第二十八話:劫火絢爛
キャンベラの壁上に突風が吹き荒んだ。
「うおっ!」
「なんだっ!?」
皆が急な強風に身を屈め、その場に踏み止まらせる。
壁上の激しい戦いで砕けた木筋コンクリートの破片がパラパラと壁外へ吹き飛んでゆく。
風は止まない。
しかしその中でもカランは体勢を変えず、術を練るのをやめない。
「カランくんっ!危ないよ!」
「大丈夫です」
ミラリの叫びに対し、カランの返答は静かなものだったが、この強風の中でもその声は良く響いた。
『カラン、お前術が使えるのか』
その時、カランは唐突に古い声を思い出していた。
『術を使える人間は少ない、お前は恵まれているね』
いつだったか。
『火は使えないのかい?火は人に力を与える』
どこだったか。
『小さっ!お前に火術の才能はないね』
うるさい奴だ。自分は術を使えないくせに。
『気にすることないさ。結局、火なんてただの現象さ』
そのくせして、カランが知る誰よりも術に詳しかった。その評価は今でも変わらない。タルガンよりも、ダルミンよりも、ミラリよりも、アリンタよりも、カラン自身よりも、術を感じ取り、理解することに長けていた。
『火は現象、水は液体、土は固体、そして風は気体だ』
何を言っているかさっぱりわからなかったが、そういうものなのだとカランは納得することにした。
『他はからきしだが、ソレは大したもんだね』
偉そうに。
『いいかい?ソレは一種類じゃない。いくつもの種類が複雑に絡まり合っている』
そのことは感覚でなんとなくわかった。
『じゃあ、ソレをそれぞれ種類ごとに分けてごらん』
突風が壁上を吹き抜けていく。
『上手じゃないか、この一番大きいのはよく安定した種類だ、希釈剤みたいな役割がある』
そして一陣の風は荒野で渦を巻く。
『この二番目に大きいのは生きていくのに絶対に必要なものだ。あまり多くても危ないから一番大きいのと一緒に使うんだよ』
カランは天に向けた親指に視線を合わせた。その血が渇いたような色彩の瞳は荒野を見下ろす。
『あと物をよく燃やす効果があるから気をつけるんだよ…っておい!』
そして指先に小さな光を灯す。
『ゲホッゴホッ!気をつけろって言ったそばから!まったく…整えた髪がめちゃくちゃじゃないか…何笑ってんだい!』
感情表現に乏しいカランだったが、この瞬間ばかりは何かが熱くなる。思わず笑みがこぼれた。
「ふっ…」
指先から離れた光点は明滅を繰り返すように眩さを増しながら荒野へ駆ける。まるで小さな蕾がいくつも芽吹いたようだった。
芽吹いた蕾は、アウストロメリアの大地に紅蓮の大輪を咲き誇らせた。
刹那、火柱が閃光と共に天を突く勢いで空を焦がし、灼熱の炎が怒涛に吹き荒れる。猛火が全てを焼き尽くさんばかりに猛り狂う。
カランは咲き乱れる爆炎が生んだ熱風に身を晒しながらも、その熱気より自らの内よりいずる熱にこそ魂を震わされ、歓喜に包まれた。その表情は今しがた咲いた大輪にも負けぬほどの喜色を孕んでいた。
「…カランくん?」
「追撃完了しました」
ミラリの再三の呼びかけに振り返ったカランはいつも通りのカランだった。
燎原の火のごとく燃え広がった炎はまるで噴火した火山のように噴煙を吐き出し、火の玉を撒き散らしている。その火の玉の原料はきっと鎧人だった物質だろう。空を焦がす炎の光がカランの顔に影を落とした。
「また一段と派手というか、なんというか、凄まじいな」
ダルミンも驚きながらも周囲と比べると冷静な物だった。
「すっげ」
ダーバルは大きな左鋏で庇を作りながら、陳腐な感想で紅蓮の花見を楽しんでいた。
「すっごいね〜」
その隣ではいつの間にいたのかルナリが四本腕で庇を作って同じく陳腐な感想で大輪を眺めていた。
「おい」
「あ」
ぴょこぴょこと揺れていた触角がピタリと止まった。
「宿舎にいろといったよな」
ルナリは確かに返事をしたはずだ。
「いたよ」
「過去形にするな」
兵舎に居たことは居たらしい
「戦い終わったから」
「終わったから出てきたと?」
「うん」
確かにすでに戦闘は終了したと言える。
「いつ出てきた」
「さっき」
「具体的に」
「風がびゅーーってしたぐらい?」
「それは戦闘中だ」
「……」
ルナリはプイッと明後日の方向を向いた。
「目を逸らすな」
「まあ何事もなかったんだからいいじゃないか」
ダーバルは余計な助け舟を出した。
「ダーバル、お前は治療に行け」
「あれオレもか?」
「ここにいたら焼き蝦になるぞ」
壁上にはまだ強い熱気が残っている。
「それもそうだな」
ダーバルはクツクツと笑うと自らの足で壁裏の階段を下っていった。満身創痍にも関わらずその足取りは大して疲れを感じさせるものではなかった。こいつも化け物か。
