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怒りに呑まれて

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 涼しい顔を保ちながらも、冷泉氷人は背筋にうすら寒いものを感じていた。

 ―――完全に予想外だ。

 土壇場で武器を見つけたとはいえ、先日まで何もできなかったずぶの素人のくせに、強化の質が異様に高い。おそらく武器なしの戦闘だったら負けている。

 冷泉は既に昇牙を一回、塊刃旋風を四回使っている。その上、試合前に恋白相手にも何発か。

身体強化と武器に持っていかれている分も合わせれば、残基はかなり厳しい。

 ―――圧倒するつもりだったんですけどね。

 先代の月城夜頼、そして今代の月城夜子。

 その二人が築き上げた月城の名は、とても重い。

 だから、同じ月城である目の前の男を冷泉が圧倒すれば、一般人からの冷泉への評価はさらに高まる、そう踏んでいた。

 それが、どうだ。

 術はことごとく躱され、首を狙われ背後を取られた。闘技場は歓声とどよめきに包まれている。歓声は何も知らない一般人のもので、どよめいているのは月城家の内情を知っているスカウト連中だ。

 最悪だ。冷泉が輝けなかったのもそうだし、場合によっては冷泉氷人が『素人にすら苦戦する期待外れ』とみなされる可能性もある。

 ―――でも、勝った。

 宝玉。

 そこには一つだけ、術を登録できる。詠唱を省略して、即座に発動できるショートカット。

 冷泉が登録したのは、絶対零域と呼ばれる超近接防御術式。

 間合いに入った者を例外なく凍らせる。

 後ろを振り向く。陰丸は氷の棺の中で固まっている。その、こちらに伸びた右腕に狙いを定めた。

 ―――その腕、引き切る。

 がしゅっ、と異音が響いたのはその時だった。

「………は?」

 まるで短剣が伸びたかのように、氷の一部に空洞ができている。

 なんだ、それ。空気を打ち出す術式? あるいは武器の拡張? それにしたって、なんで今ごろ。

『……あああ』

 唸り声のような音が、響く。

 氷の中の陰丸と目が合った気がして、冷泉は思わず一歩、後ずさった。


    ◇


 しくじったと思った時には、全身が凍てついていた。

 目とか口とかだけでも守らなければ、と思いはしたが、そんな暇もなかった。

「あーあー見ちゃおられん。ほいほいと近寄るものではないというのに、これだから実戦経験のない素人は」

 呆れ切った口調でレイラが言って、それから少し笑った。

「これは貸しじゃな」

 黒短剣が、一瞬だけ万全の黒剣に変わる。

 陰丸の目にも追えないぐらいの刹那だったが、体内を熱が駆け巡った。

『ああああ』

 全身の筋肉に力を込める。勝手に腸から声が出る。

「ああああああああああああ!」

 思い切り拳を振り抜いた。

 氷が砕け散り、驚きに目を見開いた冷泉が映る。後ろに下がるのを見て、頭が沸騰した。

「何人も傷つけといて、逃げんじゃねぇ!」

 今度こそ懐に入り込む。

「あ、ばかっ!」

 レイラが何か言っているが、もう遅い、止まれない。

 怒りのまま、冷泉の鳩尾に全力の拳を突き立てた。

 しかしその直後、冷泉の肋骨が砕ける感触が返ってきて、陰丸の意識は一瞬で氷点下まで冷え切った。

 バケツの水をぶっかけられたような感覚に、冷静さが戻ってくる。

 これは、このまま振り切ったら。

 ―――殺してしまう。

 慌てて拳を引くが、既に出してしまった分は戻せない。

 悪趣味な砲弾のように冷泉の体が闘技場の壁にめり込み、さらに瓦礫の混じった衝撃波が観客に迫る。


    ◇


「ばか」

 せっかく半休取ったのに。

 

    ◇


 衝撃波が、観客の命を奪うことはなかった。

 観客席を覆うように長大な影の壁が展開されて、空気の圧も瓦礫も、そのすべてを吸収する。

「姉貴……」

 マフラーを巻いた上に、似合わない伊達眼鏡なんてかけているが、間違えようがない。

「陰丸」

 ふっ、と正面まで跳んできた夜子が、咎めるように眉を寄せる。

「戦闘なら相手を傷つけるのは仕方ない。でも、守るべき人を傷つけちゃだめ」

「……ごめん」

「わかればいい」

 あの子も、たぶん死ぬ怪我じゃない。と冷泉を見てから、夜子は口角をわずかに上げて、陰丸の頭を撫でる。

「おめでとう」

「やめてくれ注目浴びてるんだから」

「……せっかく半休取ったのに」

 後でなんか埋め合わせするから恨みがましい目はやめてください。

「月城夜子だ……」「え、本物?」「なんでここに」「……すっご」「サインもらお」とざわめき始めた会場にげんなりした目を向けていた夜子だったが、そこで連絡が入る。

 夜子が無線符を取り出すと、つんざくような怒声が響いた。

『夜子さん! どこ行ってるんすか緊急招集っすよ! 弟の試合見たい、なんてクソふざけた理由で戦線離脱しないでもらえませんかね、っていうか休暇届を無人の詰め所に不意打ちで置いていくなんて何考えてるんっすかアホなんですか!』

「……くそふざけてない、あほじゃない」

『いいからとにかく来てください!』

 ばつん、と通話が切れて、夜子はぐりぐりと眉間を抑える。

「普通に提出したら絶対受け取ってくれないくせに……」

「……姉貴、いまのは」

「部下」

 嘘だろ、上司じゃないのか。

「それじゃあ、また。今日はゆっくり休んでね」

 職場での姉のキャラがちょっと心配になってきた陰丸を放置して、夜子は闘技場を跳び超えて行った。

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