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魔王さま、賃貸ダンジョンはじめました  作者: 瀬川綱弘
File1-2:初心者ダンジョン経営編 ――戦闘/逃亡/大暴走
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第8話:ニート、死を恐れる

 視界が開けるなり、俺は地に両手をついてむせた。

 口の中に入り込んでいたスライムの塊が、草原の上にぼとぼとと落ちる。深呼吸を3回ほど繰り返して、ようやくスライムから解放されていることに気づいた。

 足元にぬるりとした感触があったので目をそちらに向けると、スライムは俺の足元でうろうろとしているようだった。


「お前のせいで酷い目にあったぞ……」


 草むらに座り込む。俺は、周囲に広がる若草森林ダンジョンを見渡した。さっきまで歩いていたところと似た、密集した樹木の壁と雑草が生い茂った迷宮。

 ミニマップを見る。俺の周囲は、黒く染まっている。つまり、随分遠くまで飛ばされたのだろう。少なくともミニマップの視界内には、可視範囲はほとんどない。


「ワープ、ワープかぁ。まあ、異世界だし、ワープくらいあるんだろうな」


 ゼノビアさんが言っていた最後の言葉を思い出す。驚いていたくらいだから、珍しいものなのだろうか。そういえば、あちらは大丈夫だろうか。いや、あの人に限って心配する必要がないのはわかっているが……。


「ああいや、なんで俺があんなやつのことなんか」


 バカらしい。あれだけいってきた相手に、なんで俺が配慮してやらねばならんのだ。

 それよりも、良い所をみせるチャンスだ。このダンジョンをひとりで抜け出てしまえば、きっと見直すに違いない。


 なに、こんな簡単な、ダンジョン、きっと……。


 急に、周囲からの圧力が増したような気がした。

 気のせいだ。風景だって見慣れたものと変わらない。草木の色も、日差しも。なのに、急に不安になった。ああ、そうだ。思い出した。子供の頃、遊園地で親とはぐれたときだ。親から手を離して、人混みに呑まれたときだ。それまで楽しかった夢の国が、急に悪夢の国に変わった。あの感覚だ。


「……迷子の子供かよ、俺は」


 こんなんじゃ、言われた通り、俺はただの子供だと認めることになるじゃないか。三十路の誕生日、迎えたばっかなんだぞ。くそ。思わず地面を叩く。

 ぬるり。俺の拳を、スライムが避けた。


「なんだよ、お前、まだいたのか。餌なんてなんもないぞ」


 睨む。しかし、襲ってくる様子もない。元より、こいつは人を襲ってこないらしい。俺の頭に降ってきたのだって、きっと驚いただけなのかもしれない。


「悪かったよ、飯の邪魔して」


 スライムがぷるぷると震える。これが感情表現なんだろうか。

 俺は、ふっ、と笑ってしまった。スライム、スライムか。いないよりマシだ。


「そういえば、宿から出るときに干し肉貰ってたな。ほら、かわりに喰えよ」


 ポケットから出した干し肉をスライムの前に放り出す。最初は様子をうかがっていたが、躯に呑み込んだ。……おお、肉が水の中に浮いている。

 それを見ていると俺も空腹を実感したが、さてその前にここを抜け出す算段をせねばならない。


「迷子のときは動かないのが鉄則だけど」


 待ってみても、誰もこない。


「動くしかないか」


     *


 ミニマップを見ながら、俺は歩いた。途中、レッサースパイダーがカサカサと歩き回っていてビックリしたが、向こうもビックリしたのかすぐどこかに消えていった。

 できるだけ、右手壁沿いをそって歩く。迷宮なんていうのは、壁沿いに歩けばおのずと出られるようにできている。だから、時間はかかってもそのうちでることは出来る。命の危険だってない。大丈夫、大丈夫だ。


