第三十話:帰還
地平の向こう、エメラルドグリーンの海岸線を背景にワラネの巨大な防壁が姿を現した。
「帰ってきたなぁ」
ポツリと誰かがつぶやいた。その声に応える者はいなかったが、隊列の空気がわずかに緩んだのをカランは感じた。
キャンベラを発ってから十七日。行きと同じ街道を、行きとは違う隊列が進んでいる。
数を減らした兵士。空になった荷車。包帯を巻いた負傷者。損傷した装備。戦いの跡を色濃く残した隊列だった。そして、その中に混じる見慣れない青い巨体。
「でっけぇ壁だな」
ダーバルが呑気な声を上げた。
「お前、いつまでついてくるんだ」
「え?」
ダーバルは心底不思議そうにカランを見下ろした。ミョーンと細長い触覚が揺れる。
「ワラネまでだけど?」
まあそうだろう。ここまで来ておいてキャンベラに戻ると言い出したら正気を疑う。ワラネまで付いてくるのも大概に正気とは思えなかったが。
「ワラネとキャンベラは中の空気も違う」
当たり前だが都市と要塞は全然違う。ダーバルに対する当たり方も戦士を見る目から、他種族を見る目に変わる。
「せいぜい気を使え」
「あいよ」
ダーバルは返事をしたが、正しく理解しているのか疑わしかった。
「…なんだあれ」
バルドが目を細める。城門はまだ遠かった。しかし、さざ波のように声が聞こえてくる。
ワラネの防壁が見え始めたころから、西門の周囲には人影が集まり始めていた。十人、二十人という数ではない。遠目にも分かるほどの群衆が、門の内外を埋めつつある。
「出迎えじゃないの?」
「俺たちの?」
ミラリの答えにバルドが素っ頓狂な声を上げた。
「お?もしかしてオレってば人気者?」
ダーバルは何を勘違いしたのか巨大な左鋏を担いで胸を張った。
「そんなわけない」
即座にルナリが否定する。
「あ、そう」
「人気なのはあたし」
ルナリはふんす!と胸を張った。
「そんなわけないだろ」
即座にカランが否定した。
出立の日、西門にいた市民は決して多くはなかった。それが今は門前を埋め尽くさんばかりに人が集まっている。防壁上にも兵士がごった返しているようだ。
ワラネ西門の門楼に、鐘が鳴った。それに合わせてワッと歓声が聞こえてきた。
かつてその鐘を背にしてカランたちは壁の外に出た。今度はその音を正面から聞きながら、同じ街道を帰ってくる。
「帰ってきたねぇ」
ミラリがどこか気の抜けた声を漏らした。
「そうですね」
隊列が城門に近づくにつれ、歓声の声は鮮明になる。
「第一戦団だ!」
「帰ってきたぞ!」
「キャンベラは無事だ!」
「第九大隊もいるぞ!」
「紅蓮の術士はどこだ!」
第一戦団の面々は慣れた調子で手を振っている。第九大隊の兵士も最初は戸惑いこそしたが、照れ臭そうに笑い、手を振り始めた。
「おお!俺にも手ぇ振ってるぞ!」
「後ろのカランくんじゃない?」
「うるせぇい!」
バルドはなんだかんだ笑顔で両手を大きく振る。ミラリも片手をあげにこやかに手を振っている。強いて言うならバルドではなく隣のミラリに手を振っているのだろう。
カランは市民を見渡した。子供を肩車する父親。泣いている老人。胸を撫で下ろす商人。兵士の名前を必死に呼んで探している女性。…呼んでいるのは家族だろうか。
キャンベラが落ちれば次はワラネかもしれなかった。タルナはすでに落ちた。街道から商隊が消えている。何が起こっているのか市民には分からない。
城門をくぐるとさらに多くの市民と歓声に出迎えられる。キャンベラでの声もかなりのものだったが、ワラネは人の数が違う。ビリビリと震えるような大歓声だった。
「勝ったぞ!勝ったんだ!」
「当たり前だ!キャンベラが落ちるはずがない!」
「鎧人なんか敵じゃないんだよ!」
「俺たちには炎の英雄がいるんだ!」
それでも歓声の大きさに対して表情が明るい人間は少ないように感じた。
「随分と必死な歓声だ」
カランの小さなつぶやきは、歓声に溶けて消えた。
「カラン?」
ルナリがカランの顔を覗く。
「なんでもない」
「ふーん」
ルナリは歓声の大きさが堪えるのか触角を丸めてカランのそばをついてくる。
そんな中で歓声の一角がザワっと割れた。
「…なんだあれ」
「鎧人!?」
「違うぞ!殻付きだ!でかいな!」
ダーバルを目にした市民から、様々な色を含む声が上がる。デカポダと言う名称を知っている市民は少ない。その存在を知る人の多くは見た目から殻付きと呼ぶ。
「やっぱオレ人気者じゃん」
ダーバルは呑気に副腕を上下左右に振っている。
「警戒されてるんだろ」
「似たようなもんだろ」
「全然違う」
ダーバルは両腕の鋏をわっさわっさと上下に動かした。どこからか女性の悲鳴が上がった。子供の泣き声も聞こえてきた。
