第十九話:戦慄の怪鳥
生い茂る低木の葉が左右に揺れ、乾いた大地を強く踏みしめる音が響く。一歩、また一歩。大地を底から揺らすかのようなその足音は、荒野の生命に死の接近を告げていた。
低木が弾け飛び、砂礫が飛び散る。ついにソレが姿を現す。
「KIIIIIYEEEEEEEEEE !!!!!!!!!!!」
耳をつん裂くような甲高い咆哮が、荒野の空に響き渡った。
誰もが思わず息を飲んだ。
その頭頂部は優に高さ3メートルは超え、見上げる者をを圧倒的な威圧感でねじ伏せる。踏みしめる太い二本脚。大地に食い込む鋭い鉤爪。長く太い首。何よりも目を引くのは、美しくも禍々しい巨大な鉤状に湾曲した嘴だ。肉食獣の牙を全て溶かし合わせて一本の鋭利な斧に仕立て直したかのような重厚かつ鋭利な刃。それは獲物の肉を切り裂くだけにとどまらず、硬い骨をも一撃で粉砕する”処刑人の極刑斧”そのものであった。
「戦慄鳥…」
誰かがこぼした。その名を聞いただけで兵士たちの顔色が変わる。
戦慄鳥。
このアウストロメリアの大地に棲む最大の肉食鳥類。翼は飛ぶためではなく巨体の均衡を保つ程度にしか残っていない。だがその代償として得た脚力は想像を絶する。それは一蹴りで”鎧人”を甲殻ごと粉砕するという。
咆哮を終えた戦慄鳥は、その琥珀色の瞳を憤怒に燃やし、獲物を探してゆっくりと首を傾げた。強靭な二本の脚は、まるで一本一本がそびえ立つ大樹の幹のようであり、鱗に覆われた爪は冷たい鋼の輝きを放っている。空を飛ぶ自由を失った代わりに、この怪鳥は地上を支配する速さと力を手に入れたのだ。
広大な草原の頂点捕食者。異形種ですらナワバリを避ける怪物だった。
「毒尾どもが逃げるわけだ……!」
バルドがうめく。
風が吹き抜け、荒野の支配者の羽毛をわずかに揺らす。
狩りの時間が始まる。
ドゴォッ!
戦慄鳥の蹴りが、一体の毒尾の側面を捉えた。甲殻が砕け散り、身体が宙を舞う。数十歩先まで吹き飛ばされ毒尾は地面へ叩きつけられた。生きてはいない。
ガツ!ガツ!バキン!
戦慄鳥が重厚な嘴を打ち鳴らす。
「KIIIIYAAA!!!」
再び咆哮。
今度は嘴だった。逃げ遅れた毒尾を頭ごと咥え、そのまま振り回す。
乾いた音が鳴る。
ブチリ
甲殻が飛び散り、毒尾の身体が地面に転がる。首から上はなかった。
毒尾たちはもはや人類など見ていない。六本脚を懸命に動かし、我れ先に湖底の向こうへ逃げていく。
「総員警戒!」
ダルミンの怒声が響く。
「目標変更!隊列を整えろ!戦慄鳥を迎撃する!」
だが怪鳥は命令を待ってはくれない。巨大な脚が地面を蹴る。
ドン!!
ドン!!
一歩ごとに地面が揺れた。
「来るぞ!」
正面からの突進に対し兵たちは盾を構える。それは訓練された兵たちの習性でもある。敵が突撃してきたら盾を構え、その場で踏ん張る。それが最も生存に直結すると教え込まれるからだ。
しかし。
「散れ!」
カランは叫んだ。次の瞬間。
ドガァァァン!!
