第77話 上野駅13番ホーム
明治37(1904)年11月 上川宮廷新本部・2階テラス
「あら? 良いお茶ですわ、姫宮」
「違いがおわかりですの?」
「ええ。わかりませんの?」
「いえ。玲那は皇族とて、ほとんど上川育ちですから」
アフタヌーンティースタンドを載せた小さな卓を淑やかに囲む若娘が二人。
「フゥー…っ」
閑院宮がデッキの椅子に腰掛けて、帝都郊外の夕焼け空に重い煙を吐き出し、
「うおおおおおおお!!!」
その脇を秋山が駆け抜ける。
そこにはいつもとなんら変わりない、宮廷の常景が広がっていた。
「ぬがぁぁぁ!ぶこぉぉおおピー!」
「……いかがなさって。喧しい」
「やかましくねぇよ」
彼は立ち止まって青い顔を曲げる。やかましい。
「だ、だだ大事な資料が海軍から消えたんだ。朝から海軍省総出で真っ青でな。居ても立っても居られない訳だ」
「機密文書にございますか?」
「いやそういうわけではないんだが。海軍としては持ち出されると非常に非常に困る資料で――」
「資料で?」
「………」
「少将?」
秋山が珍しく沈黙を貫くので、何事かと玲那は振り返る。
彼は硬直して、ある一点を見つめていた。彼の眼の焦点が捉える方向へと視線を持っていく。
「?」
何か『海軍将校公費用途/軍外持出厳禁』と記された資料をひらつかせて、その娘は玲那の目の前に座っていた。。
「で。秋山海軍少将。これは一体なんですの?」
「ちょ、おま、なぜ資料を!!?」
「将校公費。内訳、高級煙草、25年モノのワイン、吉原、賭博、負け金の配当……。随分国税をご贅沢に浪費されていらっしゃってねぇ?」
「待て!賭博と負け金はともかく吉原は俺じゃない!」
「……はぁ、賭博と負け金も否定して欲しかったのですけれど」
ポットを円卓に置きつつ掛澗が続ける。
「来年から将校公費は半減ですわね」
「やめろぉ!俺が、いや俺より海軍軍令部の将官がたが死んでしまう!俺の上官が廃人になったら俺はどこに転職すればいいんだ!」
「転職前提で動かないでくださいまし」
「職業凱旋所に行ってどっかの工場労働者になって毎日メーデーか、悪くない」
「貴方が凱旋されるのは病院ですわよ?」
「医師か」
「患者でしてよ」
掛澗が溜息をつきつつ、各々のティーカップに茶を淹れてゆく。
「あッ、そうだ! それ持出禁の資料だぞ! 不法に持ち出しやがって、返せ!」
「むしろ大蔵省の諜報部隊ごときに突破されてしまう海軍省の低すぎるセキリュティ意識を恥じてほしいですわ」
「いやお前ら子飼いの諜報部隊の実力がおかしいんだろう、これまで英国、フランス、ドイツのスパイを吊し上げてきた皇立統合防諜部だぞ、低いわけが」
「そりゃあ外人のスパイよりはつかまりにくくってよ」
「……なるほど確かに」
皇國陸海軍の統合防諜部の防諜意識の低さが露呈してしまった。玲那たち陸軍も他人事じゃない、戦後には速やかにテコ入れせねば。
「いや待て話が逸らされた! なんとしてでも機密資料を取り返さねば」
「やってみれるのでしたら、ね」
掛澗はティースタンドに備え付けてあった、呼び出し鈴みたいなものをカチリと押した。
ピーンポーン!
