第五十五話:黄昏
使用人と守衛に見送られて門を出たカランは塀沿いの帰路を歩いていた。塀が作る夕影は、カランの顔を横切るように伸びていた。
屋敷に滞在した時間は昼下がりから夕暮れまでの数刻にすぎない。それでも、随分と長いこと拘束されていたような気がした。
カランは歩きながら自分の頬に触れる。
軽く俯き、そしてほんの少し、口角を上げてみせた。
「……備えはあればあるほどいい」
その独り言は、影に溶けるように消えた。
「……お前、カランか?」
顔を上げてみると、塀の途切れた先に第一戦団の第三連隊長が立っていた。
「タルガンか」
カランは確認だけすると、タルガンの方へ歩み寄り……そのまま隣を通り抜けようとした。
「お、おい」
タルガンが困惑したようにカランを呼び止めた。
「何か用か?」
カランは振り返りさえせずに答える。——今さら、お前と話すことなんてないだろう。カランの態度は暗にそう言っていた。
「ないなら行くぞ」
カランは再び歩き出そうとした。しかし。
「……待て、用ならある」
「…………なんだ」
今度は半身だけ振り向いた。
「お前、今さっき……いや、それはないか」
タルガンは何かを尋ねかけ、直後にかぶりを振って何やら自己完結した。
「だからなんだ」
タルガンはもっと歯切れ良い人物だったとカランは認識していた。
「……ああ、すまん。そもそもお前はなんでこんな所を歩いている」
それを尋ねてどうしようというのか。
「お前に関係あるか?」
「それはないが。いや、ある。この先は俺の実家だ」
タルガンの実家は、カランが先ほど訪れた屋敷の隣だった。
「……そうだったな」
「それで、なぜこんな所に?」
改めてタルガンが問う。
「自主的な警備だ」
カランは平然と嘘をついた。
「ご苦労なことだな」
タルガンもそれを知ってか淡々と返した。
「それほどでもない」
「……」
タルガンは黙ってカランへ視線を投げた。
「……」
カランも黙ってそれを受け止めた。
「それで?」
少ししてタルガンが同じ問いを重ねた。大人しく答えるべきか。
「軍務卿閣下に招かれて、屋敷を訪れていた」
「……なんだと」
タルガンの表情が怪訝なものに変わる。
「それだけだ。もう行くぞ」
カランはそう言い残し、立ち去ろうとする。
「待て」
何度目かの呼び止めだった。
「なんだ」
カランはため息をついた。明らかに面倒だと態度で示しているが、タルガンは意に介さなかった。
「閣下の御用件はなんだったんだ」
「それこそお前に関係ないな」
軍務卿に呼ばれた用件を容易く漏らすべきではないし、他者がそれを詮索するものでもない。
「それは、そうだな。では、ヤラ…………王国軍第九大隊長殿もご在宅だったか」
タルガンは正式な場でもあるまいに、ヤラミラを役職名で呼んだ。別に従兄妹なら名前で呼んでも差し支えないだろう。わざわざ言い直すことだろうか。
「いたが?」
隠すことではない。
「同席したのか?」
タルガンは矢継ぎ早に聞いてくる。
「答える必要があるのか?」
カランの答えは肯定したも同然だった。
「同席したんだな」
タルガンがこれほど食い気味になるのを、カランは初めて見た。
「それがどうした」
「……」
タルガンは自分から聞いておきながら、その答えを得ると口を閉じてしまった。
「話は終わりか?」
カランとしては最初から話すことなど何もない。
「いや、まだだ」
どうやらタルガンの話はまだ続くらしい。
「……なんだ」
「……夕食は、まだだな」
カランの直感は面倒事を告げていた。
「そうだが」
だが、軍務卿に招かれていながら、この時間ですでに夕食を済ませたと言うには少々無理がある。誤魔化すのはさすがに見苦しいだろう。
「付き合え」
「断る」
「奢る」
「断る」
互いの即答が飛び交った。
「それとは別に、俺の借りでいい」
「……忘れるなよ」
「当然だ。ついてこい」
ヤラミラは不在だったと答えた方が良かったかもしれない。
◎◎◎
タルガンの実家へは正面ではなく、通用門から屋敷に入った。タルガンは守衛に二、三の言伝を頼むと、本邸には向かわずに敷地の端にある木の柱と石の壁でできた簡素な二階建ての離れに案内した。
「俺が個人的に使っている部屋だ」
室内は貴族の私室というより、士官の宿舎のようだった。小さな窓が合わせて五つ。剥き出しの石の床で、燭台が置かれた戸棚と荷物置き、そして数人が囲める木製机と椅子が置いてある。装飾らしいものはなかった。
急な来客、それも私的な客人ともなればそれで充分だろう。雅な屋敷の後だったからか、カランには妙に落ち着く空間だった。
「それで、何を話した」
