襲撃
重い。一瞬でも気を抜いたら潰されそうだ。
そう思いながら少女が繰り出せるとは到底思えない一撃を咄嗟に構えた二本の短剣で受け止めるロザリー。
威力だけで言えばエルトリアに匹敵するだろうか。現時点では少女の一撃に耐えているもののこれも時間の問題だ。拮抗している状態もそう長くは持たない。いずれは自分が力負けする。
ロザリーは受け止めた大剣を滑らすように短剣を動かした。それにより大剣は地面に向かって一直線に落ち、その隙にロザリーは少女の横腹に蹴りを放つ。
幼い少女に蹴りを入れるのは気が乗らないが今はそんなことを言っている場合ではない。
ロザリーに向けられた一撃は明らかに敵意のあるものだった。つまり見た目など関係なく、彼女は自分の敵として現れた存在と判断した方がいいだろう。
問題は何故自分が狙われたのかということ。
ロザリーは過去を思い返してみたがそもそも少女とは初対面だ、恨まれるようなことはしていない。にもかかわらず何故命を狙われたのか。
あとは、聞いたことない言語も気になっていた。少なくともロザリーは少女が口にした言語を知らない。エルトリアなら……とも考えたがこの場にいないのだから確認しようもない。
とにかく今は少女のことを警戒するのを優先した方がいいとロザリーは判断する。
蹴り飛ばされた少女は空中で体勢を立て直し、大剣を地面に刺して勢いを殺して着地した。
ニヤリと笑う少女に不気味な感じを覚えるロザリーだった。
大剣を受け止めた時から気づいていたがここまでの動きを見るに相当の手練れだ。そして、結構本気で蹴ったつもりなのに大したダメージにはなっていない。
決して勝てない相手ではないだろうが、エルトリアほどではないにしろ油断は微塵も出来ない相手である。
『キャハハ! あのまま潰しちゃおっかなって思ったんだけど……。あっ、でも"兄さま"には生きたまま連れて来いって言われてたっけ。危ない危ない』
「……あなたは何者ですか? 何故私を襲う?」
相手の言語はわからずとも意味は不思議と理解できる。しかし向こうはこちらの言語が理解できるのか。わからないが一応ロザリーは少女に問う。
すると少女は不気味に笑ってロザリーの問いに答えた。
『私? 私は"システィーナ"っていうの。それでお姉さんを襲う理由だっけ? お姉さんはこの世界の魔王さんと仲いいんでしょ? なんかね、うちのリーダーがこの世界の勇者と魔王を殺せっていうんだよ』
「…………」
その瞬間、ロザリーの目の色が変わった。
普段から温厚で優しそうな瞳が一変して獲物を睨む冷たく鋭いものへ。エルトリアに出会う前の暗殺者として生きていた頃と同じ瞳だ。
前にリリィから聞いたことがあった。この世界とは別にもう一つ世界があると。そしてその住人はこちらの世界の勇者や魔王の命を狙っているとも。システィーナと名乗る少女もその世界の住人なのだろう。
であるならばエルトリアの命が狙われているということだ。
エルトリアに限って異界からの使者に後れを取るはずないがそれでも心配であることに変わりない。一刻も早くエルトリアのもとへ戻りたいと思うロザリーだったがシスティーナを野放しにするわけにもいかなかった。
『でね、理由を聞いても詳しく教えてくれないんだ。「君は何も考えずに殺せばいい」って言うんだよ。まあ難しいことを考えないで済むから私はいいんだけどね』
「…………」
『あれ? お姉さん聞いてる? あっ、もしかしてお友達の魔王さんが気になる? お友達の魔王さんのところには"兄さま"が向かってるんだ。あとお姉さんは人質だから殺さないで連れて来いって言われたから急がなくてもすぐに会えるよ』
そして、一拍開けると再びシスティーナは口を開く。
『でもそれだけだからぁ、死ななければどんなことをしてもいいってことだよねぇ!』
狂気に満ちた笑顔でシスティーナが迫る。
しかしロザリーは一歩も動く気配はない。ただ一つ分かることと言えば、彼女の瞳にかつてないほどの殺意が込められているということ。
システィーナは再びロザリーに大剣を振るった。
大雑把ではあるが食らえば致命傷になり兼ねない一撃。
普段のロザリーであれば直に食らっている分、危険であることは十分に理解しているので回避するのだが今回は違った。
まるで大したことではないと表しているように短剣で受け止めたのだ。表情も先程と違って余裕がある。
『キャハハッ! 凄ぉい、今のは結構本気で振ったのになぁ! 簡単に受け止めるなんて、お姉さんも本気出したってわけだね!』
そこから二人の、大剣と短剣の攻防が続く。
かなりの重量があるであろう大剣をその細い腕で自分の手足のように自在に操り攻撃、防御、どちらも巧みにこなすシスティーナ。
対して速さを生かし次々に短剣をを振るうロザリー。短剣だからと一撃一撃が軽いわけではない。彼女の攻撃はシスティーナの繰り出すものに匹敵する。
重苦しい衝突音が一つ、二つと階層全体に鳴り響く。
現在彼女たちがいる階層は濃霧地帯で視界が悪い。一度でも姿を見失えば拮抗している状況も崩れるだろう。
互いに実力を隠している故か下手に懐に入ることもしない。両者は間合いを詰め過ぎず離れ過ぎず攻防を続ける。
だが、次第にこの状況も崩れることになる。
最適な動きを導き出しているかのように一撃を与えるごとに次の一手が速くなる。
やはり武器の大きさと手数が有利になるのだろうか。ロザリーの連撃はシスティーナを一歩ずつだが後退させていく。
明らかに押されていることに気づくシスティーナも対抗するもロザリーの連撃を対処するのが難しくなってきた。
自分が優勢であることはわかっている。このままシスティーナが追い付けないほどの速さで攻撃していけば自ずと勝利は見えてくる。その後は即座にダンジョンから脱出してエルトリアのもとへ向かう。
だがしかし、ロザリーの心の内には違和感があった。
システィーナは劣勢になり始めているにもかかわらず、むしろ今自分が置かれている状況を楽しんでいるのか笑みを浮かべているからだ。
相変わらず不気味な少女だ。劣勢であれば苦悶の表情を浮かべるであろうにシスティーナはその逆なのだから。
(何か危険な感じがする……。ここは仕掛けられる前に一気に叩く!)
