第七十八話:個群奮闘
ダルミンの掲げた右手が振り下ろされた。
「放て!」
幾筋もの火炎が壁上を走った。正面から斬刈へ迫るもの。左右へ分かれ、逃げ道を塞ぐもの。投石器や胸壁の上にいる個体へ向け、弧を描きながら降り注ぐもの。
斬刈は炎が届くより早く動いていた。一体が胸壁を蹴って火炎を飛び越え、別の個体は投石器の陰へ身体を滑り込ませる。左右を炎に囲まれた個体は、死体を踏み台にして頭上へ逃れた。
斬刈がいた場所を炎が通過し、壁上に散らばった死体へ燃え移る。
「一体も捉えていません!」
「構うな!攻撃を続けろ!」
ダルミンは斬刈の姿を目で追う。火術は見切られている。術士が狙いを定め、火を放つまでの僅かな動きから、斬刈は攻撃の軌道を読み取っていた。
一体の斬刈が胸壁から跳び、術士たちの頭上を越え、隊列の中央へ飛び込もうとする。
「前列、防御!」
土術によって煉瓦が隆起し、術士たちを覆うように半球状の防壁を形成した。
直後、斬刈の鎌が振り下ろされる。硬質化した峰が防壁へ激突し、鈍い音とともに亀裂が走った。二撃目が同じ場所へ叩き込まれ、煉瓦の一部が砕け散る。
斬刈は生じた穴へ第二肢を差し込み、内側にいる術士を掴もうと鋭い指を動かした。
「右側を開けろ!」
防壁の一部が崩れ、退路が生まれる。
斬刈は迷わず、開いた場所へ跳んだ。
その先には、すでにバルドの分隊が待ち構えている。
「焼け!」
左右から放たれた火炎が斬刈を挟み、甲殻へ火がまとわりつく。
斬刈は甲高い鳴き声を上げ、炎の外へ強引に飛び出した。燃える身体を壁上へ転がし、火を消そうとする。
「水を!」
斬刈の足元へ流れ込んだ水が煉瓦を濡らし、血と混ざり合う。立ち上がろうとした細い脚が滑り、斬刈の身体が再び壁上へ倒れ込んだ。
「逃がすな!」
火炎が殺到し、水に濡れた甲殻から大量の蒸気が噴き上がり、その奥で斬刈の身体が激しくのたうつ。
やがて四本の腕が煉瓦を掻く動きも止まり、火の中へ沈んだ。
「一体撃破!」
声が上がる。しかし、喜ぶ暇はない。
投石器の陰に隠れていた個体が腕木を蹴り、第一戦団へ向けて飛び出した。別の斬刈も胸壁の上を走り、反対側から接近している。
連携しているわけではない。互いの位置を確かめる様子もなく、それぞれが目の前の獲物を求めて動いている。それでも個々の速度と判断力だけで、挟み撃ちに等しい状況が生まれていた。
「左は俺の分隊で止める!」
バルドが軍杖を掲げる。
「右側は私が!」
タルガンが残る団員を率い、胸壁を走る個体へ向き直った。
斬刈は左右へ分かれた第一戦団の動きを観察し、進路を変える。右側を走っていた個体が、突然胸壁の外へ身を投げた。
落下したのではない。細長い第二肢の指を煉瓦の継ぎ目へ引っかけ、壁面へ張りついたのだ。そのまま壁上から姿を消し、第一戦団の側面へ回り込もうとする。
「壁面へ移動!」
「土壁を横へ伸ばせ!」
タルガンの号令に、胸壁の上から土の板がせり出した。
壁面を移動していた斬刈の頭上へ、煉瓦を固めた板が覆い被さる。進路を塞がれた斬刈は鎌を振るい、土壁を切り崩そうとした。
「今だ!火を落とせ!」
壁上から火炎が注ぎ込まれる。
斬刈は片方の鎌を壁へ突き立て、身体を支えながら炎を避けようとする。しかし、頭上を土壁に塞がれた状態では、左右にしか逃げ道がない。
別の術士がさらに土壁を伸ばし、片側の退路を塞ぐ。残された一方向へ斬刈が移動する。その先へ、火炎が待ち構えていた。
斬刈の身体が炎に包まれると、壁へ突き立てていた鎌が外れ、細身の身体が落下した。
壁下で待機していた“平鎧”たちが慌てて散開する。斬刈は地面へ叩きつけられながらも身体を起こし、近くにいた“平鎧”へ鎌を振るった。
「鎧人まで……」
壁上から見下ろしていた術士が呆然と呟く。
「余所を見るな!」
ダルミンの声が飛ぶ。
投石器から跳んだ斬刈が、第一戦団の目前まで迫っていた。
前列が土壁を立ち上げるが、斬刈は止まらない。二本の鎌を連続して打ち込み、一枚目の防壁を砕いた。そのまま後方へ飛び込み、火術を準備していた術士へ迫る。
「もう一枚!」
二枚目の土壁が進路を塞ぐが、斬刈は即座に壁面へ脚をかけ、その上を越えようとした。
「上に来るぞ!」
土壁の頂へ鎌がかかる。
斬刈が身体を引き上げた瞬間、水流が横から叩きつけられた。殺傷力を持つほどの水圧ではない。それでも空中にいた細身の身体を押し流すには充分だった。
斬刈の着地点がずれ、そこへ火炎が集中した。身体を捻って一筋目を躱す。補助腕を煉瓦へつき、二筋目の下へ潜り込む。三筋目は鎌を盾にして受け、甲殻を焦がしながら耐えた。だが、四筋目は避けられない。火炎が脇腹へ直撃し、斬刈の身体を投石器の支柱へ叩きつけた。
「まだ動いている!」
甲殻を焦がしながら、斬刈が立ち上がる。複眼に浮かぶ擬瞳孔が細かく動き、第一戦団の配置を捉え直した。