盾列そのものが吹き飛んだ。
叩きつけられた嘴は兵士の頭部を粉砕し、上半身を半ばまで真っ二つにした。たとえ”ツノ持ち”であろうと、そのような芸当は不可能だ。
「ひいいい!!!?」
その光景を目前にした兵士が恐怖の叫びをあげる。
隊列に突き込んだ戦慄鳥は巨大な脚で盾を踏み砕き、人ごと弾き飛ばしていく。兵たちはあまりな味方の死に様に逃げ惑うように距離を取った。
「ぐああっ!」
「負傷者を下げろ!」
ヤラミラの号令が飛ぶ。
「第三小隊!救護!」
「第二小隊!槍を構えろ!」
戦慄鳥は巨体だ。兵を避けて上半身に攻撃を当てるのは難しくない。火術が放たれ、炎が羽毛を舐める。チリチリと焼け焦げた音が聞こえるが戦慄鳥は止まらない。
「GIIIYEEEEEEE !!!!!!」
血ぬれた嘴から吐き出される咆哮はむしろ憤怒に染まっていた。
「硬ぇな!」
バルドが叫ぶ。
「羽毛が熱を逃してやがるのか!?」
「羽毛ではありません」
羽毛は焼け焦げている。
「単に筋肉量が馬鹿げているだけかと」
「あぁ!?」
カランは怪鳥から目を離さない。
「止めるならまず脚を狙いましょう」
巨大な脚。あの脚力が機動力の源。
「あれを止めます」
「できんのか!?」
簡単ではないだろう。あれだけの巨体を支える脚だ。足先さえとんでもない太さ、おそらくは嘴の次いで頑丈な部位と思われる。腿肉の膨れ上がりは人類と比べるのもおこがましい。
「試行するなら最善です」
カランは静かに息を吐いた。
指先に火を灯す。火種は風に少し揺れた。
「ミラリ先輩」
「了解!」
言葉はいらない。
「第二連隊!」
風が怪鳥の眼前へ砂塵を叩きつける。
視界を潰された戦慄鳥は首を振いつつも動きを止めない。しかし、その巨体はよろめいた。第二連隊によって泥化された地面に足を取られたのだ。だがまだ止まらない。
「そこだ」
カランは指先を泥化した地面へ向ける。
爆炎。
戦慄鳥ではない。その足元。
泥化した地面は乾いた地面ごと爆ぜた。
砂。石。土。
全てが舞い上がる。
「KIIYEEEE!!!!」
巨体が一気に傾く。
「今だ!」
ダルミンが叫ぶ。
「第三連隊!」
タルガンが手を振り下ろす。
十数発の火術の一点集中。大地を踏みしめんとする脚部へ。
轟音。火炎。爆発。
戦慄鳥の片足がついに崩れた。
怪鳥の巨体が地面を打ち、地響きを鳴らす。
「GIIIIIIEEEEEE!!!!!」
怒りの絶叫。
「総員攻撃!」
起きあがらんとする戦慄鳥に火術、土槍、矢が降り注ぐ。それが止めば、続いて何人もの兵士が槍を突き立てんと殺到した。
戦慄鳥はなおも暴れた。首を振り、脚を振り回し、何人もの兵士を弾き飛ばす。それでも一撃、また一撃。人類の攻撃が野生の巨体を削る。
やがて、怪鳥は大きく首を持ち上げーーー
「…KIIiiii……」
最後の鳴き声を漏らし、巨体を横倒しにした。
大地がわずかに震えた。
静寂。
誰もすぐには動けなかった。土煙だけがゆっくりと流れていく。
「…討ち取ったぞ!」
誰かの叫びが上がる。所々で声こそ上がったものの大きな歓声は起きない。疲労の方が大きかった。
その頃には毒尾の姿は一体も残っていなかった。
戦慄鳥の死を確認すると、各隊は一斉に動き始めた。
「負傷者を集めろ!」
「毒傷の者を優先だ!」
「荷車の確認!」
「周囲の警戒は怠るな!」
怒号が飛び交う。戦いは終わったが、軍はまだ止まれない。
軍医たちは毒尾の毒に侵された兵へ解毒剤を流し込み、工兵は壊れた荷車を起こして車輪を点検する。戦慄鳥の巨体には既に何人もの兵が集まっていた。
「毛皮を剥ぎとれ!」
「ばっか!先に血抜きだ!」
「改めて見てもでっかい嘴だな」
「キャンベラにいい手土産ができたな」
戦慄鳥は筋肉の密度が非常に高い。
肉は固く筋張って焼いた程度では食べれたものではないが、塩漬けにすれば非常に優秀な保存食となる。これほどの巨体だ。肉だけでも数日はもつ。羽毛も、骨も、爪も捨てるところはない。この大地では全てが資源だった。
少し離れた場所。カランは乾いた湖底を見ていた。無数の足跡と毒尾の死体。それに続く戦慄鳥の巨大な足跡。そこへバルドが近づく。
「何見てんだ?見張りは他にいるだろ」
「足跡です」
「足跡ぉ?」
「妙です」
バルドは眉をひそめる。
「戦闘中にもなんか言ってたな」
「ええ」
カランは視線を落としたまま続ける。
「毒尾は逃げるだけなら、もっと早く逃げられた」
「……」
「それなのに最後までこちらへ攻撃を続けた」
「まあ、そうだな」
「戦慄鳥が現れることを知っていたようにも見えます」
バルドは鼻を鳴らした。
「偶然じゃねぇのか?」
「偶然なら、それで構いません」
そう答えながらもカランは納得していなかった。毒尾は人類を狩りに来たようには見えなかった。荷も奪わない。死体も回収しない。ただ傷だけを与え続けた。そして戦慄鳥が現れた瞬間に逃げ出した。
「……」
何かがおかしい。
だが、何がおかしいのかは、まだ分からない。
「戦団長殿」
ヤラミラがダルミンへ歩み寄る。
「この場で野営しますか」
ダルミンは周囲を見渡した。
日も傾き始めている。負傷者もいる。荷車も修理が必要だ。
「いや」
短く首を振る。
「ここは戦慄鳥のナワバリだ。ツガイがいないとも限らない。血の匂いに誘われてオオコウモリや他の獣が来ても面倒だ」
「では」
「少しでも離れる」
ヤラミラは静かに頷いた。
「各隊へ伝達します」
夕日は赤かった。戦慄鳥の血も。毒尾の体液も。兵士の血も。
すべて同じ色に染め上げながら、大地へ沈んでいく。
行軍は再び始まった。
キャンベラは目前まで迫っている。




