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アウストロメリアの炎  作者: 白月一
第四幕:虚空の英雄

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第七十六話:異形種・斬刈

 北側外壁の見張り兵が異変に気づいたとき、それらはすでに弓兵の射程を示す標識のすぐ側まで迫っていた。


「壁外に敵影!北方、距離百六十!」


 見張り台から身を乗り出し、声を張り上げる。

 鎧人でも、毒尾でもない。地表の色へ溶け込んでいた細長い影が正体を現すように次々と立ち上がっていく。

 人に似た二本の脚。その上に伸びるのは節状の関節に覆われた細身ながら筋肉質な胴体。四本腕のうち、肩口から生えた上側の一対は肘から先が長大な鎌を形作っている。刃の内側には細かな鋸歯が並び、外側の峰は鈍器のように厚く硬質化していた。さらに脇から伸びる下側の一対は細長く、先端には物を引っかけ、保持するための鋭い指が備わっている。

 体色は乾いた荒野と同じ黄褐色。個体によっては、まばらに生える草の色を写したような緑褐色を帯びている。動きを止めて地面へ身体を伏せれば、遠目から見分けることは難しい。ここまで接近を許したのは、その体色が保護色として働いたからだろう。

 頭部には、二つの大型複眼がある。複眼の奥に浮かぶ黒い偽瞳孔が動き、城壁上へ並ぶ人々を真っ直ぐに捉えた。額と複眼の脇には小さな単眼。頭髪へ紛れ込むように生えた毛状の触角が、周囲の空気を探るように絶えず揺れている。


「なんだ、あれは!?」


 見張り兵の口から、困惑した声が漏れた。

 これまで王国が記録してきた、どの異形の民とも特徴が一致しない。周囲の兵士たちも、初めて目にする姿だった。

 壁上にいたサトゥルナの戦士だけが、明らかに異なる反応を示した。

 揺れていた両櫛状の触角が硬直し、背の翅を身体へ強く畳む。まるで化け物でも目にしたかのように一歩後ずさった。


「……斬刈」


「知っているのか?」


 近くにいた将校が振り返る。

 サトゥルナは強張る顔を城壁の下へ向けたまま、緊張を滲ませた声で答えた。


「森の奥深くに棲む、怪物です」


「怪物だと?」


「奴らは森の怪物です。どんな種族でも奴らの狩場には近づかない」


「……何ができる」


「視覚と聴覚に優れ、動くものを見逃しません。瞬発力も、樹上や崖を移動する能力も高い。壁に近づけてはいけません」


 戦場で必要な情報だけを簡潔に伝える。

 だが、その声に含まれた恐怖は説明された能力以上の危険を物語っていた。


 斬刈。

 それは主に人の踏み入らない森林の奥深くに生息する、高知能の肉食型異形種。

 知能そのものは決して低くない。見たものを覚え、自ら考え、獲物に合わせて狩りの手段を変えるだけの学習能力を持っている。

 一方で、言語による意思疎通や教育、知識の継承はほとんど行われない。集落を作ることも、定住する住居を持つこともなく、樹上や岩陰を転々としながら狩猟生活を送っている。

 本来、同族で群れを作る習性さえない。互いに接近すれば激しく争い、時には一方がもう一方を捕食する。

 ほかの異形種族からも言葉を持たない野蛮な捕食者として危険視される存在だった。

 サトゥルナの戦士が、絞り出すように声を発した。


「なぜ、斬刈がこんな場所に……」


 答えを知る者はいない。

 荒野に立つ斬刈たちが、一斉に身体を低くした。細長い第二肢を地面へつき、直立した二足姿勢から前方へ大きく傾いた四足姿勢へ移行する。毛状の触角が揃って城壁側へなびいた。


