第二十話:キャンベラ要塞
戦慄鳥との遭遇戦から二日後。負傷者を抱えながらも行軍は大きく遅れることなく続いていた。
毒尾の襲撃。そして戦慄鳥。二度の想定外に見舞われたとことを考慮しても、軍そのものの損耗は最小限に抑えられている。
戦慄鳥の肉は塩を擦り込み荷車へ積まれた。巨大な脚は解体され羽毛も束ねられている。毛抜きされた皮は木組みの枠でピンと張られ天日干しにされていた。また、毒尾の死骸から回収した甲殻や毒腺、鋭利な尻尾の先端も積み込まれ、かぶせ布で覆われている。この大地では命を奪った相手も資源として最大限活用する。
乾いた街道を進み、小高い二つの丘の狭間を抜けたその時だった。
「……見えた」
先頭の誰かがつぶやく。その一言が一陣の風となって隊列を駆け抜ける。
「見えたぞー!」
「キャンベラだ…!」
長い行軍の終わりを感じた兵士たちの顔は自然と明るくなった。そんな兵士たちの視線の先。山の麓に挟まれるように人類最大級の要塞が姿を現していた。
まず目に飛び込んでくるのは、やはり壁。王都ワラネの城門にも引けを取らぬ、見る者に威圧感を与える巨大な壁だ。その手前には七割ほどの高さのもう一つの壁。さらにその手前には人の背丈を優に超える深い塹壕。二重三重に掘り巡らされ、橋を落とせば容易には越えられない。もっとも手前の塹壕の奥には塹壕を造った際に掘り上げた土を固めてできた5メートルの胸壁がある。
内壁。外壁。外堀。この三層構造がキャンベラの鉄壁の防衛施設。
それだけではない。東西には800メートル級の丘が鎮座し、南方には湖といって遜色ない川幅の大河が流れる。
自然地形を最大限利用しながら人の手で築き上げた巨大要塞。
それこそがキャンベラ要塞。
王都ワラネと工業都市ナールムの間に築かれ、内陸へ突き上げられた人類最大規模の軍事拠点である。人が暮らすための殻ではなく、戦うために築かれた巨大な拳であった。
鬼才、工務卿タルナグ自らが一から設計した防衛施設は、山、川、塹壕、外壁、内壁を一つの術式のように組み合わせ人類の橋頭堡として完成されている。
内陸開拓。未知の調査。遠征軍の補給。そして王国防衛。その全てを担う拠点。
駐屯兵は王国軍およそ八千。それに加え、開拓班、調査員。工兵や補給官、文官を加えれば一万五千を超える人員がこの要塞で働いていた。
当初はタルナに次ぐ第二の軍事都市となるべく期待された、人類の新たな英雄都市。しかし、その辺境の軍事都市タルナは陥落した。人々のキャンベラに対する希望は一際大きい。
「ようやく着いたか…」
バルドが大きく肩を回す。パキポキと小気味のいい音が鳴った。
「足腰痛ぇぜ」
続いて腰を伸ばす。またも小気味のいい音が続く。
「十五日も荷車を見ながら歩けばそうもなるでしょう」
「お前は疲れねぇのか」
そんな訳はない。
「もちろん疲れますが」
カランだって人間だ。歩けば疲労は溜まるし、術を撃てば疲弊する。
「そうは見えねぇから聞いてんだよ」
「まだ若いですから」
その答えにバルドはげんなりと表情を頼りないものに変えた。
「若さねぇ…」
そんなやり取りを交わしている間にも要塞はすでにこちらへ気付いていた。先行する斥候はもうすでに到着しているだろう。物見櫓の見張り兵が旗を振っている。
それに応じるように門楼の鐘がなり始めた。
ゴォン
ゴォン
低い鐘の音が要塞全体へ響き渡り、巨大な城門がゆっくりと開いてゆく。
中から現れた兵士たちは一瞬だけ静まり返る。そして。
「援軍が来たぞ!」
「術士兵団だ!」
大きな歓声が上がった。兵士たちは疲れを忘れたように笑う。工兵がその帽子を右手に大きく手を振る。
城壁の上に立つ見張りの兵が。荷を運んでいた補給の兵たちまでが、手を止めてこちらを見る。
その歓声はさらに大きくなった。
「あっ!」
若い兵士が隊列の中を指差す。
「あれ紅蓮の術士じゃないか!?」
「本当だ!」
「カラン殿だ!」
「英雄が戻ってきたぞ!」
カランの元へ一斉に視線が集まる。
「炎の英雄!」
「青脚殺し!」
「俺たちの英雄が帰ってきた!」
カランは要塞を見上げ、眉を寄せた。
「……」
「ここは相変わらずだな」
バルドはご機嫌に鼻を鳴らす。
「人気者〜」
ミラリまで笑っていた。
「勘弁してください」
「そりゃ無理だろ」
バルドは腹を抱えて笑う。
「ここじゃお前さんは有名人だからな」
「これがキャンベラ要塞。すごい歓声ですね」
ヤラミラは要塞の威容とともに、この歓声にも呆気に取られた。
「要塞に入ったらこんなもんじゃないぞ」
