第58話 交渉決裂
明治37(1904)年1月27日
上川宮廷新本部
「最終確認を行う」
閑院宮が号を発した。卓上には彼をはじめに秋山、掛澗、そして玲那。4年前の追放以来の全員集合である。
「現時点での皇國陸軍の編成は以下の通りだ」
彼に合わせて、玲那は資料を自身含め全6名に配る。
「説明いたします。とはいえ、ご覧のとおりですね」
[鴨緑江総軍]
第1軍 -朝鮮方面
◎近衛師団 ◎仙台鎮台 ◎第十二師団
第2軍 -旅順強襲部隊
◎大阪鎮台 ◎第十一師団 ◎焼撃連隊
[満州総軍]
独立第26連隊『魁星』
第3軍 -外満州方面
◎東京鎮台 ◎広島鎮台 ◎北海鎮台 ◎第九師団
第4軍 -内満州方面
◎熊本鎮台 ◎名古屋鎮台 ◎第八師団 ◎第十師団 ◎第十三師団
「第2軍、旅順強襲部隊には海軍陸戦隊も含まれてございます」
「海軍陸戦隊?」
お嬢様が問う。先程から回転椅子で資料を両手で持ったまま、ずっと高速でぐるんぐるん自転し続けている秋山がそれに答える。
「威海衛では、多数のカヌーや艀に兵士が乗り込んで、必死にオールを漕ぎ回し着岸してからの戦闘開始だった。吹きさらしにされた上陸隊の兵士の身体には銃弾が注ぎ、多くが上陸までに命尽きることとなった。だがぁぁぁ―――」
「秋山大佐、聞こえにくいのでストップ」
「トラップ!」
彼はそう叫んで窓側へ回転しながら進む。そのまま足を思い切り壁に激突させてしまい、あふぅんとか言いながら転げ回った。うるさい。
「お答えなさらぬならば、臨時軍費を陸軍に全部お渡ししても??」
「よくってよ! ください! 禁闕にもっと!」
「ダメだ! 答えるからそれだけはよしてくれ!」
玲那がすかさず叫ぶと彼は絶叫して椅子ごと円卓に舞い戻った。
「大発動艇だ。着岸とともに艇首が開いて、一気に前進突撃する形だ。水陸両用車も作ろうとはしてみたが、肝心の進水時に沈んでしまったので断念した」
「なんですか、水陸両用車までつくったのですか……」
どこまで歴史を進めようとするつもりだ。
「ところで親王殿下。焼撃大隊というのは?」
「三四年式火炎放射器として採用が決まったものを配備した、要塞戦の特化部隊だ」
「第2軍への集中配備……旅順攻略の鍵ですか」
「ああ。建物内なら右に出るものはない。炎が跳ね返って最大限の効果が期待できる。反面、精神への負荷も相当だ。憎悪を一身に引き受けるために致死率も高い」
義和団の時には世話になったと、閑院宮は続けた。なるほどたしかに閑院宮は試験部隊を率いて義和団へ差し向けられている。枢密院にはこき使われたようだ。
「……それでもやるしかないのでしょう?」
「ああ。何度も機関銃陣地に歩兵突撃を仕掛けるより、空挺降下からの火炎放射器で電撃的に制圧してしまうほうがずっと早い」
史実よりかは50倍以上死傷者を押さえ込める。そのくらい今回の旅順攻略戦は短期決戦で行く。そのための火炎放射器だ。
「一方、こちらが一般、つまり鎮台及び歩兵師団の内訳になる」
鎮台/師団編成
司令部
・野戦病院
・工兵中隊 運土車10輌、排土車3輌
・偵察中隊 自転車20台、馬40頭
・輜重中隊 馬100頭
・機動野戦砲連隊 牽引自動車100輛、野砲100門
・歩兵連隊 4個
┗砲兵中隊 馬80頭、野砲40門
┗歩兵大隊 3個
┗歩兵中隊 3個
┗機関銃小隊
┗迫撃砲小隊
┗歩兵小隊 3個
自動車の時代が来たとはいえど、まだ半分以上を馬に頼ることにはなるだろう。技術は先行させたけれど、それを全面的に導入するほどの国力は、この極東の小国には残っていない。
「偵察兵に、輜重兵……すなわち補給部隊の機械化は間に合いませんでした。永山工廠も頑張ってはございますけれど、師団直属の機動野戦砲兵のぶんを満たすので手いっぱいでして」
「事情はわかっておる、玲那くん。これでも十分だ。どうしようもなく鈍い重砲の足回りが軽くなるだけでも、戦争のやり方は大きく変わるのだから」