既にシスティーナは攻撃に転じることは出来ず防戦一方だった。
それでも尚ロザリーは攻撃の手を緩めない。いや、更に速く鋭くなっている。ぶつかり合う金属音は間隔を開けることなく鳴り続ける。
舞いを見せるかのような動きでロザリーは剣戟を繰り出し続け、そして遂にはシスティーナに隙が生まれた。
その隙を逃すまいとロザリーは一気に距離を詰めると短剣の切先を勢いよく振りシスティーナの首に向かわせる。
たとえ相手が少女でも殺すことに躊躇はない。暫くはそれと離れていたがこの気持ちは忘れることはなかった。
これだけの強者であれば障壁等で防御しているだろう。現にシスティーナの首──というよりかは全身に『多重障壁』が発動している。ロザリーの蹴りを受けて平然としていたのもこれがあったからだろう。
だがロザリーには関係ない。防がれようとそれを超える一撃を放てばいいだけなのだから。
渾身の一撃をロザリーは振るう。
強度の高い障壁だったのか首筋に当たった刀身に亀裂が入った音が聞こえるもそのまま振り切りシスティーナの首を撥ねた。
頭と胴体が切り離されたシスティーナは一瞬途切れた声を上げてその場に崩れるように倒れる。
こうなってしまえば立ち上がることもないだろう。
戦闘を終えてロザリーは安堵した。
正直なところギリギリな戦いだったと思う。一歩間違えれば自分がやられていたかもしれない。
昔の彼女であれば"死"など恐れることはなかった。仕事に失敗して殺されても仕方ないと割り切っていた。
しかし今は違う。
自分が帰る場所や自分を待っている主人。他にも失いたくないものが沢山あるのだから死ぬことはできない。
今までの行いを見れば決して自分が幸せになっていい存在ではないことは承知の上だ。それでも許されるのであれば、最期まで主人のために自分の命を使いたい。それがロザリーの願い。
「こうしてはいられません。一刻も早く主のもとへ向かわなければ」
ロザリーは踵を返し、事前に置いてきた自分の魔力を込めた短剣を感知して転移用魔法陣に戻ろうとした。
──だがこれが今回の戦闘において大きな失態になる。
冷静な彼女であれば殺した後は仕留め切ったか確認する。しかしながら今回に限っては焦りが冷静さを欠く原因になったのかエルトリアとの合流を優先してしまった。
システィーナの死体に背を向けて急ぎ転移用魔法陣に向かおうとしたその時、ロザリーの脳裏に不穏な思考が過った。
(ちょっと待て。あのような人間がこうも簡単に殺されるのか?)
奥の手を出させる前に少女を仕留めた。
下手に時間を与えて強化されるよりもその前に仕留めた方が勝率は格段に上がる。実際それで勝利して戦闘が終わったのだから問題ない。
でもなんだ、この引っかかる感じは……。あまりにも上手く行き過ぎているような気がする。まるでエルトリアを心配するあまり焦って油断を誘うように仕向けられているような……。
そしてロザリーはあることに気づいた。システィーナの首を撥ねた時を思い返してみても傷口から一滴も出ていないことに。
血の通っている生き物であれば必ず傷口から流血する。しかしシスティーナにはそれが見て取れなかった。
首を撥ねたら即死するのは常識だ。仮に切り損じて繋がっていても出血多量でそう時間も経たずに絶命する。
実は人間ではなかったという線も考えたが、断ち切った肉や骨は彼女の経験から紛うことなく本物の感触だったと確信している。可能性としては無くは無いかもしれないがシスティーナは歴とした人間だろう。
それでも拭えぬこの違和感と不穏な空気──
(まだ……終わっていない!)