「令和の世の飲食チェーンですか」
「鈴を鳴らした程度で何を、返してもら……」
「お呼びでしょうかお嬢様ァ!?」
バタン、と扉を乱暴に開けて建屋の中から紳士が飛び出してくる。
「高橋、これを大蔵省に」
「了解です!」
掛澗が例の資料を彼にぶん投げた。
「あ、お嬢さま! 犬養毅動員計画掛がお嬢さまにお会いしたいと……」
「あすに回してくださいまし。午後は先約がありましてよ」
「承りました!」
掛澗が丁重に断ると、高橋と呼ばれた男は駆け出そうとする。
断末魔を上げながら手をのばす秋山を横に、玲那はどこか彼の顔と高橋という名前に既視感を覚える。どこか――、そうだ、人物伝で見たような。
廊下の先に消えていく男の背に、玲那は思い出す。
「高橋って、まさか……名は、是清ですか?」
「当たり前ですわよ? それ以外誰が大蔵省にいらして?」
「トンデモ人材ではありませんか」
満更でもなさそうな顔で、彼女は肩をすくめる。
「ええ。高橋是清には井上準之助とともにわたくしの両腕兼懐刀となって頂いておりましてよ。あいにく来年には吉田茂も取り込ませていただきますわ。」
「はぁ!? 才人根こそぎ大蔵省に持ってく気か!!」
「優秀な人材は片っ端から最前線でこき使って、練度を上げていくのがわたくしのやり方ですの」
「クソ……俺も後継育成せにゃならんな。鈴木貫太郎はもう水雷戦隊任せられるには育ったし、とりあえず今期任官の高野五十六と嶋田繁太郎を……」
「随分と評価が雲泥の二人を持っていらしますね」
「史実の活躍如何で判断したらそれこそ枢密院だ。とりあえず有名所は使い倒して戦訓を……、いや死なれても困るしなぁ!」
「その点、お嬢さまの後継育成って効率がよろしくございますね。最前線のごとく砲弾が飛び交うわけでもなくってよ、少なくとも過労のほかで死ぬことはございませんし」
「ふふ、勤務管理には気をつけていましてよ」
掛澗はティーカップに口づけつつ笑う。本当か?
高橋是清たちは大丈夫なのだろうか。
「しかし、玲那くんのところも居るじゃないか」
「はい? 誰が、にございましょうか」
「確か第1装甲中隊の第2小隊に小隊長として山下奉文少尉が、第2装甲中隊第4小隊には東條英機少尉が、両人とも士官学校卒業直後に任官されて裂号従軍だったはずだが」
「はぁ!?」
初耳なんだが。
「まぁ、枢密院の意向も働いたのではなかろうか? 連隊にはのちの『戦犯』とやらが数多くいるようだしな」
「うわあ……物凄い人事でしたのですね。作戦中は怒涛の進撃やら政治的取引やらで衛戍府につきっきりでしたので、顔を合わせる機会がなくって。気づきませんでした」
向こうに戻ったらもう一度確認してみよう。意外に有望な、そして無謀な人材がたくさん揃っているのかもしれない。
ティーカップを傾け、一息つく。
戦時中とは信じられないほどに穏やかな、夕刻のひとときだった。
おもむろに閑院宮が、ふぅ、と白い息をつく。
「やはり、お嬢の淹れる茶は美味い」
「同意です、親王殿下。こちらで長らく世話になっていますが、一度も味落ちしたことがない」
「よろしいことにございますね、帝都組は。こちらは毎日井戸水ですのに」
「ふふん、淹茶も淑女の嗜みですわ」
満足気に胸を張る掛澗はどこか微笑ましく。
「……ふぅ、定刻ですわね」
その言葉を聞いて、ずいぶん時間を忘れていたことに気づいた。
「上をご覧くださいまし」
掛澗がおもむろに指をさして、空を仰いだ。
「「「??」」」
皆が訝しげに直上を見上げると、そこには一つの鳥の影。
「……いいや、違う?」
鳥ではない。
随分と直線状の、二重構造の翼を持っている。
それをピクリともバタつかせず、代わりになにかが前の方で回転していて。
「なんだ…あれ」