「調子に乗るな」
「…そうだな」
ダーバルは大人しくなった。その青い巨体が一回り小さくなったように感じる。
歓声は兵団本部へ近づいても途切れることはなかった。
しかし、いつまでも英雄でいられるわけではない。彼らは王国軍人であり、術士兵団の一員だった。
「全員整列!」
術士兵団の兵舎の訓練場に響いた。ザッと音を立て団員が立ち並ぶ。
「よく帰った。まずはそれでいい」
ダルミンらしい語り出しだった。
「負傷者は改めて医務室。装備を返却したら今日は解散だ。報告書が残ってるやつは諦めろ」
「えぇ〜横暴だ〜」
第二連隊の先頭から非難の声が上がる。
「俺だって残るんだよ!」
その一言が笑いを誘い、場の雰囲気を柔らかくする。
「まったく…なお明日からは当分、第一戦団は特別休暇となる」
「「おおおおぉっ!」」
”ツノ持ち”を討伐した時より大きな歓声が上がった。
「騒がしい!ただし召集がかかったら即座に戻れ」
「「えええぇ〜〜」」
今度は全体から非難の声が上がった。
「休暇じゃねぇじゃん」
「今の状況で完全休暇が出ると思うか?」
「ですよねぇ〜」
「はいはい、では解散!」
ダルミンが二度手を叩き、解散をうながす。少々締まりの悪い解散だったが、団員の皆は帰路に就き始めた。
「俺は寝る」
「酒」
「帰る」
「風呂入りてぇ」
「肉」
「お前はキャンベラでも肉食ってただろ」
各々がそれぞれの日常へと戻っていく。
カランも帰ろうと踵を返したところで声をかけられた。
「カラン」
ダルミンだった。
「報告議会には行きません」
「お前な」
ダルミンは苦笑する。
「別についてこいって話じゃない」
「俺が主体になって報告しろと?」
「だから違う、少し労ってやろうと思っただけだ」
「…何を企んでいるのですか」
「どれだけ根に持ってるんだ」
誰のせいだと思っているのか、ダルミンはいい声で笑った。
その時だった。文官が兵舎に駆け込んできた。
「宮廷術士カラン殿はいらっしゃいますか」
「ここだ!」
なぜかダルミンが声を上げた。文官は近くまで寄ると、一礼して要件を伝えた。
「宮廷術士カラン殿。あなたに王宮への登城要請が出ています。明日の昼頃には王宮の第三待合室までおいで下さい」
「わかりました」
「では」
文官は要件を端的に伝えると、一礼してその場を去った。
「……」
「……」
一瞬の沈黙が訪れた。
「まあ、なんだ、頑張れ」
「…今日は帰ります」
「お、おう、お疲れ」
カランは今度こそ帰路についた。ダルミンはその背をそっと暖かい目で見送った。
兵舎を出る。まだ日は高い。カランはひとまず自宅に戻ることにした。
ズシ、ズシ。
「……」
ズシ、ズシ。
「……」
カランは足を止めた。後ろの足音も止まった。
振り返ると青い巨体が当然のようについてきていた。
「なんだ?」
ダーバルは不思議そうにしている。
「それはこちらの台詞だ」
「とりあえずカランについていけばいいかなって」
「なぜそうなる」
「オレ、ワラネ初めて」
ダーバルは副腕で自らを指して言う。
「知らん」
「オレも知らない」
少しは知っておけ。
「自分でついてきたんだろ、自分でどうにかしろ」
「そんなあ」
ワラネに来る判断をしたのはダーバルだ。カランが面倒を見ないといけない理由はない。
「好きにしろ」
「手頃な水路とか空いてるかな」
もしかしたら異形の民に好きにしろというのは禁句もしれない。今後は発言には気をつけるべきだとカランは肝に銘じた。
「あるわけないだろ」
「勝手に住んだら怒られるよ」
経験者は語る。ルナリはカラン宅に居候するまで水路付近の庇の下に住み着いていた。
「そうなのか?」
「当たり前だ」
やはりと言うべきか、異形の民に人間の都市の常識は通じないらしい。
「じゃあ川か…」
「そういう問題じゃない」
「どうしよう」
ダーバルが肩をすくめる。戦場での頼れる勇姿は見る影もない。
「お前傭兵だろう、王国側が兵舎の用意をしていないのか」
「あ、そういえば何か言ってたな」
「それを先に言え」
むしろなぜそれを忘れていたのか。
「とりあえず戻るわ」
「そうしろ」
「じゃ、またなカラン、ルナリも」
ダーバルは鋏をあげようとし、何かを思い出したのか副腕を振るのに留めた。
「またねー」
ルナリは触角をピョコピョコとさせて手をふった。
「家に来るなよ」
扉が壊れそうだ。
「明日行くわ」
そもそも、どうせ迷子になる。
「話を聞け」
ダーバルはクツクツと笑いながら来た道を戻って行った。しかし、少し歩くとすぐに治安維持の都市軍兵に止められた。
「帰ろっか」
「そうだな」
事情を説明すれば大丈夫だろう。カランは見なかったことにした。
無事兵舎には辿り着けたのか…