「さて……いない」
少し目を離した隙にルナリの姿は消えていた。
「逃げたか…」
あの”横ツノ”の老将より速い逃げ足なのではないだろうか。
そんな感想を抱いていると伝令が駆けてきた。
「戦団長!敵軍勢は完全に後退しています!」
「よーし!怪我人には手を貸してやれ!まだ警戒は怠るなよ!」
ダルミンの声で壁上は一気に慌ただしくなった。戦いは終わった後は、また別の戦いともいえる時間が待っている。
「担架をよこせ!」
「まだ息があるぞ!」
「こっちに水を持って来い!」
「壁下には降りるな!確認が先だ!」
同じ戦場で飛び交う命令や言葉が戦後のものに変わりつつある。
コォォォン
その中で鐘の音がなる。開戦時の高い警鐘とも、開門時の低い銅鑼の音とも違う、間のびした響くような音だ。
「敵軍勢、西方山岳地帯へ後退!」
「追撃命令なし!各員持ち場を維持しつつ負傷者の回収を急げ!」
伝令の兵が声を張り上げながら壁上を歩いて回る。盾を担架がわりにして怪我人を壁内へと運ぶ。盾兵の持つ幅広の盾は担架の代わりにもなるように設計されてある。もちろん硬い盾なので運ばれ心地は最悪だが、速さが命取りになることもある。運ばれる負傷者も文句は言えないだろう。
医療班が駆けつけ、その場で処置できる者はその場で応急処置を施していく。遠くではルナリもせっせと包帯を運んでいた。これで説教を挟むとむしろカランが説教を喰らうだろう。なんとも全く強かなやつだった。
敵が撤退し、掃討戦が行われない場合は、基本的に即応性の高い術士は万が一の反撃に備え周囲警戒をしつつ待機ということになる。カランは山岳の影が山の向こうに消えて行くのを静かに眺めていた。
そんな時、外壁の上にジャイグが現れた。一瞬兵の手が止まる。
「構うな、手を動かせ、負傷者を優先しろ」
その一言で再び慌ただしく動き出す。
「ダルミン」
「はっ」
「第一戦団は外壁沿いの残存戦力の有無を確認。その後、胸壁周辺を探査。終了次第戦果の確認に入る」
「了解しました」
ダルミンはすぐに行動に移った。
「聞いていたな?各連隊すぐに集めろ。各連隊で散開、分隊で一定距離を保ちながら外壁沿いを確認する」
「「了解」」
第一戦団もすぐに行動に移る。
「カラン、行くぞ」
「はい」
すでに集まっていた第一連隊は、外壁上から綱を垂らし一足早く壁下に降る。
カランは地に足がつく前にバキリと音を立てて、”平鎧”の死骸の上に降り立った。改めて周囲を見渡す。上を見ると、外壁上付近にはいくつもの”横ツノ”が跳んできた際にできた手形がめり込んでおり、ところどころ液体が滴っている。敵のものか味方のものかはわからない、おそらくはその両方だろう。下を見ると、壁の足元には”平鎧”の死骸が散乱し、壁にも甲殻の破片が飛び散っている。
死屍累々と形容すべきだろうか、何かが焦げた臭気が鼻腔を突く。
「いよっ、おっとと…うっへぇ〜死骸の山で防壁が作れそうだな」
続いておりたバルドは死骸の山に足を取られながらも着地した。
「さすがにこの数は初めてだな」
「そうですね」
先に降りていたダルミンの言に同意を返す。誰もこの数の鎧人を相手にしたことはないだろう。
「揃ったな、各分隊、互いを目視できる距離を保って行動開始」
ダルミンの掛け声と共に動き出す。カランは立場上、自由に動いても文句は言われないが一応周囲を確認して回ることにした。
塹壕はもはや塹壕ではなかった。底が見えないどころか、積み重なった”平鎧”の死骸が地面より高く盛り上がっている。バルドの言うように死骸の山で防壁が作れてしまいそうだ。
「生存個体なし!」
「こちらも異常なし!」
「”横ツノ”の死骸一体確認!」
各分隊から続々と報告の声が上がる。
一足早くカランは胸壁に向かった。胸壁の上には巨岩が一列に並んでいる。
「これか」
カランを追って胸壁に向かってきたダルミンが岩を飛び越える。
巨岩の影を覗くと、一定間隔で砕けた穴がある。おそらくは土台役の”横ツノ”の足が加重で沈み込んだ跡だろう。
「ええ、ここから跳んできたようですね」
「よく考えるもんだ」
巨岩の影から身を上げて外壁を望むダルミン。
「やっぱり化け物だな」
「二度とやられたくはありません」
「だな、改修がいる」
カランはおもむろに胸壁の先へ目を向けた。荒野では、まだパチパチと炎が弾けて火の粉を飛ばしていた。一面焼け野原だ。
「そっちの確認は後回しだ。とりあえず胸壁までを終わらせる」
「わかっています」
そう答えつつも、カランは自らが焼いた荒野から目を離さなかった。いまだ燃ゆる炎は戦禍の残火か、それとも次なる種火か、その判断はつかなかった。




