第四十一話:貴族院議会・勅令
報告が終わっても、ガルンダはすぐには口を開かなかった。
ガルンダは左手を右腕の肘に、そして右手を武骨な顎に当てた。伏せ目がちになった面差しの思慮の色が浮かぶ。
「証言が食い違っているのではないな」
やがて、低い声が議場に響いた。
「東、西、北。それぞれで供述にある程度の一致が見られる。ただ十万の鎧人が正面から押し寄せただけ、と考えるべきではないだろう」
ガルンダが顔を上げる。
「鎧人以外の異形種もいた可能性がある」
さすがにこの発言には、議場に大きなどよめきを呼んだ。
「ありえん!いや……やはり、ありえん!」
「そんなバカな話があるか!」
「軍務卿の言葉とはいえ、信じられませんな」
その喧騒を絶ったのはアリンタだった。
「可能性はあるね」
アリンタは背もたれには身を預けず、まっすぐに背筋を伸ばしたまま座っていた。
端然としたその居住まいには、小柄な老婆とは思えぬ存在感があった。
「”縦ツノ”と”横ツノ”も同じ鎧人でも別々の異形の民みたいなもんさ。こいつらが組んだのはもう疑いの余地はない。それなら他の異形が組んでたって不思議じゃないだろう」
「まだ断定はできん」
ガルンダとて、必ずしもそれが事実であると断定しているわけではない。何せこれまでそのような兆候は見られず、前例も一切なかった。
「うっさいよハゲ」
「だぁれがハゲだっ!!」
卓を叩きつける音がこだましたが、アリンタは構わず続ける。
「北門の崩壊はともかく、東区の話は鎧人のことじゃないだろうさ。仮にナールム市内に異形が忍び込んでいたとして、”平鎧”にそんな細かな立ち回りはできない、それに”ツノ持ち”だって潜入するような性質じゃない。たとえ”横ツノ”でもね」
「と、申しますと…?」
「そもそも”ツノ持ち”が市内に忍び込めるなら、そんな煩わしいことする必要はないじゃないか。内から門を破れば済む話だからね。こんな小癪な真似をするのは十中八九、糸女だ」
アリンタの論には確かに整合性があった。
「とはいえ、今あるのは逃げ延びた者たちが持ち帰った断片だけだからね。無理に繋ぎ合わせると、かえって見誤るかもしれない」
「アリンタ公の見立てが正しいとすれば、それは由々しき事態です。軍関係者への聞き取りを優先した方が良いでしょう。所属、配置、命令の内容と受けた時刻。可能なら同じ部隊の者から別々に話を聞くのがよろしいかと」
「異論ない」
ブールナンの意見に賛同を示し、アリンタは再び静かになった。
「軍務卿もそれで構いませんね?」
「かまわん!」
ガルンダは腕を組み、怒鳴るかの如く答えた。その頭皮は赤く染まっている。
「では、そのように」
ブールナンは速やかに確認を取ると女秘書に一任した。
「承知しました」
「これって、もう法務省の仕事じゃなくなってな——イッ!!」
女秘書が一礼し、ミラングが再び踏まれた足をさすりながら小さく息を吐いた。
一通りの審議事項が片付き、残す議題は一つとなった。
「では、残る議事に移りましょう」
ブールナンが居住まいを正し、議場の最奥へ顔を向けた。
「陛下」
それまで黙していたワラン王が、玉座からゆっくり立ち上がった。その右手には、王家の宝具たる黒炉の玉笏がしかと握られている。
先ほどまでの喧騒はざわめきの名残すらなく静まり返った。
「タルナは陥落した。ナールムも敵の手に落ちた。さらにはキャンベラとの連絡も途絶えた」
王の声が広い議場に隅々まで届く。
「街道では商隊が消息を断ち、放った斥候の足取りもつかめぬ。もはや、いずれかの一都市のみが脅かされているのではない」
ワラン王は列席する全ての貴族たちを見渡した。
「これは、アウストロメリア王国の存亡に関わる危機である」
誰一人として声は挟まない。
「アウストロメリア国王、ワラン・アウストロメリアの名において告げる。これより——国家勅令を発する」
ワラン王は黒炉の玉笏をさらに強く握り締め、議場を睥睨した。
「まず、この時をもって、アウストロメリア王国は国家緊急体制へ移行する」
それからワラン王が発した国家勅令は、書記官の手によって七つの項目にまとめられていった。
第一に、王国に属する全軍の戦時動員。
王国軍、都市軍、術士兵団の全将兵のみならず、退役兵と予備役にも召集が命じられる。さらに、戦闘に耐え得る市民の徴兵を開始し、研究や生産、医療に従事する者を含め、王国内のすべての術士について所在を確認し、能力を精査することが定められた。
これまで後方を支えていた者たちも、必要とあらば戦場へ送られる。王国に残された人員を、職分の別なく戦力として数え直すための命令であった。
