第三十二話:可憐な王女
紅蓮の術士、炎の英雄、王国最高の術士。最年少の宮廷術士。彼の肩書きや功績は語りだすと切りがない。
そんなすごい術士がいるんだ!と、年頃の町娘のように憧れたりもした。でも話してみると、その評価は少しずつ崩れていった。
初めて見た時は、思っていたよりずっと普通の人だと思った。寡黙で、無愛想で、ちっとも笑わない。返事は短いし、何か褒めてみても「恐縮です」か「任務なので」しか言わない。
みんなは堅いだけって言うけど、それを通り越して失礼だと思った。面白くもなんともない人。
そのはずだった。
私はこの国の王女として生きてきた。
勉強は毎日頑張ったし、礼儀作法も全部頭に入ってる。術の使い方だってそこらへんの術士に負けたりなんかしない。
でも、何一つ兄には敵わなかった。
兄だってもちろん、努力をしている。そんなことはわかっている。それでも兄にはあって、私には無いものがあった。兄は人を惹きつける。きっと天性のものだと思う。いつも誰かを巻き込んで明るく笑っている。そして巻き込まれた側も気がついたら笑っている。それに比べて私はいつも兄の一段下。兄のような明るさもなければ、母のような聡明さもない。
努力は嫌いじゃない。むしろ好きな方だと思う。だから毎日続けた。続けた結果わかったのは、努力は裏切らない。でも結果を約束するものじゃ無いってこと。努力にも届かない場所ははっきりとあった。
私は比べられることが多かった。兄と、母と、他の貴族の子と、時には父とさえ。
『よく頑張っていますね』
その言葉は褒め言葉だった。でも私は知っている。”よく”の先にはいつも誰かがいるのだ。頑張るだけでは届かない何かを持っている。そんな誰かが。
だから何も持たない人が一番になったという話は信じられなかった。
それでもやっぱり彼は本物で、私が法学や経済の勉強でうんうんと頭を悩ませている間にも、伝え聞く噂や功績はどんどん増えていった。
無名の出で、多くを語らず、どこか影がある。私はそんな彼が逆にだんだんと気になっていた。「なぜそんなにすごいのか」「なぜ周りの目を気にしないのか」「なぜあんなに迷わないのか」気になり出したら色んな疑問はどんどん溢れてきて、すっかり勉強は手が付かなくなってしまっていた。母様にお叱りをいただいてしまったりしたけど、それでも気になってしまう。だから今日も私は落ち着かない。
「間もなくお見えになります」
侍女の一人がそう伝えたくれたけど、やっぱり落ちつかない。
立つ。座る。立つ。
意味もなく繰り返してしまう。
「殿下、お座り下さい」
「…はい」
なんて言われても。どうしてもソワソワしてしまう。
「少しだけ、お迎えに…」
「…はぁ」
侍女はため息をついていたけれど、そんなことは今の私には気にしていられない。
自ら扉を開け、私は廊下に出た。外で控えていた近衛は何事かと私のことを見ていたけれど、すぐに何かを悟ったのかすぐに平静になった。それも今の私は気にしていられない。
廊下に出て右を見る。誰もいない。左を見る。誰もいない。
「ふぅ…」
ひとまず顔を下げ、瞳を閉じて息を整える。整えているのにソワソワは止まってくれない。
カツ
足音が聞こえた。思わず勢いよく顔を上げてしまった。髪型が崩れなかったのは本当に幸いだった。
廊下の向こうに黒い軍服が見える。
歩幅は一定で、背筋はまっすぐ。急いでもなければ、ゆっくり歩いているわけでもない。それなのに私は不思議と目が離せなくなってしまう。
「カラン様!」
光を受けても静かな黒髪は絵に描いた獣みたい。鼻筋は高くて、燕脂色の瞳はいつも鋭い。端正な顔立ちではあるけれど、派手に目を引くわけではない。それはきっとどこか影のある表情のせい。それなのにやっぱり私は目が離せない。
少しでも早く声が聞きたくて、気がついたら小走りになっていた。
王女が廊下を走るなんてはしたない。それでも、いけないとわかっていても、我慢できないのだ。
「王女殿下」
彼は綺麗に一礼した。
「おみゃちしておりました!」
噛んでしまった。彼の前で噛んでしまった。ああきっと私は今、耳の先まで赤くなっているに違いない。恥ずかしい、恥ずかしい。でも声を聞けて嬉しい。
「お怪我はありませんでしたか?」
今度は噛まずに言えた。まだ顔は熱いけれど、彼はそのくらい受け流してくれる。
「ええ」
わかっていても聞いてしまう。彼の軍服には戦場から帰ってきたばかりだというのに乱れはほとんどない。
彼が怪我をしたところなんて見たことがないけれど、それでも心配になってしまう。他にも聞きたいことはいっぱいあるのに、いつも最初は聞いてしまう。
「えっと…その…」
何を聞こうとしていたのか、さっきまでいっぱいあったはずの聞きたいことは、一目散に私の頭の中から逃げ出してしまったのかもしれない。…そうだ!
