 身体を痙攣させながら倒れた兵士の側に治療士が駆け寄るが、その間にも別の場所へ長梯子が架けられていた。

 “平鎧”を迎撃すれば、毒尾が壁上へ上がる。毒尾へ兵を向ければ、長梯子が届く。

 その両方へ対処している間も、三角屋根の構造物は城門へ向けて助走を始めていた。


「来るぞぉぉ!」


 門裏の兵士たちが、補強材へ肩を押しつける。ずれた荷車を戻す時間はない。崩れた土嚢も半分しか積み直せていなかった。

 三角屋根の下で、“横ツノ”と“平鎧”が巨大な丸太を抱えたまま突進する。


 ドッゴォォォンッッ!!


 城門全体が大きく内側へ撓んだ。閂に巻きつけた鎖が張り詰め、金具の一つが弾け飛ぶ。補強材が軋み、荷車の車軸が折れた。

 門扉の中央から乾いた破砕音が響く。


「亀裂だ!」


 兵士が指した先では、最初は細い筋にすぎなかった亀裂が上下へ大きく伸びていた。硬質樹木を継ぎ合わせた板材を割り、金属板の下へ潜り込み、閂のある位置まで達している。


「塞げ!板材を当てろ!」


「もう残っていません!」


「何でもいい!持ってこい!」


 兵士たちは再び重量物を探して走り出す。

 城門の外では、杭状の丸太がゆっくりと引き抜かれていた。

 外の光が差し込む亀裂はまだ細く、人一人が通ることさえできない。

 だが、次の一撃にも耐えられると信じる者は、もう誰もいなかった。


 ○ ○ ○


 東側の水門では、濁った水面へ絶えず矢が降り注いでいた。


「正面、浮上!」


 内側にいる味方のデカポダが鋏を掲げると、防衛塔の弓兵がその示した場所へ狙いを集中させた。

 水面から敵勢デカポダの背甲が現れる。


「放て!」


 矢が甲殻を叩き、硬い音を響かせた。大半は弾かれたが甲の継ぎ目へ数本が突き刺さる。敵勢力のデカポダは身体を大きく傾け、濁った水中へ沈んでいった。


「次、上流側!」


 味方のデカポダが鋏の向きを変える。

 術士官が両腕を水面へ向け、その一帯の水を圧縮した。水面が陥没し、遅れて内側から弾ける。潜んでいた敵勢力のデカポダの甲殻が砕け、濁った体液が水中へ広がった。

 人類兵にも、できることは残されている。水面近くへ浮上した敵を弓で射る。味方のデカポダが位置を示せば、水術を集中させる。格子を潜り抜けようとする後続を一体でも多く減らし、水門へ到達する敵の数を抑える。

 だが、水底深くにいる敵へは手が届かない。泥と体液によって水は濁りきり、人間の目では敵の姿を捉えられない。闇雲に水術を放てば、すでに傷んでいる水門の基礎を自ら崩しかねなかった。


「第一格子内側に敵影!」


 すでに最初の水門は突破されていた。木芯を鉄で覆った格子そのものは、今も水路を塞いでいる。折れた箇所も、外された箇所もない。

 敵勢力のデカポダは、その下を通ったのだ。格子を支える基礎の周囲から石材を掘り起こし、水底との間に身体を潜らせられるだけの隙間を作った。


「第二格子、下方!」


 味方のデカポダが水面を叩く。

 二枚目の格子周辺から、新たな泥が噴き上がり、その奥で敵の鋏が石材を掴む。強引に引き抜かれた石が水底へ転がり、基礎の下へ黒い隙間が生まれた。


「水術、用意!」


「撃てません!基礎ごと崩れます!」


 防衛塔の将校が歯噛みする。

 格子の上部には今も敵が浮上している。弓と術によって、その数を減らすことはできる。

 しかし、水底で穴を広げている個体を狙う手段がない。敵勢力のデカポダの巨大な鋏が再び隙間から現れた。掘り起こした土砂を押し退け、身体を捻りながら第二格子の下へ潜り込んでくる。


「抜けられるぞ!」


 味方のデカポダが内側から鋏を伸ばし、格子の下を潜り抜けようとした敵の腕を挟んで必死に押し戻そうとする。敵も負けじと鋏へ力を込め、双方が水底へ脚を食い込ませながら押し合う。そこへ、さらに掘り起こされた隙間から別の敵勢力のデカポダが身体をねじ込み、二体がかりで味方のデカポダを押し返していく。


「第二格子、突破!」


 報告が防衛塔へ響く。

 防衛隊は現れた敵へ矢を浴びせた。味方のデカポダも左右から殺到し、水中へ引き戻そうと鋏を振るう。一体が背甲を砕かれ、動きを止める。別の個体は甲の継ぎ目へ矢を受け、その場で身体を丸めた。

 後続は確実に減っている。それでも、すべては止められなかった。第二格子を抜けた敵勢力のデカポダが、濁った水の中を最後の水門へ向かって進み始める。


「第三格子を守れ!」


 内側に控えていた味方のデカポダたちが、最後の格子へ集まった。数体が水底へ身体を沈め、基礎の前を塞ぐ。残る者たちは格子の隙間から鋏を伸ばし、迫る敵を待ち構えた。

 濁りの奥から敵の鋏が現れ、格子越しに待ち構えていた鋏と正面から噛み合った。


 硬い甲殻の擦れる音が水門の内側へ響く。

 王都と海を隔てるものは、もはやその一枚しか残されていなかった。

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