席に着くなりタルガンは口を開いた。
「食事に招かれたと思ったんだが」
夕食に付き合えという話だったとカランは記憶している。
「付き合えと言っただけだ」
確かにそうだ。だが、その発言の前後を考慮するとそれは詭弁だろう。
「借りはいい。邪魔したな」
カランは立ち上がった。
「……冗談だ。料理は準備させている」
「それは助かる。お前の手料理を味わいたいとは思えない」
何が悲しくてタルガンの手料理を食わねばならないのか。
「それは俺もごめんだ」
タルガンは鼻で軽く笑った。
「話にも付き合え。さすがに飯だけ食って帰られてはたまらん。料理が来るまででいい」
大人しくカランは座り直し口を開いた。
「閣下との会話は軍関連と勅令についてだ」
この程度なら話しても問題ないだろう。相手はましてや軍務省筋の親族だ。
「それだけか?」
それだけで話が終わったとはタルガンも思うまい。
「あとは庭園と、戦いの心得について少しお教えくださったくらいだ」
どこまでもカランは事実だけで答えた。それが真実とは限らないだけだ。
「第九……まあいいか、ヤラミラとは何を話したんだ」
タルガンは結局ヤラミラを名前で呼んだ。ここまで来て役職で呼ぶ意味もないだろう。
「大したことは話していない」
少なくともカランにとってはそうだった。
「なら何を話したんだ」
だが、それでも問いただす。腕を組んで机に載せたタルガンの瞳は真剣だった。
「……お前の従兄妹だろう、本人に聞け」
正直、最初からそうしてほしかったが。
「聞けるなら貸しまで作るわけないだろ」
一理ある。
「不仲なのか?」
「……そんなことはない」
タルガンは目を逸らした。
「一方的な気後れか」
「俺の話はいい」
図星のようだった。何が原因かは不明だが、それは詮索することではないだろう。気後れしている相手の話を聞きたがるのだ。どうせ碌な理由ではない。
「それもそうだ」
「……何を話したんだ」
しかし、カランのそっけない反応に、タルガンは少し不満そうだった。より正確には釈然としないといったところか。
「だから大した事ではない。顔見知りだから軍務卿閣下との間に同席しただけだ。ご家族の話を少し聞いたくらいか」
これは間違いではないだろう。話した内容も事実だ。
「家族……他の親族は同席したのか?」
「閣下が退席された後はキラリラ様が茶席を引き継がれた」
正しくは闖入だったが。キラリラの名誉のためにカランはそこだけは誤魔化すことにした。いや、あながち嘘でもないだろう。キラリラが席についた時点で誰が見ても茶席の主は彼女だった。
「キラリラ様にも会ったのか」
「庭園の話に加えて仕事と茶葉の話をした程度だ。要は世間話だ」
「そうか」
「そうだ」
「……何か隠してないか」
「あくまで俺を招いたのは軍務卿閣下だ。さっきも言ったが安易に内容まで話せない。これでも譲歩している。わかるだろ」
「それは……そうだな」
勅令の第六項は、防衛に関わる情報の統制だ。軍務卿の会話ともなれば些細な内容でも、これに当てはまると言えなくもない。それにカランとて宮廷術士だ。術士の中では中心人物といえる。その役職の二人の会話なら、時世も踏まえると何か国家の重要な会話をしていた可能性は高い。生真面目なタルガンが引き下がるには充分だった。
「満足したか」
これ以上は面倒だと思いながらカランは口にした。
「最後に一つだけ聞く」
タルガンの瞳が少し鋭くなったような気がした。
「まだあるのか」
もう充分ではないだろうか。
「さっき、塀の影で何をしていた」
「何のことだ」
カランは眉一つ動かさずに聞き返した。
「笑っていなかったか」
「いなかったが」
相変わらずの即答だった。
「……本当か?」
「俺が一人で塀の陰で笑うような人間だと思うか」
「……いや、そうだな」
タルガンは自分を納得させた。カランが笑ったという話を聞いたことすらなかったからだ。それに、黄昏時には見間違えることもあるだろう。
そこで扉が叩かれる音が部屋に響いた。
「まあいい、飯にするか。我が家の料理人の腕は保証する」
部屋に運び込まれた料理は、カランが思うよりも豪勢なものだった。やはり勅令下でも貴族はまだ蓄えがあるらしい。
料理が半ばまで減る頃には、二人の話題は部隊の配置や壁外での戦い方へ完全に移っていた。私的な話では互いに噛み合わなかったが、戦術についてなら話は早い。
気づけば窓の外から夕日の名残は消え、室内を照らすのは燭台の火だけになっていた。
黄昏は過ぎ、王都に夜が訪れていた。
誰そ彼。薄暗がりで相手が誰か分からなくなる時間ですね。