「キャンベラのお話を…!」
やっぱりこれは最初に聞かないとだめだ。彼の今回の活躍はもういっぱい噂になっているけれど、彼から直接聞けるのは王女の特権だ。こればかりは少し優越感に浸ってしまう。
「その前に、部屋にお招きいただいてもよろしいでしょうか」
そうだった!
あんまり焦って私は廊下で話を始めてしまってた。少しは引いた顔の熱がまた耳の先まで真っ赤にしていくのを感じる。
「おっしゃる通りですね!私ったらうっかりしていました!」
あぁ恥ずかしい。あんなに順番を考えていたのに、最初から間違えてばかり。
「いえ、大丈夫です」
「では、どうぞ」
「はい」
彼はそんな私を急かすこともなく、素直に部屋についてきてくれる。みんなは知らないかもしれないけど、彼は意外と優しいのだ。それを知るのに払った数々の代償を考えると今でもベッドに飛び込んで枕に顔をうずめたくなってしまうけど。
「お入りください」
促すと彼は小さく一礼して部屋に入る。
「お召し物を」
「ありがとうございます」
侍女が彼の外套を預かった。
それは私がやりたかったけど、流石に許してくれない。そして彼は侍女にもお礼を必ず言うのだ。
「こちらのお席にお掛けください」
「恐れ入ります」
よくよく見ているとよく分かる。彼は別に堅いわけでも、失礼なわけでもない。所作は無駄なく洗練されているし、返事も短いけど場面場面に合わせてすごい的確。
これが自分のあるべき姿。そんな考えが伝わってくる。きっとそうに違いないんだ。
「改めまして、本日はお越しいただいてありがとうございます」
「いえ」
王女の私の彼に対する態度は少し丁寧すぎるかもしれないけど、私は彼には絶対に失礼なことをしたくない。もしそんなことがあっても、きっと彼は許してくれるけど、それは甘えていいことにはならない。何より彼が許してくれても、私が私を許せない。別に彼に甘えたくないというのは言葉の綾で、ただ甘えるだけなら別に…っていけないいけない!
「今日は果実系のハーブを中心に花の風味を加えたお茶を用意しました」
茶器を持ち上げお気に入りの(前に彼が絵柄を誉めてくれた!)カップに注ぐと甘く華やかな香りが部屋に立ち上った。侍女がギョッとした目で茶を見ている。
それもそのはず、このお茶は王室の最高級品なのだ。華々しい戦果を持ち帰った英雄を労うにはこのぐらいは用意しないとね。でも侍女のためにお茶は少し残しておいたほうがいいかも。そうでないと勝手に拝借したのが母様の耳に届いたら…やめやめ!今は彼との話を楽しむ時間です!
「いただきます」
「はい、どうぞ」
彼が茶器を静かに口につけた。心臓が音を立てているのが聞こえてくる。
「美味しいですね。それに香りもいい」
よしっ!苦労して盗っ…拝借した甲斐がありました!
「なによりです!」
私も茶器に口をつける。美味しい。思わずほぅっとため息をついてしまう。彼と美味しいものを一緒にいただいて、共感できる。この時間がずっと続けばいいのに。なんて思ってしまう。
コンコンコンコン!
そんな時に扉を強い叩く音が部屋に響いた。
まったくどこのどなたでしょうか、私と彼の時間を邪魔するのは。
「失礼します!緊急伝令です!」
え?
近衛の言葉を確認して、急いで侍女が扉を開けるなり、伝令の兵は部屋に行き渡るには充分すぎる声量で告げた。
「ワラネ西方に敵影を確認!」
茶の香りが吹き飛んでしまったと錯覚した。
彼はもう立ち上がっている。
「詳細を」
その一言だけだった。
また行ってしまう。私の届かない遠いところに。
話中のお茶は一応、紅茶に類するものです。私はお茶類は抹茶か緑茶を飲むことが多く、紅茶は嗜まないのですが、軽く調べてみると食用花などを扱ったフレーバーもあるのですね。奥が深く面白そうです。