ダルミンはニヤリと笑う。
「これよりもさらに…」
それは一体どれほどなのか、ヤラミラは思わず生唾を飲み込んだ。
「カランはワラネでも人気だが、その火付け役はこのキャンベラだ」
「青脚殺し、ですか」
「そうだな」
壁の上では見回りの若い新兵が隣の古参兵に訪ねていた。
「そんなに凄い人なんですか?」
「おいおい知らないのか?」
古参兵は目を丸くする。
「よしよし、それじゃあ教えてやる!」
古参兵は嬉しげに話し始めた。
「この要塞が建つ前の話だ。この地に目をつけた軍部と工務卿の指示の下、工事が進んでたんだが、基礎工事まででその先の着工はできずに止まってたんだ」
「基礎工事は終えていたのに?」
「ああ」
古参兵は要塞の南東を指差した。その方向にはアウストロメリア最高峰の2000メートル級の山々が連なっている。
「あの辺りは昔から百脚のナワバリだった」
若い新兵は息を呑む。
「百脚…」
百脚。地脈の主人。
ムカデに似た巨大な異形の民。長命。高い知性。他異形種も寄せ付けぬ膂力。
古くは地域にもよるが信仰の対象にすらなった、その存在自体が伝承のような存在。
「その百脚だがな」
古参兵は続ける。
「その一体の百脚はおかしな奴だった」
「おかしな?」
古参兵が頷く。
「百脚ってのは、そう呼ばれるだけあって、たくさんの脚が特徴だ。赤とか黄色の脚がな」
「はぁ」
「だがそいつは脚が真っ青だった」
「真っ青?」
「ああ、しかも川にも潜る」
「…え?」
百脚の別名は地脈の主人。大地を容易に掘り起こし移動する。地面に潜りこそするが川に潜るという話は新兵は聞いたことがなかった。
「人里にも出る」
「そんな!」
普段は人前へ滅多に姿を現さない。無用な争いも好まない。だからこそ遭遇そのものが稀だった。
「工事なんか始めるたびに、あっちの川から飛び出してきてな。全部ひっくり返しやがった」
その個体は人類から”青脚”と呼ばれていた。
本来は陸棲の存在たる百脚でありながら、水辺への異常な適応を示した突然変異。
青く染まった無数の脚。広すぎる行動範囲。人里を避けぬ異質さ。
「それを」
古参兵はカランを見る。
「討伐したのが、あの人だ」
新兵は今まさに外壁の城門を潜るカランを見た。あれが紅蓮の術士、炎の英雄。
「うおおおお英雄ばんざーい!」
自然と声に出ていた。拳を突き上げて英雄を歓迎する。
「はっはっは!英雄万歳!」
古参兵も思わず釣られて拳を空に掲げた。
歓声の中、部隊はゆっくりと要塞の中へ入る。外からでは分からなかった内側の広さにヤラミラは思わず足を止めた。
外壁と内壁の間だけでも家屋が一棟建つくらいは余裕である。荷車が行き交い、工兵が石材を運び鍛冶場では鉄を打つ音が絶えない。兵士たちは槍の穂先を研ぎ、術士は触媒の整理を行い、軍医は担架を押して走る。ここには戦うために必要なものが全て揃っていた。
「これが全て要塞の中に…」
ヤラミラは思わず呟く。
「そう、これがキャンベラ要塞」
後ろから続いてきたダルミンは短く答える。
「軍の街だ」
その一言で充分だった。生活はある。食堂もある。鍛冶場もある。倉庫もある。だがそれは市民のためではない。全て戦う者のためだけに存在する。
キャンベラ要塞とは、人類の都市そのものを一つの軍隊へ変えた場所だった。
その時だった。
要塞そのものが揺れているかと錯覚するほどの割れんばかりの大歓声がキャンベラを包んだ。
「お、カランが入ったな」
「す、凄い」
ヤラミラは自らの足元を見た。地面が揺れていると勘違いしたからだ。
「青脚殺し!」
「紅蓮の術士!」
「炎の英雄!」
城壁の上から声が飛ぶ。
「カラン殿!」
「本当に帰って来たのか!」
「戦慄鳥まで狩って来たって本当か!」
荷車へ積まれた巨大な脚を見つけた兵士たちがどよめきを上げる。
「うわっ!」
「あれ戦慄鳥の脚じゃねぇか!」
「今日は宴だ!」
空気が一際明るくなる。
いかに巨大な戦慄鳥とはいえ、要塞全員が腹一杯食べるのは難しいだろうが、一切れ程度なら口にできるかもしれない。
「今日は歓迎会までついて来そうだね〜」
ミラリは片手で目の上に庇を作りながら要塞内を見渡す。
「食べられるうちに食べておいた方がいいでしょう」
「夢のねぇ英雄だなお前は。まあ同意だが」
バルドは食のことにはいつも前のめりだ。
「う〜ん、うるさい…」
そんな中、かぶせ布に覆われた荷車の中でルナリは触角を丸め、膝を抱え小さくなっていた。
カランもできればそうしていたいと思いながら内心それに同意した。