「新手の凧か?」
「生きている、という感じはございませんけれど」
その影が近づくにつれて目を丸くする。
「……人工、物?」
「ッ! あれは…!」
東の空から現れたそれは、悠然と帝都の上空を滑空する。
プロペラを回し、複葉の主翼にははっきりと赤い日の丸を描き――、
尾翼には、『武運長久』の垂れ幕を棚引かせ。
掛澗は落ち着き払って、ばっと扇を開く。
「二宮忠八技研主任技師ひきいる、航空技術開発班の傑作ですの。
――キ2試製偵察機『金鵄』。」
掛澗は笑う。
「これが初の長距離飛行でしてよ。」
「にの…みや、忠八…?」
間違いない、二宮忠八の名は聞いたことがある。
遠い前世のテレビ番組か何かで詳しく知った。
曰く"悲劇の航空研究者"。
明治20年には固定翼を着想して空を志し、日清戦争までには動力源問題を残しつつも有人航空機を落成。衛生兵として従軍中に航空機開発を軍部へ掛け合うも、当時の上官だった長岡外史大佐(当時)には理解されず却下。旅団内では随分と小馬鹿にされたそうだ。
その後資金面で行き詰まり、これを稼ぐために製薬会社で支社長まで成り上がった所――ライト兄弟に先を越された。
ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物であり、あと一歩のところで彼らに及ばなかった研究者である。
「一号機のキ1『玉櫛』は今年1月に、陛下と陸軍参謀次長の見守る中、極秘裏に初飛行を遂げましたわ。……5年前から予算を投入して開発を進めていましたのですけれど、それでもライト兄弟に1ヶ月という僅差に負けたのは、悔やんでも悔やみきれないところですわね」
それでも今年初頭の段階では二宮ら技研もライト兄弟自身も、情報秘匿のため積極的な公表を控えたため、世界的には航空機による有人飛行という偉業は伝わっていなかった。
それよりも、旅順湾攻撃で積極使用された飛行船戦術の研究へ、列強や世界は沸いていたのであった。
「けれども1年近くを経て、『玉櫛』を遥かに凌ぐ、高度500、航続時間40分という革新的な複葉機にまでたどり着けましたの。それが、この『金鵄』――」
掛澗は直上の機体を指差した。
「燃料空気を貯めずとも、鳥のように浮き上がるのか……?」
「……信じがたい」
閑院宮と秋山は呆気にとられて空へ視線を釘付けにする。
「国内、並びに世界に向けてのプロモーションでもありますわ。これが『世界で初めて大々的に公開・記録された高高度・長距離有人飛行』となりますもの」
「今頃帝都の民は大興奮……それに、列国の記者たちは大狂乱でしょう」
「ええ。戦時中にここまでのイベントを成し遂げるような皇國、その継戦能力は未だ――計り知れない、そういう印象を植え付けるのが目的でしてよ。『皇國優勢』という世界的見解を崩さないための、いわば虚勢ですわね」
掛澗は、一旦そこで言葉を切る。
けれど――、一番の目的は、と。
少し照れくさそうに、躊躇いげに掛澗は続けた。
「この死闘、わたくしだけが戦場に立てませんもの。
せめて、みなさまの武運長久へ祈りを込めて――わたくしからの贈り物ですわ」
茜色に美しく染まった西空。
富士の稜線にゆっくりと沈みゆく陽の、その光は。あたたかく、やわらかく、妥協本館2階テラスの一隅に置かれた円卓を、包んでいた。
「…――そろそろ、お時間ですわ」
彼女は名残惜しげに、そう呟いた。
玲那は自分の腕時計へ目を落とす。
間もなく列車の時間か。
「願わくば。この時間が、ずっと」
一行は、上野駅急行ホームへと場を移し。
閑院宮がゆっくりと煙草を下ろす。
「ふと、そう感じてしまった。まだ戦時真っ只中にも関わらず――まったく、皇國軍人として情けないことだが、な」