同じ攻撃は通用しない。先ほど水流を受けた方向を警戒し、火術を準備する団員の手元まで観察している。
「学習してやがるぞ」
バルドが軍杖を構え直した。
「なら、学び終わる前に倒す」
ダルミンは斬刈ではなく、その周囲へ視線を走らせた。
「個体を狙うな!逃げ道を焼け!土術は進路を限定、水術は火勢を制御しろ!」
第一戦団の動きが変わった。
斬刈へ直接火を放つのではない。壁上を区切るように土壁を立ち上げ、その間へ火炎を流し込む。
斬刈が火を避けて跳べば、着地点の片側に新たな土壁が生まれる。反対側へ逃れれば、別の術士が火を放つ。
炎が広がりすぎれば、水術が即座に抑え込んだ。斬刈はすべての攻撃を見切っている。それでも、逃げられる場所そのものが減っていく。一体が包囲を破ろうと、正面の土壁へ鎌を叩き込んだ。煉瓦が砕け、斬刈は開いた穴へ身体を滑り込ませた。
「かかったぞ!」
壁の向こうで待機していた術士たちが至近距離から火術を放った。炎が穴を逆流し、斬刈の全身を包み込む。後退しようにも背後には別の火炎が迫っている。
逃げ場を失った斬刈は、燃えながら土壁へ何度も鎌を振り下ろした。だが、防壁が崩れるより先に脚から力が抜け、血に濡れた煉瓦へ倒れ込んだ。
「次!」
斬刈には高い知能がある。一体が倒されれば、残る個体はその過程を見て戦い方を変える。
だが、第一戦団も同じ手を繰り返さなかった。土壁の位置、火炎を放つ方向、水流を当てる時機。そのすべてを一度ごとに変えていく。
誰かが斬刈の動きへ気づけば、声にして全員へ伝える。失敗した術の使い方を捨て、成功した方法さえ次の攻撃では組み替える。
個々に学ぶ斬刈を、第一戦団は集団全体の速さで上回っていく。
「残り三体!」
タルガンの声が飛ぶ。
追い詰められた斬刈の一体が、火炎の切れ目を抜けた。土壁を跳び越え、後衛へ向かって一直線に駆ける。
その進路上には、カリムがいた。カリムは逃げようとしなかった。握り締めていた触媒を砕き、術具を斬刈へ向ける。
「カリム!前へ出るな!」
「出ていません!」
斬刈が飛び跳ね、二本の鎌が左右へ開き、カリムの首を挟み込もうと迫った。
カリムは術具の矛先を斬刈から外し、自分の足元へ向け火を走らせた。狙いは斬刈ではない。カリムと斬刈の間を横一線に焼き払う。
斬刈は空中で身体を捻った。火炎を避けるため、着地点を強引に変える。そこへ土壁が突き上がった。斬刈の胸部が防壁へ激突し、細身の身体が仰け反る。
「今です!」
カリムの声に応じ、後衛の術士たちが火を放つ。幾筋もの炎が斬刈へ集中した。
鎌を細い身体の前で合わせ、硬質化した峰で頭部と胸部を守る。それでも炎は防ぎきれない。細い脚と補助腕が焼かれ、支えを失った身体が煉瓦へ崩れ落ちた。
止めの火炎が、その背を呑み込む。斬刈はしばらく痙攣を続け、やがて動かなくなった。
「命令は守っています」
カリムは荒い息を吐きながら、ダルミンへ訴えた。
「口答えする余裕があるなら、次に備えろ!」
「了解!」
叱声を受けながらも、カリムの口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
残る二体も長くは保たなかった。一体は逃げ道を土壁で塞がれ、四方から火術を浴びた。最後の一体は胸壁へ飛び乗り、壁外へ逃れようとしたところを水流に押し戻され、壁上へ落ちた瞬間に前列が土壁で周囲を囲み、逃げ場のない狭い空間へ火炎が注ぎ込まれた。壁の内側から鎌が何度も突き出され、煉瓦を砕いた。だが、穴が開くたびに土術を扱う者が塞ぎ直す。
やがて鎌の動きが止まった。火術が途切れ、水術によって残った炎が消される。土壁が崩されると、その内側には黒く焼け焦げた斬刈が倒れていた。
「壁面を確認!」
兵士たちに代わり、第一戦団の術士が胸壁から下を見渡す。煉瓦へ張りついている斬刈はいない。壁上にも動く個体は残されていなかった。
「敵影なし!」
その報告を受けても誰一人として歓声を上げなかった。
壁上には依然として死体が積み重なり、焼けた肉と血の臭いが満ちている。倒した斬刈の向こうには、長梯子を担いだ“平鎧”が待ち構えていた。
第一戦団が斬刈を駆逐したことで、鎧人が壁へ近づけない理由も失われた。
「隊列を組み直せ!負傷者は後方へ!水術は消火を継続!」
ダルミンの号令を受け、第一戦団が動き出す。
負傷者を支え、散乱する遺体を壁際へ寄せ、鎧人を迎え撃つための場所を確保していく。
その最中、見張り塔に背を預けたカリムは、乱れた息を整えていた。
身体強化に加え、立て続けに術を行使したことで全身が重い。俯いたまま何度か深く呼吸し、額から流れ落ちる汗を袖で拭った。
そして、ふと頭上を仰いだ。
なぜ見上げたのかは、カリム自身にも分からない。
詰まる息を何処かに吐き出したかったのか、それとも屍と血から目を逸らしたかったのか、とにかく何気なしに上に目を遣ったのだ。
「あら、ごきげんよう?」




