魔神降臨
一勝負を終えた現在。
張り合いのない魔物ばかりで少々不服そうにしていたエルトリアだったが今は存分に体を動かせて満足そうにしている。
対するアスモデウスは今日こそはと意気込んでいたが結局今回も引き分けで幕を閉じたことに不満を抱いていた。
そして二人はエルトリアが倒した魔物の回収を行っている。
順調に回収していき残りは一割ほどになっただろうか。ただ、この間も魔物の襲撃があったため長々とやっていると増えていく一方だ。
仕事は増やしたくないと手早く回収していく二人だったが──
「いや、なんで私が手伝ってるのさ!」
「何じゃ急に大声出しおって……。それに今更じゃろ」
アスモデウスは気づいたのだ。自分がエルトリアの手伝いをしていることに。
エルトリアは勝負は引き分けに終わったためアスモデウスに手伝いを強要させなかった。
自分が勝てば手伝ってもらうと約束した。エルトリアは自分が交わした約束は破らないと誓っていたため仕方なく自分一人で魔物の回収をしようと思っていた。
しかし、回収を始めて少し経った頃にアスモデウスが自分から魔物の回収をしている光景が視界に入った。
一人だと時間がかかるから手伝ってくれたのか。
いや、多分違うだろう。知らず知らずのうちにエルトリアを手伝おうと自分の手が動いていた感じだ。
これでもアスモデウスはエルトリアを一番に想う悪魔。気分屋のアスモデウスも一人で作業するエルトリアの姿を見ると手伝わずにはいられなかったのだろう。まあアスモデウスは無意識に手伝っていたわけだが。
強要させるのはエルトリアとしても本意ではない。だが無意識とはいえ自主的に行うのであればそれは約束とは別の話になる。
せっかくだからと本人が気づくまでは何も言わないつもりだったが、終盤になってどうやら気づいてしまったらしい。
「約束が違うじゃん! 私が負けたらエルちゃんの手伝いをするって約束だったのに結局手伝ってるし!」
「妾は何も言っておらんぞ。御主が勝手に手伝い始めただけじゃ」
「あれ? そうだっけ?」
「そんなことより残りも後少しじゃ。さっさと片付けるぞ」
ここまで来たら最後までやるかとアスモデウスはエルトリアの手伝いをした。
そしてやっと魔物の回収が完了。やはり二人で行った方が速く終わった。
「ふぅ、仕事した仕事した」
「ご苦労じゃったな。助かったぞ」
「うん。ところで、さっきから気になってたんだけどロザリーちゃんはいないの? 探しても何処にもいないし」
アスモデウスはロザリーとも面識がある。
エルトリアがアスモデウスを呼び出す頻度は少ないためロザリーと関わる機会も少ない。
だが、エルトリアに仕える従者はロザリー以外にも数名いるがその中でもロザリーとはかなり仲がいい。ロザリーが従者の中でも頂点に位置する存在であり、休暇を除きほとんどエルトリアの側にいるからという理由もあるだろう。
呼び出して用件が済むとエルトリアは構ってくれないので自然とロザリーが相手することになる。いや、少し違うか。アスモデウスがエルトリアの邪魔をしないためにロザリーが相手しているに近い。
しかしロザリーも嫌々やっているわけではない。エルトリアには秘密だが自分の知らない主の過去やその他諸々興味の尽きない話をしてくれる。まあエルトリアの過去の話は楽しいものばかりではないが主の全てを知ってこそ本当の従者と言えるだろう。
それで、エルトリアがいるならロザリーもいるはずなのだが何故か見当たらない。外出時は基本的にロザリーも同行しているはずだが……。
「ロザリーはここにはおらんぞ。今は妾と別行動じゃ」
「ああ。そういえばなんか言ってたね。アルファ……なんとか? の街に行ってダンジョンを攻略するとか。確か……四つのダンジョンを攻略すると最後のダンジョンに行けるって出発前に言ってたっけ。聞いた時は面倒な仕掛けだなぁって思ってた」
「アルファモンスな。妾も面倒な仕掛けだとは思っておる。だが手間を省こうにもこのルールは絶対。故に四つのダンジョンを攻略せねばならん」
「どうしてそこまでそのダンジョンに固執するの? 別にエルちゃんが攻略しなければいけないダンジョンでもないんでしょ」
「妾はただ未だかつて誰も完全に攻略できていないダンジョンを攻略したいからじゃ。この世界に誕生してから今日まで攻略されていないダンジョン。それを攻略した先に何があるのか。まあいつもながらの好奇心じゃよ」
「ふうん。でも何もないって可能性もあるよね」
その言葉を聞いてエルトリアは呆れて溜め息を吐く。
「まったく、御主は夢が無いのう……。最初からそんなことを考えていては攻略しようとも思わんじゃろ。何もなかったらなかったでそれも一つの結果じゃ。それに『神々の塔』を攻略した暁には世界に名が知れ渡るかもな」
「えっ、エルちゃんは有名になりたいの?」
「いやそんなこと微塵も思っておらん。妾はダンジョンに興味はあるが名声になど興味はない。そんなもので妾の好奇心が満たされるわけではないからな」
「それもそうだね。何よりエルちゃんは『魔王』だし、今更有名になったところでどうってことないよね」
他の魔王ほどではないがエルトリアの名も世界に知られている。
にもかかわらず魔王として認知されていないかの如く平然と街中を歩いたりできるのはスキルなどを駆使しているから。
