第五十四話:茜さす
「さてと〜、失礼っと」
キラリラは、流れるような動作で席まで移動すると、ぽふっと腰を下ろした。そこは、先ほどまでガルンダが座っていた席だった。
「ささ、カランさんもお座りになって?」
「はい」
キラリラは、さも茶席の主かのごとく——実際にこの屋敷の女主人ではあるのだが——卓上の茶器を整え始めた。慣れた様子で茶を器へ注ぎ、立ち上る香りを楽しむ。
その手元をカランは興味深く観察した。関心を惹かれたのはキラリラ自身ではなく、その茶を扱う技術だった。注ぐ前に微弱な火術で熱を加えて再び茶を蒸らし、注ぐ際にも水術で湯気を調整している。
「あら、ヤラミラの好きな茶葉ね。自分の好きなものを知ってもらうのは大事よ?」
「……」
そう投げかけられたヤラミラは取り澄ました顔で目を瞑りながら無言を貫いた。
「もう、照れちゃって」
そう言うとキラリラはカランの方へ向き直り、カランをじっと見つめた。
カランもその視線を正面から受けた。
場が無音になったことを不思議に思ったヤラミラが瞼を開けて最初に目にしたのは、見つめ合う二人だった。
「…な」
「ヤラミラちゃん」
口を開きかけたヤラミラは、母に名を呼ばれて口を閉じた。いつになく真剣な声だったからだ。
カランを凝視する母の次の言葉を大人しく待った。
「……彼、男前ね」
ヤラミラは思わず目頭を抑えた。
「恐縮です」
カランは、そう平然と答えた。
「……出ていってください」
ヤラミラは再び絞り出すように言葉を口にした。
「えぇ?今来たばかりなのに?」
キラリラは、ようやくカランから離した視線をヤラミラへ移した。眉尻は悲しそうに下がっている。そんな表情までヤラミラによく似ていた。
「そもそも、お母様を応接室に呼んだ覚えはありません」
「我が家の応接室でしょう?」
「今は私がカラン殿をお招きしているのです」
「まあ」
キラリラは両手を頬へ添えた。
「ヤラミラちゃんが自分で殿方を招いたの?」
「祖父上がお招きしたのです!」
「でも、自分でお出迎えしたのでしょう?」
「な、なぜそれを……」
「ふふん。母親だもの」
それは理由になっていないのではないか。カランにはそう思えた。
「キラリラ様」
「なぁに?」
カランは助け舟を出すことにした。
「見事な庭園でした」
そう口を挟むと、キラリラの視線はすぐにカランの方へ向けられた。
「本当?」
「特に火柱草の花穂は、よくあの丈まで揃えられたものだと」
その瞬間、キラリラは目を輝かせた。
「根元は見た?」
「水路側だけ土を高く盛ってありました。根のまわりに水を溜めすぎないためですね」
「そうなの。あの区画は日当たりに偏りがあるから、水路から直接水を引くと育ち方に差が出てしまうのよ」
先ほどまで娘をからかっていた人物とは思えないほどキラリラの口調は真剣だった。
「軍務省でも同じことを?」
「似ているわね。限られた土地と材料で、必要なものを必要なだけ育てる。扱う量が違うだけで、考え方はそれほど変わらないもの」
「母は軍需物資に用いる植物や薬材の生産を管理しています」
ヤラミラは改めて茶に口をつけながら補足した。取り澄ました顔だったが、どことなく誇らしげだった。
「あら。私の紹介をしてくれるの?」
「補足すべきと判断しただけです」
「そういうことにしておいてあげる」
「お母様」
ヤラミラは嘆息しながら肩を落とした。
「それにしてもよく知っているわね。名前だけならともかく、育て方まで知る人は多くないわ」
「任務中に目にする機会がありましたので」
「見るだけで育て方までわかるの?」
「興味を持ったものは、後で調べるようにしています」
「へぇ」
キラリラは目を細めた。
楽しげな表情だったが、その瞳の奥には相手を冷静に観察する色が宿っていた。
「ところで、さっきから私の手元を見ていたのはなぜ?いくら私の手が綺麗だからって、あんまり見つめるとヤラミラちゃんが嫉妬しちゃうわ」
「……お母様」
目敏い人だ。
「茶を注ぐ前に火術で熱を加え、同時に水術で湯気を整えておられましたので。技術に興味を持ちました。不快に思われたのであれば謝ります」