第二に、王国内に存在する食料備蓄の統制。
都市、商会、貴族家、農場、倉庫が保有する備蓄量を調査し、王家の管理下に置く。市場での自由な売買は制限され、今後の食料は定められた量に従って市民へ配給される。
その対象となるのは、穀物や保存肉だけではない。塩、油、酒、水、地鶏の飼料に至るまで、戦いを継続するために必要なものは、すべて国が流れを把握することになる。
第三に、軍需物資の生産拡大。
武器、防具、矢弾、軍装、医療品を生産する工房は、昼夜を問わず可能な限り操業を続ける。製材所、皮革工房、薬草園を含む関連施設もまた、国家の指定に従って軍需生産を優先する。
職人も、原料も、燃料も例外ではない。これまで商売のために振るわれていた腕は、王国を守るための振るわれることになる。
第四に、輸送手段の徴用。
軍と物資を運ぶため、民間が所有する荷車、荷役用のダンゴムシ魔獣、飼育設備を調査し、必要に応じて一時的に徴用する。所有者には台帳への申告が義務づけられ、徴用された輸送手段は軍務省と運輸庁の指示に従う。
荷車一台、ダンゴムシ魔獣一匹であっても、もはや個人の都合だけで用いることは許されない。兵を動かし、食料を運び、傷病者や避難民を移送する王国の足となる。
第五に、軍用手票の発行。
動員、徴用、軍需物資の買い上げに対する国家からの支払いには、王家が価値を保証する軍用手票を用いる。軍用手票は納税や国営施設での支払いに使用でき、その受け取りを正当な理由なく拒むことは認められない。
王国は、多くの兵と物資を直ちに必要としていた。それらすべてを既存の貨幣で賄えば、国庫は戦いが始まる前に底を突く。軍用手票は、王国が未来に支払うことを約束し、今を買うためのものだった。
第六に、防衛に関わる情報の統制。
都市、軍、各省庁は、敵影、被害、備蓄、避難民に関する情報を速やかに王都へ報告する。虚偽の報告、重大な情報の隠匿、軍務や避難を妨げる流言、敵に利する情報の流出は固く禁じられた。
同時に、軍の配置、移動、物資の輸送に関する情報は、その伝達先が厳しく制限される。市井の噂で済んでいた言葉の一つさえ、これより先は兵の命と都市の命運を左右しかねなかった。
第七に、交通設備と重要拠点の国家管理。
主要街道、城門、河港、船舶その他の交通手段を国家の管理下に置き、その維持と修繕を最優先とする。穀倉、井戸、工房、医療施設、軍事施設には厳重な警備が置かれ、破壊、放火、汚染、略奪、敵への内通は、王国に対する反逆として処断される。
糸女がナールムへ潜入していたとの推測が事実なら、城壁だけを固めても都市は守れない。食料を焼かれ、井戸を汚され、内から門を開かれれば、それだけで都市は死ぬ。最後の一項は、敵がすでに人々の間へ入り込んでいる可能性を前提とした命令であった。
書記官が最後の一文を書き終えた。紙面から筆先が離れ、かすかな音を立てて筆置きへ収まる。
七つの命令はいずれも人々の暮らしから、これまで当然のものとして認められていた自由を奪うものだった。職を選ぶ自由も、財を使う自由も、どこへ向かい、何を語るかさえ、国家の存続に従属する。
しかし、反対を口にする者はいない。
タルナは陥落し、ナールムも失われた。もはや平時の理屈だけで国を守れると考える者は、この議場には残っていなかった。
ワラン王が、再び口を開く。
「この勅令によって、民は多くを差し出すことになる」
王の瞳には決意の火が灯っていた。
「兵として、その身を。職人として、その技を。商人として、その財を。そして皆が、昨日まで当然に持っていた暮らしを」
そして、その瞳で改めて居並ぶ者たちを見渡した。
「ゆえに、王家もまた、王家が持つすべてを差し出そう。この国が存続する限り、徴用した財も、預かった命も、決して使い捨てにはしない」
声高く主張することはない。しかし、静かに紡がれる言葉の一音一音は、重厚な意志を宿していた。
「我らが今日差し出すものは、失うためのものではない。明日、この国に生きる者たちへ返すためのものである」
ワラン王は玉座の前に立ったまま、最後の命を告げた。
「諸卿よ。各々の利害、家門、職分を越え、その責務を果たせ」
ガルンダは表情をいっそう険しくし、バルナムは眉間の皺を深くした。ミラングの眼差しはいつになく鋭く、カラワナは固く口元を引き締めている。ブールナンは卓の下で拳を握り締め、タルナグは背もたれに預けていた身をとうに起こしている。ナールミラも普段よりまっすぐに背筋を伸ばしている。
誰もが一様にワラン王の言葉を噛み締めていた。
そしてこの日、王都ワラネからは名実ともに平時が失われた。
貴族院議会はこれにて閉会です。