実を言うとエルトリア以外の魔王も彼女と同じように正体を隠している者もいる。もしかするとその辺に歩いている人物が魔王だったり……なんてこともあるかもしれない。
「でも大変なんじゃないの? エルちゃんとロザリーちゃんしかいないんでしょ。二人だけで五つのダンジョンを攻略するなんて」
「二人ではないぞ。アルファモンスに向かっている最中に偶然面白い奴を見つけてな。その者の名はリリィと言って、妾とロザリー、リリィでパーティーを組んで攻略に挑んでおる。数日前に一つ目が終わって今は別々で同時に攻略をしている感じじゃ」
「へぇ、エルちゃんが面白いなんて思う人がいたんだぁ。私も会ってみたいな」
「このダンジョンを攻略すれば再び合流する。その時にでも紹介してやろう」
「じゃあさっさと終わらせるためにも私張り切っちゃおうかな。それに──」
「それに?」
「なんか良くないことが起きる気がするんだよね。悪魔の勘ってやつ? だから早めに終わらせた方がいいかもって」
先程とは打って変わって真面目な表情で告げるアスモデウス。
悪魔の勘。そう言って大体外れているのがいつものことである。今回もまたそうなのだろうとエルトリアは思っていた。
しかし極稀に、本当に極稀だがアスモデウスが言う良くないことが起こるのも知っていた。だがそれも一、二回程度。アスモデウスと共に長い間過ごしてそれだけなのだから今回もただの思い過ごしなのだろう。
「御主の勘は驚くほど当たらないからなぁ。だが一応頭の片隅に入れておくとしよう」
そしてエルトリアとアスモデウスは『魔神の塔』攻略を進めていくのであった。
──これから待ち受ける運命など二人は知る由もなく。
あれから三日が経過した。
エルトリアたちは既に『魔神の塔』を99階層まで進んでいた。そしてたった今99階層のフロアボスを倒し終えたところである。
これは驚異的なスピードだ。
エルトリアが『魔神の塔』に挑戦して五日目。本来であれば五日で攻略できるダンジョンではない。何週間、難易度から何か月かかけて攻略するダンジョンを彼女は一週間足らずでいとも簡単にやってしまった。
ここまで来るのに苦戦はしていないのだから『魔王』というのは別格の存在だと痛感させられる。まあエルトリアが魔物相手に苦戦する姿など想像できないだろう。もしこのダンジョン内で苦戦を強いられる相手と言えば隣にいるアスモデウスぐらいである。
だがアスモデウスと戦ったところでダンジョン攻略に繋がるわけではないため意味はない。呼び出した時もあれは本気の戦いではなく単なる遊びに過ぎなかった。
「流石に99階層まで行けば対等に渡り合える相手が出てくると思ったんじゃがな」
「エルちゃんと対等に戦えるのはこの世界でもほんの一握りだからね。でも次が最後なんでしょ? だったら少しぐらいは期待してもいいんじゃない?」
「期待のぅ……」
そんなことをしても意味なく終わってしまうのではないか。きっと最後のフロアボスも今まで通り変わらない結果が待っている可能性の方が大きいかもしれない。
そう思いつつもエルトリアは僅かな期待を胸に秘め『魔神の塔』最上階へと向かった。
転移用魔法陣にて移動したエルトリアとアスモデウス。転移先の最上階は洞窟にある大部屋のような作りだった。周囲を見渡してみるが怪しく燃える炎しかない。まあこれはいつものことだろう。
すると、挑戦者が訪れたことを感じたのか部屋中央に魔法陣が展開。そこから禍々しい気配を纏いながら何かが出てきた。
「あれがフロアボスか。確かに他とは違って威圧感があるのう」
それでもエルトリアが臆することはない。
そのフロアボスの名は"深淵魔神デモ二アスノルド"と呼ばれ、エルトリアよりも格段に上のステータスを持っている。
容姿は完全な人型であり筋肉質な体形だ。そして魔神というからには大きいのだと思いきや身長はそこまで高くない。大体170センチ程度。その辺の街にいる成人男性と大して変わらなかった。
しかし確実に人とは言えない姿。
皮膚は血色が悪く歯は剥き出しで頭部からは鎌のような角が二本生えており、爪も鋭利な刃物のように伸びている。龍のような太い尻尾も生え、他にも一部皮膚が黒く変色して鎧のような形に変化している。
果たしてデモ二アスノルドは何処までエルトリアの力を引き出すことが出来るのか。それはエルトリアも考えていたところである。
まず攻撃を仕掛けたのはデモニアスノルドの方だった。
ニヤリと口角を上げて右腕を振り下ろす。すると上空に魔法陣が出現し、そのままエルトリアの頭上に膨大な魔力が込められた雷が轟音と共に降り注いだ。
これに対しエルトリアは回避することなくその場に立っているだけだった。あまりの速さに動けないのではなく動かない。
落雷はエルトリアが事前に展開していた障壁によって阻まれた。
相手の力量を図るためにわざと受けたわけだが破られた時は仕方ないと割り切っていた。しかし、かなりの枚数が破られてしまったもののその攻撃がエルトリアの身に届くことはない。
今のが全力というわけでもなさそうなので油断はしないが大体の力量は見極めることができた。
「なるほど。実力も確かじゃな。これなら少しは楽しめそうじゃ」
攻撃を防がれてももう一度、とデモニアスノルドは愚直にもエルトリアの頭上に雷を落とす。
が、今度のそれは障壁に阻まれることなく姿を消した。
一体何処に?