すぐさま振り返りロザリーは短剣を構えようとした。
しかしその瞬間轟音が響き、気付いたときには大剣を持ったそれが目の前まで急接近していた。
そして相も変わらずロザリーに大剣を振るう。だが今度は威力が桁違いだった。
振るわれた大剣は重い風切り音を鳴らし、構えが不十分だったロザリーは完全に受け止めることは出来ずに後方へと吹き飛ばされる。
衝撃が肉から骨へ伝わる重い一撃。若干だが両手が痺れている。まともに食らっていたら……そんなことは考えたくない。
吹き飛ばされた結果、システィーナを見失ってしまったのは痛手だがそんなことは今どうでもいい。あの瞬間ロザリーは自分の目を疑うものを見た。
自分に接近してきたそれ。
それが誰なのかはわかるだろう。しかし注目すべきはその姿なのだ。
信じたくはないがロザリーが見たものを言葉にすると首から上が存在しないシスティーナだった。
あろうことか少女は頭部無しでも動いていることになる。
世の中にはもしかすると頭部無しでも存命できる生物がいるかもしれない。だがロザリーはそんな生物とは未だかつて遭遇したことない。
頭部が無い状態で相手を認識することは出来るのか。先程の動きも偶然突き進んだ場所にロザリーがいたとも考えられる。
しかし、最悪の場合を想定するとあの状態でもしっかり相手を認識できると思ったほうはまだいいだろう。
「あれでも死なないとなれば不死に近いということか……面倒な相手ですね……」
『残念。ちょっと違うんだよなぁ』
切り飛ばされた頭部が喋っているのかシスティーナの声が何処からともなく聞こえてくる。
『首を撥ねられても死なないだけで他の方法だったら私も死んじゃうよ。まあお姉さんには教えないけどね、キャハハッ!』
そうしている間にもシスティーナの胴体がロザリーを見つけ襲い掛かる。頭部が無い方が動きの切れが増している気がする。
「くっ──!」
先程までは自分が優位だったのに今では立場が逆転していた。
ロザリーはシスティーナの攻撃を防ぐのに精一杯の状況。
これは不味いと一度距離を取り体勢を立て直そうとするも息する暇も与えまいとシスティーナの胴体が詰めていく。
そして終いには──
『あれれ、お姉さんもう限界かな?』
障壁を張り直す余力もなくロザリーは膝をついて肩で苦しそうに息をしている。
ロザリーの瞳はまだ死んでいないものの既に決着はついているようなものだ。システィーナもその気になればロザリーを殺すことができるだろう。
ただ、今回の彼女の目的はロザリーの殺害ではない。生きたまま捕縛しろということだ。これが唯一の救いと思えばいいのか。いや、そんなわけあるはずがない。
「……はぁ……はぁ……」
『お姉さんはよく頑張った方だよ。兄さまには「雑魚相手にユニークスキルは使うな」って言われてるから使わなかったけど全然雑魚じゃなかった。十分苦戦したし私の首が斬られたのは驚いたなぁ。お姉さん、凄く強いんだね!』
無邪気にそう告げるシスティーナ。
だがロザリーは敵からの賞賛の言葉など耳に入ってこず、彼女は別のことを考えていた。
システィーナの言葉。それはつまり、あれでもまだ本気を出していなかったということだ。もしユニークスキルを使われていたら勝負にもなっていなかった。
エルトリアに鍛えられたにもかかわらず敵わなかった。ロザリーは悔しさと不甲斐なさに唇を強く嚙み締めた。
『そうだ、お姉さん頑張ったから私のユニークスキルを見せてあげるよ。本当は見せちゃダメなんだけど特別だよ』
いつの間にかシスティーナの胴体はロザリーの前から消えていた。
この隙に逃亡を図ろうとも考えた。でも逃げたところで満身創痍な自分と余力のある相手では捕まるのが目に見えている。
彼女は諦めたくなかったが諦めるしかなかった。
そんななか、ロザリーの耳に管楽器を吹いたような高い音が入ってきた。それは祝福の音色にも聞こえる。だがロザリーからしたら完全なる敗北を知らせる音色になるだろう。
『おやすみなさい、お姉さん』
静かに告げられる最後の言葉。
存分には動けないほどに疲弊したロザリーを突如として現れた大量の水が包み込む。
その水が自分の中に入り、隅々まで浸食されていくような感覚に陥る。
意識が朦朧としているなかでロザリーの瞳に移った光景。
霧で鮮明に姿は見えなかったが、そこには頭部が元に戻ったシスティーナらしき人物がいた。しかし、所々人間ではない異形の何かを思わせるものだった……。
書籍版の加筆修正の作業が大変でweb版の更新が遅れてしまい申し訳ないです。
連載当初は更新を優先に行っていたのですが、書籍化するにあたってその時には書けなかった内容や新しく思い浮かんだアイディアを書き加えたくてその作業に時間を取られてしまい……。
それで作者からのお知らせなのですが、
書籍版の作業に一区切りがつくまでは毎週水曜日夜8時過ぎにweb版を更新していく予定で行こうと思います。
また、来月7月からは無理ないペースで更新頻度を増やしていくつもりです。
以上、ちょっとしたお知らせでした。
今後とも応援よろしくお願いいたします。