重砲を伴った進撃速度は、従来の2倍に達する。これが14個師団分だ。玲那は資料をもう一枚めくる。
「もう少しミクロを覗いてみましょうか。機関銃と小銃と迫撃砲についておさらいすると――」
三二式歩兵銃
ボルトアクション方式・ライフリング4条右回り
口径 6.5mm
装弾数 5発
全長 1,276mm(銃剣着剣時 1,663mm)
重量 3,730g(銃剣着剣時 4,100g)
銃口初速 762m/s
最大射程 2,400m
有効射程 460m
三四式機関銃
口径 6.5mm
装弾数 70発
全長 1,220mm
重量 25.6kg
発射速度 500発/分
銃口初速 740 m/s
有効射程 1,700m
「小銃も機関銃も、共通で三八式実包を用いることで補給への負担を減らしています。また、以下に示しますけれど、迫撃砲は2種類……あるのでしたっけ?」
「さようだ、玲那くん。片方が塹壕突破用の重迫撃砲で、枢密院は指針として第一次大戦時の英軍のストークス・モーターとやらを目指したらしい」
「ストークス、モーター?」
「それ以降の迫撃砲の系譜を決定した傑作だそうだ。なんでも100年後もほとんど基本的な機構は変わらないんだと」
「はぁ……なるほど。2つ目の――『宮式擲弾筒』――玲那が北方でつくった、機動性重視で小隊で携行する軽迫撃砲とはコンセプトが違うのですね」
三十式重迫撃砲
重量 31.17kg
口径 75mm
有効射程 686m
最大射程 731m
使用弾 1000g/75mm下瀬榴弾
宮式擲弾筒
口径 50mm
銃身長 254mm
全長 610mm
重量 4.7kg
使用弾 三四式下瀬榴弾
最大射程 三四式下瀬榴弾 670m
二八年式手榴弾、三十式手榴弾 200m
有効射程 三四式下瀬榴弾 120m
―――――――――
時系列は3ヶ月遡る。
明治36(1903)年10月某日 ウラジオストク
「あなたがたロシア帝国は国際法違反の状態が続いている!」
小村寿太郎は大きくロシアを糾弾した。
「…どういうことですかな?」
帝国外相・ヴィッテはにやつきながら首を傾げる。
「すでに義和団事件が解決している今、ロシア軍は速やかに清朝全土から軍隊を撤兵させるべきだ。これは、清朝への主権侵害でありそれ以上でもそれ以下でもない!」
「まったく…。今なおチャイナの東北部は混乱が続いている。われわれロシア帝国が幾千万のチャイニーズを戦火から保護するのが気に入らないとでも?」
「それが許されるのであれば、皇國が樺太に進駐してもかまわないと?」
「重大な内政干渉とロシア人への攻撃とみなすが?」
詭弁だ。小村は奥歯を噛みしめる。八年前の停戦協定で、皇國は自国民を引き揚げることができなかった。旧開拓団人民は、ロシアの土地再分配で土地をロシア人開拓者に没収され、5万のうち3割が餓死する結果となり、残りはシベリア抑留のごとく極寒の地で強制労働を続けている。今なお、奴隷のような扱いを受けているのだ。
「皇國が樺太を保護することは許さなくて、ロシアが満州を保護することは許すのですね」
「サハリン州はロシア内地の法令によって統治される、秩序保たれた地域だ。混乱が続くチャイナ東北部に進駐するのとは訳が違う。」
「同胞を弾圧し続けているのに……よく言えますね。」
「それは主観で、実際君たちが確かめる手段はない。だろう?」
肩をすくめてみせるヴィッテ。
「それに。貴国こそ、八年前の停戦協定に違反しているではないか」
「……どういうことですか」
彼は一枚の資料を載せる。
「北海道の非武装化。貴国は平然と内陸に部隊を駐屯させ、あまつさえサハリンに差し向けようとしている」
「条文には沿岸の非武装化としか書いていません」
「軍隊の使える港湾であれば、武装化とみなすことができよう?」