 俺は時々立ち止まってうしろを見る。ついてきているスライムを確認したのだ。

 もう餌はないんだけど、懐かれてしまったらしい。


「まるでペットだな」


 でも、なにもないよりはいい。

 そういえば、この世界でこんなにも不安になったのは初めてだ。城で殺される間際よりも、今の方がこわいのかもしれない。


 俺は両親のことを思い出していた。迷惑をかけても、文句を言っても、そう簡単には縁が切れない。そういった存在が近くにいると、自覚しなくとも安心感を得てしまうものらしい。思えば、ゼノビアさんも文句を言っても離れたりはしなかった。

 ……仕事とはいえ。

 側にいてくれる人がいたというのは、それだけで随分と嬉しかったらしい。


「言い過ぎたかなぁ、でもあんなに言われたら怒ってもしょうがいないよなぁ。なあ、お前、どう思う?」


 スライムに問いかけても、ぷるぷると震えるだけだ。だからわかんないってば。


「会ってから考えるか。いやでも怒られるよなぁ、また喧嘩だよなぁ。ここは手土産のひとつでも持って帰るべきかなぁ、やっぱり仲直りにはプレゼントを気持ちとして渡すべきかどうか」


 きょろきょろと辺りを見る。またリトル・ボアでも出てくれたら牙でも拝借するつもりなのだが、レアモンスターはそうそうポップしないのだ。

 と、思いきや。

 がさり、と草を踏みしめる音がした。これはレッサースパイダーでは出ない音だ。


「お、まさか……」


 俺は膝をついて身をかがめると、手でスライムを静止する。


 もしかして、リトル・ボアちゃん。でましたかー?


 そうだ、ワープゾーンで遠くに飛ばされたのである。遠くということはダンジョンの奥、人の手の入ってない地域。天敵がいないならリトル・ボアちゃん繁殖し放題。つまりここが巣――!

 完璧な推測である。うむ。これを不幸中の幸いということかもしれない。

 俺は息を呑んで、音がした方向を注視していた。今度は逃がさない。


 さあ、お・い・で・ま・せ――


 その体毛生い茂った躯が、通路の角から身を露わにした。

 俺は、見上げながらつぶやいた。


「あれー、これはまさか」


 大きさは、ああ、我が家だ。前世にあった二階建ての我が家、その屋根に頭が届いている。それだけの巨体だ。

 体毛は汚泥を塗りつけたように黒く、槍の穂先のように鋭く。刃物すら通さぬのではないかと思わせるほどにびっしりと躯を覆い隠している。

 その毛の中に、赤いふたつの目があった。あれが頭だ。狼のような頭だ。その獣が、こちらを見ている。

 俺の躯をケーキみたいに腑分けにできるであろう爪を地面に食い込ませ、四肢をついて、俺を、見ている。

 スライムがモンスターだって? そんな阿呆な。みたいな場違いなことを思ってしまった。


 ああいうのこそ、モンスターと呼ぶのだろうが!


「ォオオオオオオオンッ!!!」


 遠吠えと共に飛び出してくる狼の獣に、俺は踵を返して逃げ出した。


「うっそだろ――!」


 逃げ出す。ヤバい、あんなの捕まったら死ぬ。……あっ、スライムがのろのろと這いずってる。コイツじゃ逃げられないな、ええい世話の焼ける。

 俺はスライムを両腕で抱え上げて、そのままスピードを落とさぬよう全力で足に力を込めた。


「グルオオオオオオオオオオ!!!」


 突風のような遠吠えが背中を打った。文字通り、背中が叩かれたようにビリビリと震えた。足が竦まないのが不思議なくらいだ。

 俺はスライムを抱きしめる。くそ、弱音を吐いてる場合じゃない。


「なんだよアレ。ここ初心者ダンジョンじゃねえのかよ!」


 背後に迫る質量を感じながら、俺は無我夢中で走る、走る、走る。何年ぶりに走っただろうか。走り方を覚えていたことに驚いた。でも呼吸の仕方は忘れたらしい。ぜえぜえと肩を上下させて、俺は酸欠の頭で訳の分からぬことを考えていた。


 なんで、なんで、なんだアレ。


 思い出すのはあまりにも遅すぎる。そうだ、このダンジョンには、不当なモンスターが居着いているのだ。


「いきなり、格が、違いすぎ!」


 俺は転ぶように角を曲がる。背後で轟音。樹木の壁にモンスターがぶつかったらしい。

 ちょっとだけ振り返る。

 樹木が、べきべきと、折れていく。壁だった樹木がなくなり、隣の通路が丸見えになっていた。


「ひえっ」


 いま倒れた樹木、どれも電柱を何本も束ねたような太さだぞ。それをお前、当たっただけでアレって。

 俺はもし追いつかれたときのことを想像して、頭から血の気が引いていくのがわかった。間違いなく死ぬ、五体バラバラになって死ぬ。

 まっぴら御免被る!