その答えはデモニアスノルドの頭上である。轟雷が術者本人を襲う。
エルトリアは自身に雷が落ちる寸前、空間魔術により雷の落下地点とデモニアスノルドの頭上を繋げていた。その結果自身が発動させた雷は自分自身が食らうことになった。
直撃によりダメージを受けたと思われたが……どうやら違うらしい。
デモニアスノルドに外傷は見当たらない。あれだけの魔術であれば少なからずダメージは負っているはずなのに。
「魔術にかなりの耐性があるのかのぅ……」
確認のためにデモニアスノルドへ何度か魔術を放ったがどれも通用しなかった。魔術は無効化されていると考えてもいいかもしれない。
そうとなれば戦闘スタイルを変えるまで。
エルトリアは魔術主体の戦い方から近接主体へと切り替える。
大地を蹴り、一気にデモニアスノルドの懐へと入り込み間を置かずに腹へと一撃を放つ。
ちなみにアスモデウスは加勢していない。自分が加勢せずともエルトリアが勝つと確信しているから。彼女はエルトリアが勝利して返ってくるのを待つだけだ。
それで、エルトリアの拳だがデモニアスノルドの体を捉えていた、はずだった。
エルトリアもそう思っていたが殴打した時の感覚が何かに阻まれている感じだ。
彼女の拳は『魔闘法』により強化されている。魔力を帯びた拳は強固な障壁も破壊することが可能。しかしそれが通用しなかった。
(まさか、な……)
エルトリアに一つの可能性が脳裏に過った。
デモニアスノルドには魔術に耐性がある──のではなく、魔術による攻撃を無効化する、更に厳密に言うと魔力を用いた攻撃を無効化するのではと考えた。殴打した時に何かに阻まれたという感覚は障壁の類の何かがあった。おそらくそれが攻撃を無効化させる原因だろう。
『魔闘法』も拳に魔力を纏わせているため無効化の対象に入ってしまう。攻撃手段が一つ潰されてしまったわけだが、そんな程度でエルトリアが慌てるはずない。
魔力を用いた攻撃を無効化されるのであれば魔力は使わずに戦えばいい。
エルトリアはデモニアスノルドが攻撃に転じる前に仕掛けようとそのまま上段蹴りを繰り出した。『魔闘法』を使わない分、威力は落ちてしまうがダメージを与えることができればそれでいい。
しかし思わぬ事態が起きた──
「なっ……!」
エルトリアの蹴りを受けても微動だにしないデモニアスノルド。その表情は不思議と笑みを浮かべているようにも見えた。
単純に威力が足りないというわけではない。蹴りを放った時、確かにデモニアスノルドに当たったがその時感じたのは先程と同じ感覚。
今度は物理攻撃を無効化された。まさか物理と魔術、両方の攻撃が通じないとでもいうのか。
流石のエルトリアも驚いたが即座に冷静を取り戻す。この戦い、エルトリアに勝ち目がないというわけではない。
(物理と魔術の無効化。確かにこれには驚かされた。そうなっては倒す術がなくなる。しかし、僅かではあるがこのダンジョンを攻略した冒険者が存在しておる。それはつまり決して倒せない相手ではないということじゃ。必ず倒す術がある。何か、何かないか……)
そして、エルトリアは笑みを浮かべた。
まずは一度体勢を立て直すために距離を取る。
「苦戦してるようだし手伝おっか?」
「いやその必要はない。試したいことがあるからな。もしそれも通用しなかったときは御主の力を借りるとする」
そう言うとエルトリアは再び走り出す。
デモニアスノルドは近づかせまいとエルトリアに向けて魔術を放つがそれら全てを軽快な動きで躱される。決して命中率が低いわけではないが回避に関しては身軽なエルトリアの方が一枚上手だった。
またもデモニアスノルドの懐に入り拳を放つエルトリアがその攻撃は届かない。
だがこれで良かった。今のは確認のための一撃である。
実は先程『魔闘法』を使わずに放った蹴りには何かを破壊した感覚があった。おそらくこれが魔術による攻撃を無効化させる障壁。どうやら魔術を無効化するのに特化して物理攻撃だと簡単に壊れるらしい。