あまりに無理な拡大解釈だ。もしそれを認めれば、皇國はあらゆる北海道からの物流を止めなければならない。極論軍隊は粗末な桟橋でも使うことができるのだから。
「……では、それについて改めて協議をすべきでしょう」
「いいや。その前に、貴殿には見せたいものがある」
ヴィッテが交渉団の一人に部屋のカーテンを開けることを命じた。
ざァッ――と布が開き、交渉が行われている荘厳な西洋建築の3階の一角に光が差し込む。その眼下に広がる光景を指し、ヴィッテは言った。
「刮目して見よ。これが、我が大ロシアの強大な陸軍だ」
小村は窓の側に寄り、下を眺める。
そこには、長槍で武装した1万はいると思われる、コサック騎兵が整列していた。
「これは……?」
ヴィッテが指を鳴らすと、交渉団の一人が窓から大きくサインを出した。
前列から順に、眼下の陸軍演習場を騎兵が駆け出す。
馬々は迅速に演習場を一周し陣地転換を済ませたかと思えば、旅団の大半を占める長槍の部隊は退き、騎兵銃で武装した数少ない騎兵が一列に並んで銃撃を行った。
「さぞかし驚かれたことだろう。戦列歩兵――いや、ことばから説明しないといけないか……」
呆れたように首を振ると、ヴィッテはこう切り出した。
「われら、文明の最先端を行く列強国の軍隊は基礎戦術として『戦列歩兵』というものが存在する。一列の一斉射撃で、敵の前面を一気崩す戦法だ。」
「……はい?」
小村は困惑する。陸軍の末兵さえ知っている基礎教養だ。
「貴国の剣と弓では太刀打ちならない……それだけでも絶望ものであろうが、我らが偉大なる帝国は騎兵銃の開発に成功し、『戦列騎兵』を実現したのだ」
ヴィッテは笑う。
「陣地転換は既存の戦列歩兵よりも遥かに早く、そして追撃速度や撤退速度に至っては比べ物にならない。この我軍の圧倒的な機動戦闘の展開を前に抵抗が出来るのは、我が軍とフランス共和国くらいしかないだろう」
「……はぁ」
小村は間の抜けた声でそう返す他ない。
(皇國の構想する電撃戦術から……装甲車を取り払い、重砲火力をなくした騎兵版、といったところか?)
相手側の思惑が今ひとつ捉えられないでいる彼に、ヴィッテは続けた。
「ククククククッ……。いやはや、確かに先を行き過ぎて理解が追いつかないのはわかるとも。だが、この導入によって既存の戦列歩兵すら陳腐化し、我が大ロシアの軍事総合力はかのドイツすら凌駕した。この意味くらいは流石にわかるだろう?」
「……いったい、どういうことですか?」
「慈悲深き皇帝陛下は、貴国に機会を与えられた。先程、その目で見たものを踏まえて、感謝しながら受け取るがいい」
笑いながら彼が提示する調停案と称したそれに、小村は愕然とした。
慈悲深きロシア皇帝による13カ条の寛大なる要求
第1号「権益について」
◎天皇とその政府は、大陸における一切の権益をロシア皇帝に献上すること。
◎北海道のすべての鉄道の管理と経営を、99年間ロシアに委任すること。
◎択捉島から歯舞群島までの南クリル諸島を、ロシア人の居住と貿易のために新しく割譲すること。
第2号「天皇の領土について」
◎ロシア人に対し必要な土地の貸借・所有権を与えること。
◎ロシア人に対し指定する鉱山の採掘権を与えること。
◎他国人に鉄道敷設権を与えるとき、また鉄道敷設のために他国から借款を受けるときはロシア政府の同意を得ること。
第3号「三菱財閥について」
◎三菱財閥を日露合弁化すること。
◎三菱財閥の権利・財産の変更には、まずロシア帝国政府の同意を得ること。
第4号「天皇の領土の保全について」
◎沿岸の港湾や島嶼を外国に譲与・貸与しないこと。
第5号「天皇国家の文明化について」
◎政府顧問に有力なロシア人を雇用すること。
◎警察を日露合同とするか、またはその地方の警察に多数のロシア人を雇用し、天皇の警察機関の文明化を図ること。
◎軍隊の兵器の供給をロシア帝国より行い、ロシアに技術を仰ぐこと。