くつくつと、いつもの笑いを漏らす親王殿下。
明治23年、出会った頃はまだ尉官だったのに。
「思えば、親王殿下とはもう14年になるのですね」
「ああ。全く、玲那くんも大きくなったものだ」
「ははっ。そこの皇族がた、北鎮組を除いても……なんだかんだでこの集まりはもう10年になるんだ。軍人ばっかの集まりなのに一人も欠けてねぇたぁ奇跡だよ」
「不吉なことを言うな、秋山少将」
いえまさか、と秋山は首を振った。
二人の将官のやりとりを傍らに、いくらかさみしげに玲那は声を漏らす。
「戦地で尽き果ててこそ、軍人の誉れ。入営のときは、そう誓ったはずなのですけれどね」
「なにがだ?」
「あなた方にはそう在って欲しくない。不出来な軍人で、ごめんくださいませ」
もちろん玲那は死にたくない。これは最前提だ。けれどそれと同じくらいには、学修院で出会ったこの仲間たちが欠けるのは癪だ。
閑院宮が苦笑のような白煙を吐く。
「くはッ。我らは皇國軍人。徹底的に足掻いて、藻掻いて。そうでもやってダメなら、死を以て潰れるもまた……軍人の責務。」
「ま、死ぬときゃ死ぬだろうな。特に俺なんて弾薬庫誘爆でも起きたら艦と一緒に殉死だ。こればっかりゃ運命よ」
秋山が言葉を切ると、一拍置いて閑院宮が継ぐ。
「されど――。吾等が簡単に死ぬと思うなよ?」
それを聞いた秋山は笑う。
「はは、全くだな。見縊ってもらっちゃ困る」
「確かに貴方は容易くくたばるようなキャラじゃありませんものね?少将閣下。」
「それは一体どういう意味だ」
「まぁ少将閣下に戦死なんて似合いませんもんね」
「なんてことを、俺の職業をなんだと思ってる」
「ニート」「フリーター」「Youtuber」
「なるほど俺には人権がないらしい」
秋山がホーム端の柵にもたれ掛かって黄昏の空に黄昏れ始める。
「あーもう、締まらないものですね……!」
音を上げたように玲那は嘆く。宮廷名物グダグダ茶番だ。
「まぁ、ある意味健全な兆候だろう。一大決戦を前に緊張感ゼロなんぞ我らが上川宮廷くらいなもんだ」
「はは……とんでも組織ですよ」
ふははっ、と自虐げに笑う閑院宮と玲那に、掛澗ははにかむ。
「あら? わたくしは好きですわよ。――この雰囲気」
ふっと閑院宮も笑い返す。
「当たり前だ。嫌いだとでも思ったか?」
「親王殿下に同じです。……秋山!聞かれておりますよ!」
「誰も聞いてねえだろ! や、嫌いじゃないが」
上野駅の地平ホームに夕陽が差し込んで。
暫く、心地の良い静寂が流れてゆく。
烏が鳴き、電線が揺れ、遠くに夜行の汽笛が響く。
あの橙色に染まった稜線の先――遠く西北の大陸へと、玲那たちは旅立つのだ。
「長いようで短かった、本土休暇でした」
茜色の世界も、徐々に紫がかった紺色へと呑まれてゆく。
「……戦間の平穏はお開きですね。戻りましょうか、自分たちの持ち場へ」
暮れる日を背に、掛澗は立ち上がった。
その後ろにゆっくりと、青森行きの急行列車が滑り込む。
「では皆様。留守番は任されましたわ。
全員帰ってくるまで、必ずここで待っています」
18時に上野を出るその列車は、玲那たちを死地へ誘う急行線。
されど、断じて片道切符じゃない。
半月前のように、この13番ホームへ。
誰一人欠けることなく玲那たちはまた、戻ってこられるはずだから。
「ですから。安心して――」
茜光が反射して、彼女の長い髪が眩いばかりに輝く。
掛澗は笑った。
「征ってらっしゃいまし。」
玲那は待合席から立ち上がる。
閑院宮が続き、秋山も大慌てでホームの端から跳ね上がるように舞い戻る。
ビシリ、と直立して。
玲那たちは、再びこの4人でここに揃えることを祈りつつ、
…――否、誓いつつ。
敬礼する。
「「「征って参ります」」」