今の一撃は一枚破壊して二枚目──これが物理攻撃を無効化させる障壁──に阻まれている。これを壊せば攻撃が通るわけだ。
次は間を置かず『魔闘法』を使用しもう片方の手で殴打。同じ理屈であれば物理攻撃を無効化する障壁は魔力を用いた攻撃で破壊できる。そうなれば後はエルトリアの独壇場になるだろう。
しかし、そう上手くはいかないようだ。
間髪入れずに放った拳は再び届かない。
何故なのか、何故拳が届かないのか。同じ理屈であれば二枚目の障壁はこれで破壊できるはず。
そんな焦りが芽生えるかもしれない。だが直接相手をしているエルトリアはただ「なるほど」と思うだけだった。
魔力を帯びた拳がデモニアスノルドに届かなかったのは一枚目の障壁が復活していたから。つまり一瞬でも間が空けばエルトリアの攻撃は全て意味を成さない。
エルトリアはまた笑みを浮かべた。
敵わない相手とは微塵も思うことなく、むしろ自分を成長させる絶好の相手だと思っている。
激しい攻防が続いた。
デモニアスノルドも黙ってやられるはずもなく、近接主体で迫るエルトリアに対して自身も近接主体で応戦する。そこには常人が再現するには到底不可能な応酬が広がっている。
劣勢なのはエルトリアだろう。何せ攻撃が通用しない。攻撃が通用しないのであればダメージを与えることも出来ない。
それでもエルトリアは手を止めなかった。少しずつ洗練されている自分自身の動きに喜びを覚えながら攻撃を続ける。
果てなく続く攻防に思えた。しかし終わりは突然やってくる。
エルトリアが繰り出す一撃一撃。通用せずとも何度も何度も繰り返し、やがてそれはデモニアスノルドの二つの障壁を穿つ一撃へと変わった。
エルトリアはデモニアスノルドの二つの障壁は連撃で破壊するのは難しいと考えていた。ほんの僅かな時間を与えるだけで復活してしまうのだから。
であれば一撃で破壊すればいい。
問題はどうやって一撃で物理と魔術を無効化する障壁を破るか。
幸いなことに障壁は別々に存在していた。これが一枚の障壁として存在していたならばエルトリアに勝機はなかっただろう。
要は二つの障壁をほぼ同時に破壊してしまえばいい。そうすればエルトリアの攻撃は通る。
だがしかしそんなことは本当に可能なのか。
物理攻撃で一枚目を破壊し、魔力を用いた攻撃で二枚目の障壁を破壊する。二つの攻撃を切り替えられる『魔闘法』であれば可能である。
ただ、その切り替えが困難だった。
エルトリアですら切り替えには一秒かかる。だがそれでは遅い。切り替えている間に一枚目の障壁が復活してしまう。
求めるはコンマ何秒の世界。復活する間も与えず、ほぼ同時に破壊できる速さ。
それを手に入れるのに多少時間がかかった。だが手に入れたからにはエルトリアに敗北はない。
そこからはやはりエルトリアの独擅場になった。
速さを手に入れる際にデモニアスノルドの動きは大方見切っていた。他に奥の手が無い限りエルトリアに攻撃が当たることはない。
一方的な戦いになり始めて五分足らず。勝敗が決まった。今回の戦いは得られるものが多かった。
「お疲れさま。どうだった? 期待外れのダンジョンのフロアボスは」
「うむ。なかなかに良かった。満足しておるが、もう少し道中も手強い魔物が出現してほしかったな」
「まあそれだと他の冒険者が大変だからね。じゃあ──」
「そうじゃな」
攻略は終わった。帰還してリリィとロザリーに合流する。
そのはずだったがエルトリアとアスモデウスはその場に留まった。
そして彼女たちが見つめる先──
「おい、いい加減出てきたらどうじゃ。気取られぬように気配を消しているようじゃがバレておるぞ」
エルトリアがそう言うと視線の先の空間に亀裂が入った。そこから一人の男性がこの地に足を踏み入れる。