「弓兵、構え!」


 将校の号令を受け、壁上へ並ぶ弓兵が矢をつがえる。

 斬刈はまだ動かない。大型複眼の中で黒い擬瞳孔だけが細かく揺れ、持ち上げられていく弓と鏃の向きを追っていた。


「引きつけろ!」


 弓弦が限界まで絞られる。

 次の瞬間、斬刈の姿が掻き消えた。


「なっ……!?」


 先ほどまで立っていた地面から土煙だけが立ち上がり、遅れて見張り兵の視界が前方へ駆ける影を捉えた。

 最初の数歩で一気に加速し、城壁との距離を削っていく。毒尾のように長時間走り続けるための速度ではない。それでも短い距離で発揮される瞬発力は、これまで見たどの異形よりも鋭かった。


「放てぇ!」


 無数の矢が空へ放たれる。

 斬刈は速度を落とさない。大型複眼に浮かぶ黒い擬瞳孔が降り注ぐ矢の軌道を追っている。一体が進路を横へずらし、矢の集中する場所から外れた。別の個体は地面を蹴り、身体を捻りながら鏃の間を抜ける。避けきれない矢は第一肢の峰を振るい、硬い音を立てて弾いた。

 それでも、すべてを防げるわけではない。一体の胸部へ複数の矢が突き刺さり、勢いのまま地面へ倒れ込む。別の個体は脚の関節を射抜かれて前のめりに転倒し、その身体へ後続の矢が降り注いだ。


「効いている!第二射、急げ!」


 弓兵が次の矢へ手を伸ばす。

 残る斬刈は、倒れた個体へ見向きもしなかった。速度を保ったまま矢の雨を抜け、空堀へ辿り着いたかと思えば、長い後脚が地面を蹴り、細身の身体が空堀を飛び越えた。着地の衝撃を第二肢で受け流すと、ほとんど速度を失わないまま城壁の直下へ到達する。


