独白
俺達は水族館の近くにある公園にあるベンチに腰を下ろした。さっきまで何も意識する事の無かった風が頬を掠めていく。神妙な顔つきの
香織からはこれから始まるであろう話の重さが如実に語られていた。
「…私には昔、好きな人がいたんです。」
その言葉を発した香織は目線は過去を遡り、その意味の示す通り、その相手は既に存命していないのだと語るには十分過ぎる程に体を表していた。
子供の頃の話です。その時の私は身体が弱く、友達が少なかったものですから、外で遊ぶなんて事もましてや、相手も居ませんでした。
ある時、風邪を拗らせて長期間の入院をする事になったんです。入退院を繰り返していたものですから長く入院する事になると母親から聞かされても又か、としか思えなかったのを憶えています。
「ね〜暇だよ〜。お母さん。」
「しょうがないでしょ。もう少しで退院するからその時はかおちゃんの好きな場所に連れていってあげるから…。」
「ほんと!じゃあ、香織ね〜。遊園地に行きたい!いいでしょ…。」
「うん。いいよ。」
見舞いに来てくれる人は家族くらいしか居なくて凄く暇を持て余していました。
そんな時でした。修造お兄ちゃんと出会ったのは…。
「これ見るかい?」
「なにそれ?」
「演劇だよ。わかるかな?」
私は演劇に夢中になりました。私とは違い、生き生きとしてそれでいて自信に溢れている演者さんの演技。丸でこの世界から切り離されて別世界にでもいるような空間に一瞬で虜になったんです。私も演劇をやってみたい。私もこの人達のように羽ばたいてみたい。そう思うようになりました。
「香織ちゃんは俳優さんになりたいのか。」
「うん!こんな風になりたいの!」
「いいね…将来の夢があるのは…。」
「お兄ちゃんはないの?なりたいもの?」
「僕はもう…。」
修造お兄ちゃんは8つも年上で、出会った時には高校生になっている年齢でした。私と同じように小さい頃から身体が弱く、入退院を繰り返していたらしいです。その時の自分と私を重ねて話し掛けてくれたそうです。それが私は嬉しくて修造お兄ちゃんの事が子供ながらに好きになっていました。
「ああっ!また病室から抜け出して!駄目じゃない。そんな事じゃ病気も治らないよ!」
「茜…ここも病室だから静かに。」
「あっ…御免なさい。って貴方が抜け出すからじゃない!」
お兄ちゃんには幼馴染がいました。それが茜さんという長い黒髪をした綺麗な女性です。
「香織ちゃん、こんばんは。こいつに変な事吹き込まれなかった?」
「あかちゃん大丈夫だよ。今ね、お兄ちゃんにご本を読んで貰ってたの。」
「そう良かったね。」
これは私の勘ですが、多分お兄ちゃんは茜ちゃんの事が好きだったんじゃないかと思います。茜さんはお兄ちゃんと年が同じでお兄ちゃんと違い、身体が丈夫な人でした。
そうですね…。櫻木先輩に雰囲気がとても似ていたと思います。
お兄ちゃんと茜さんが喋っているのを観ていると胸がチクリと痛む事が時々ありましたが、それ以上に二人が仲良くしているのが凄く微笑ましかったです。
お兄ちゃんは高校では演劇部に入っていたそうです。でも直ぐに身体を壊して退部する事になりそれどころか学校にも行けなくなりました。
そんな状況にも関わらず、お兄ちゃんがまだ元気でいられたのは茜さんの影響が大きかったのだと思います。何時も学校が終わると直ぐに御見舞いに来ていたそうですから…。
「茜…何時も御免…。茜にだって予定があるのに…。」
「何言ってるの!私とあんたの仲じゃない!気にしない気にしない。」
「もう…いいんだ…。僕には将来なんて…。」
「暗くならないの!俳優が駄目でもさ…。他の事をすればいいじゃない。まずは病気を治さないと…。」
「…うん…。そうだね…。」
茜さんは私と二人だけの時に教えてくれました。お兄ちゃんがかつて舞台俳優になるという立派な夢があった事、それを病気のせいで諦めざる負えなかった事を…。当時の私は子供でしたから言っている事の半分も理解出来てはいなかったですが、それを離す茜さんの神妙な面持ちがその重大さを物語っているのは分かりました。
「お兄ちゃん!かおりね、がんばるから!お兄ちゃんの分まで俳優?さんになるから!」
配慮などまったくなく、後日お兄ちゃんにその事を話した時も優しく笑ってくれました。
「そうかそうか…。香織が代わりに頑張ってくれるのか…。それは嬉しいな…。」
私の頭を撫でながら、語るお兄ちゃんの目には少しばかりの涙が溢れていました。
それがお兄ちゃんの笑顔を見た最後でした。
ある時の話です。何時ものようにお兄ちゃんの病室へ遊びに向かっている最中の事でした。
その時の事は今で瞼の裏にこびりついています。何時もと違い何か騒がしかったんです。子供でも病院がどんな所なのかは分かります。私は速くなる胸の鼓動と勘とは違う何か嫌な空気を感じました。
病室に着くと、そこにはお兄ちゃんと…他には見たことが無いおじさんとおばさんが居ました。見慣れない人達に戸惑いながらもホッと息を漏らし、側に寄ると…お兄ちゃんが元気がありませんでした。
ただ元気が無いだけじゃない…その姿は精気が抜け出して、元々白い肌が透け、消えてしまいそうな程に存在感が無かったんです。
「どうしたの?お兄ちゃん…。」
私は恐る恐る尋ねました。お兄ちゃんは水分が無くなり乾いた口で答えてくれました。
「茜が…死んだんだって……。」