火術と水術の両方を扱える術士は非常に少ない。その中でも、ほぼ同時にここまで繊細に扱える人物をカランは他に知らなかった。
「いいのよ、そんなこと!いくらでも見てちょうだい!……聞いた?ヤラミラちゃん。カランさんってば私に興味津々よ!」
キラリラは嬉しそうに娘の方へ身を乗り出して小声で語りかけた。カランにも普通に聞こえていたので、小声なのは何の意味もなかったが。
「興味を持たれたのは技術です。お母様ではありません」
ヤラミラは完全に取り澄ます構えだ。
「も〜う。拗ねちゃって。別に取ったりしないのに」
そう言いながら、再びカランの方へ向き直る。
「よく気がついたわね」
「香りを逃さず、温度だけを戻す手法は見事でした」
「まあ。そこまでわかるのね!父が気に入るわけだわ!」
「祖父上はそのようなことを?」
ヤラミラが小さく反応した。
「言ってないわよ?」
「では、なぜ」
「娘だもの」
その類の答えはやはり、理由にはなっていないようにカランは感じた。
「……」
ヤラミラは口を閉じたまま、半眼にした横目でキラリラを見た。——その理屈は通りません。なぜならお母様の娘である私はその内心が全く読めないからです。そう顔に書いてあるようだった。
「長居をしてしまいました。そろそろ失礼します」
「あら、もう帰るの?」
その声は少々不満げだ。キラリラとて暇ではないはずなのだが。
「お母様が来たからです」
ヤラミラは、いまだにツンと澄ましたままだ。
「ヤラミラちゃんは、もう少し一緒にしてほしいそうよ」
「言っていません!」
澄まし顔は容易く崩れた。
「えぇ〜帰ってほしいの?」
「それは……」
ヤラミラは答えに詰まった。内心ではこのまま夕食も一緒に……と思い始めた頃だった。
「別に泊まってもいいのよ?ヤラミラちゃんの隣の部屋を空けるわ」
「お、お、お母様!?それはさすがに!!?」
これには抗議を入れざるを得なかった。
「いえ。そこまでお世話になるわけにはまいりません」
「そ〜お?まあそうね。二人にも然るべき時期というものが……」
「お、か、あ、さ、ま!」
ヤラミラもそろそろ我慢の限界が近づいた。
「はいはい。わかったわよ」
そんな娘の限界など手に取るようにわかるのか、キラリラはあっさりと引き下がった。そして、席を立つ。カランとヤラミラも合わせて立ち上がった。
「また、いつでもいらしてね」
「はい。ありがとうございます」
「ヤラミラちゃん。殿方をお見送りしなさい」
「はい。お母様」
キラリラは手を小さく振って見送った。
そして、二人は応接室を後にした。玄関へ着くまでカランもヤラミラも無言だった。
「本日はありがとうございました」
玄関扉を背にしたヤラミラは綺麗に一礼した。
「こちらこそ。庭園もお茶も楽しませていただきました」
「……それだけでしょうか」
ヤラミラはそう言ってから、自分でも驚いたように目を見開いた。
「いえ、今のは——」
「楽しい時間でした」
カランが答えると、ヤラミラは何か言いたげに口をもごもごとさせたものの、結局は何も言わなかった。
「では」
カランは一礼を返した。
「はい。また」
訪れた時と同じように、使用人がカランを門へと案内した。
訪れたときには高かった日も、すでに赤く染まりつつあった。庭園は夕日を受ける場所と塀の落とす影とにくっきり分かれていた。
ヤラミラは塀の影へと遠ざかっていくカランの背を、姿が見えなくなるまで見送っていた。
「行ってしまったわね」
「お母様!?」
ヤラミラは飛び跳ねそうになった。いつの間にか隣に立っていたのはキラリラだ。ヤラミラが小さい頃から、この母親は気がついたらそこにいるのだ。
「良い人じゃない」
「……はい」
あまりに素直に答えるので、今度はキラリラの方が目を丸くした。
隣に立つ娘の頬は赤く染まっていた。キラリラは今日ばかりは、それを夕日のせいにしてあげることにした。
「………………ヤラミラちゃんもやっぱり乙女ね」
「ふぁ!?」
それでもからかうことはやめなかったが。
想定よりもかなり長くなってしまいましたが、これで屋敷はお暇です。