「壁際へ到達!」


「上から狙え!」


 弓兵が胸壁から身を乗り出し鏃を真下へ向けた。

 そこにいるはずの斬刈へ狙いを定めようとするが、見当たらない。


「どこへ——」


 煉瓦の継ぎ目に、鋭い指先が食い込んでいた。その上には鎌。さらに上には、人類を真っ直ぐに見据える二つの偽瞳孔。

 斬刈は、すでに弓兵の目前まで迫っていた。弓兵が身を起こすより先に長大な鎌が胸壁を越えて閃き、刃が首筋を通り抜ける。

 弓を握っていた手から力が抜け、兵士の身体が胸壁の向こうへ傾いた。


「なっ……」


 少し離れた場所にいた槍兵は、弓兵が力なく壁下へ落ちていく姿を目にした。

 何が起きたのか分からない。敵は壁の下にいたはずだ。弓兵も、つい今しがた真下へ狙いをつけたばかりだった。

 槍を構えることも忘れ、仲間の安否を確かめるべく壁際へ近づく。

 斬刈が立っていた。

 胸壁の上へ細い脚をかけ、鎌から滴る血を振り落としている。人間なら足場と認識することさえできない僅かな凹凸だけを使い、ほとんど一息に城壁を登り切ったのだ。

 大型複眼に浮かぶ黒い擬瞳孔が動き、近づいてきた槍兵を捉える。


「敵、壁上——!」


 槍兵が叫び終えるより先に、斬刈が胸壁を蹴った。

 細身の身体が宙を舞う。槍兵は咄嗟に穂先を突き出したが、斬刈の鎌が閃き、槍は柄の半ばから切断された。もう一方の鎌が反転し、硬質化した峰が槍兵の胴を打ち抜いた。

 兵士の身体は胸壁へ叩きつけられ、そのまま上半身が外側へ傾く。槍から手を離すよりも早く、悲鳴もなく城壁下へ消えていった。

 斬刈が壁上へ躍り出る。

 着地と同時に第一肢を横薙ぎに振るい、前列にいた兵士の盾を裂いた。鎌は止まらず、その背後にいた者の胴まで深く切り開く。

 返す鎌の峰が別の兵士の胸元へ直撃した。鎧が大きく陥没し、兵士の身体が後列まで弾き飛ばされる。


「囲め!一体ずつ仕留めろ!」


 将校が声を張り上げる。

 槍兵が左右から迫り、短剣を抜いた兵士たちが退路を塞いだ。

 斬刈の擬瞳孔が動く。正面から迫る槍、右側から振り下ろされる短剣、背後へ回ろうとする兵士。そのすべてを大型複眼が捉えていた。

 身体を沈めて正面の槍を躱し、第二肢で柄を掴む。そのまま兵士を持ち上げ、右側から迫る者へ投げつけた。二人が折り重なったところへ跳び込み、鎌を振り下ろす。

 壁上へ血飛沫が散った。

 別の場所からも悲鳴が上がる。二体目の斬刈が壁上へ到達し、さらに三体目が続いた。登攀を阻もうとする兵士を切り払い、次々と防衛線の内側へ入り込んでくる。

 槍は懐へ入られれば扱えない。短剣の間合いへ入っても、斬刈には二本の鎌と二本の補助腕がある。一撃を盾で受け止めても、反対の鎌が横から迫った。短剣を鎌で受けられた瞬間、鋸歯へ刃を絡め取られ、斬刈の間合いへ引き込まれる。

 壁上は、斬刈にとって狭すぎる場所ではなかった。壁、胸壁、屋根、投石器。わずかな高低差すら足場として利用し、兵士たちの頭上を飛び回る。

 一体が投石器の腕木へ飛び乗り、そこから壁上の兵士へ跳躍した。鎌が兜ごと頭頂部を切り飛ばす。倒れた兵士の頭部を第二肢で掴むと頬部の顎を開き、漏れ出した脳へかぶりついた。

 壁上に咀嚼音が響く。


「ひっ……」


 近くにいた兵士の足が止まった。

 その視線を感じ取った斬刈が顔を上げる。口元を血に濡らしたまま黒い擬瞳孔を兵士へ向け、第一肢の鎌をゆっくりと持ち上げた。


「下がれ!」


 将校の声と同時に、術士官の放った岩弾が斬刈の胸部へ直撃した。

 細身の身体が浮き、胸壁へ叩きつけられる。煉瓦へ亀裂が走り、斬刈の動きが一瞬止まった。


「今だ!仕留めろ!」


 兵士たちが槍を構えて殺到する。

 しかし、その穂先が届くより早く斬刈は胸壁を蹴って宙へ逃れた。投石器の支柱へ着地し、次いで腕木の先へ飛び移る。揺れる腕木の上で体勢を整えると、地上にいる獲物を見定めるように壁上を見渡した。

 別の場所から悲鳴が上がった。さらに、その向こうからも。


「二体、壁上へ侵入!」

「東側にも一体!」

「まだ登ってくるぞ!」


 壁面へ取りついた斬刈は、一体ずつ狙って落とせるような速度では登ってこない。矢をつがえ、真下へ狙いを定めたときには、すでに胸壁へ鎌がかかっている。

 壁際へ兵を集めれば、先に登り切った個体が背後から襲う。壁上の個体へ向き直れば、新たな斬刈が胸壁を越えてくる。

 北側外壁の防衛線は、瞬く間に分断された。弓兵は斉射を行えず、槍兵も隊列を組めない。敵の姿を捉えるたびに兵が散らばり、その隙間を斬刈が跳び回る。

 鎌が閃くたびに血飛沫が舞った。

 兵士が一人、また一人と倒れていく。


「援軍を呼べ!」


 将校の叫びが、相次ぐ悲鳴の中へ消えていった。


 斬刈が人類の前に初めて姿を現してから、防衛線が崩されるまで。

 それは、援軍を呼ぶ隙すらないほどの間だった。

中国やインド、中東から高級フレンチにまで動物の脳みそを使った料理があります。いつかは食べてみたいですね。

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