◎領土においてロシア人の布教権を認めること。
「はは、ははは……――冗談でしょう?」
「いえ。これにより両国間で懸案になっている問題を一挙に解決できるとも。貴殿の言うところの、『国際法違反』とやらの状態も解消するのでは?」
小村は、拳を震わせる。
「これは……、もはや服属要求だな」
「まさかご冗談を。両国の平和と友好の、素晴らしい第一歩となるだろう。」
これは傑作だ、とヴィッテは他のロシア人交渉団の仲間と笑い合う。
対華21箇条要求そのものであるこれを呑んだ結果どうなる。北海道全域の輸送網はロシアの統制下に置かれ、進めた緑の革命も一瞬でパーだ。硝安工場は瞬く間に接収され、国内の炭鉱と商業中枢はロシアによって支配される。
(検討する余地もない……これは、実質的な併合条約だ)
「さて、これを受け入れられないのなら……我が国も望むところではないが、満州に駐屯する軍隊を動かさざるをえない。」
「……最後通牒のおつもりで?」
「よく考えることだな。我々は欧州一の大国であり列強筆頭。領土はフランス植民地帝国や合衆国よりも遥かに広大だ。それに比べて諸君は……」
プッとヴィッテは吹き出した。
他の交渉団員と目を合わせて吹き出す。
「……極東の辺境、矮小な島国とでも言い表せばよかろうか?
面積わが国の57分の1、工業力8分の1、人口約4割。以上より導き出される総合国力――我が大ロシアの5%」
吐き気を抑えて小村は椅子から立ち上がる。
「非常識な要求、独立国へ内政干渉、そして公式会談の場での公的な罵倒。数を挙げればキリがない、その姿勢。とても交渉する気があるとは思えない」
「ほぉ?」
尚、小村へ余裕の笑みを向けるヴィッテに、彼は言い放つ。
「交渉決裂だ。本日を以て、ロシア帝国との国交を断つ」
「はっ――。気でも違えたか?」
「全くだ。どうやらウォッカで頭を溶かしたご様子だな」
「好きなだけ言うがいい。貴国は愚かにも皇帝陛下の御慈悲を撥ね退けおった。その罪、万死に値すると知れ」
ロシア交渉団からは失笑が漏れる。
「こんなものの、何が『慈悲』だっ――!」
「チャンスをやるということ、寛大なる御慈悲以外の何物でもないだろう?それすら……くくく。次、会うときは降伏文書の調印式典になるであろうが……、そのご尊顔、早く拝みたいものだ」
くすくすと口を抑えて視線を交わす相手を前に、小村寿太郎は毅然と告げる。
「この侵略に皇國は断固として抵抗し、その意思を示す。朝鮮出兵以来300年、安寧のうちに封じられて久しかった戦闘民族の血を――いま、他でもない貴国が解き放ったのだ」
その言葉とともに踵を返す小村。
こらえきれなくなったようで、その背中にはゲラゲラと大きな嗤笑が降り注ぐ。
ヴィッテはひとしきり笑い、その余韻残り頬を吊り上げたまま、一枚の紙を拾い上げた。
「しかし、まさか自身で母国の活路を封じるとは――」
小村の去り際に、勢い良く席を立った拍子にか。彼の鞄から一枚の外交文書がひらりと落ちてた。
皇國側の対露交渉案だった。
満韓交換論――満州でのロシアの権利を認める代わりに、朝鮮半島での皇國の権利を認めてもらおうという皇國の妥協案であった。それを拾い上げて、ヴィッテは目を通し、ほくそ笑む。
「――しょせん開国40年にも満たない、黄色いサルの群れだ」
彼は、部屋に残るロシア交渉団の面々にそれを見せる。
「非常識な要求とはこちらの台詞だ。我々のような文明国に、未開国がこんな傲慢な要求……身の程をわきまえるという、最低限の礼儀すらわからないようだ」
ビリッ!と、小村の抱えてきた対露妥協案を彼は一気に破り捨てた。
そうして、自身の髭をひと撫でする。
「言葉で伝えてわからないおサルには、文明の光でわからせるしかないな?」
周囲に笑いが起きる。
そうして、外相ヴィッテたちは椅子を立つ。
「――さぁ諸君、蛮族征伐だ」