 俺はとにかく通路を曲がる。ミニマップを見る。ワープ地点からモンスターとの遭遇位置までの道のりを引き返している構図だ。とにかく角を曲がる。構造を知った道を曲がることでタイムロスをなくし、ターンするのに手間取ったモンスターから距離を離す。あの巨体なら、さすがに運動性能は低いはず!


 だが、見知った通路という貯金が尽きる。ついに最初のワープ位置にまで戻ってきた。ここから先の道は、俺にも未知だ。

 少しだけ、立ち止まった。


「どうにでもなれ!」


 俺は意を決して、暗黒で塗りつぶされたミニマップの先に足を踏み出した。

 だが、やはり。躊躇は碌な事にならない。


「ガルルアアアアアアア!!!」


 すぐ後ろにまで、モンスターは迫っている。

 俺は角を曲がる。次の角までの道は――20メートルか!? 長い! 直線では追いつかれる!

 そのとき、俺は、足元のぬかるみに足をとられて転んだ。


 スライムをかかえた体勢で、転ぶ。顔が、水に突っ込んだ。

 俺は――。


   *


 狼の獣が、その拓けた場所に飛び込む。人影が視界になかった。鼻を鳴らして、ゆっくりと、獲物を探すように、足を踏み出していく。

 それまでの苛烈さはどこにいったのか。その巨体を足音もなく動かす姿は、まさしく狩りをするハンターだ。

 だが――。

 獣が鼻を鳴らす。いない! 追っていた獲物が、どこにも!

 困惑。

 獣が驚いて後ろを振り返り、しかしそんなはずはないと前を向く。

 獣が次の通路へと歩いて行く。

 そうだ、歩け、いけ、いけ――。

 ………………。

 …………。

 ……気配は、去った。

 

「ぷはっ!」


 俺は水――スライムの中から顔を出して、大きく息を吸った。俺が気絶するより先に行ってくれて助かった。


「今度こそ死んだかと思った」


 俺はスライムの中から頭だけ出して、安堵のあまり脱力した。ああ、スライムのなかでぷかぷか浮かぶの楽しい。

 そう、俺はスライムの体内にいた。というか、すっ転んでスライムの中に埋まる形になったのだが、そのまま全身をコーティングしたのだ。その状態で朽ちて倒れた枯れ木の陰に寝転んで隠れていたのである。

 すると、どうやら俺の臭いをモンスターが見失ったらしい。咄嗟のことだったが、うまくいったようだ。


「サンキュー、お前がいなかったら死んでたよ」


 スライムから手を出して表面を撫でる。よしよし。……撫でてることになってるよね、これ?


「まあ、これでアイツは捲いたは、ず……!?」


 ドシンドシン、と地を蹴る音が近寄ってくる。戻ってきた!?


「マジかよ! 頼む、もう一回!」


 俺は大きく息を吸い込むと、またスライムを被って物陰に隠れる。同時に、モンスターが飛び込んできた。

 ぐるりと、モンスターが周囲を見渡しながら近づいてくる。

 そして、立ち止まった。

 ……立ち止まった!?

 モンスター、動かない。

 動かない。

 ……呼吸が、苦しい。

 まずい。

 何故だ、何故動かない。

 はやくどこかにいけ。

 はやく。

 ダメだ。息が――。

 俺の口の周りから、スライムが退いた。呼吸をしろということらしい。ありがたい。

 俺は静かに息を吐いて、息を吸っ――。


「ゴウウウウウウウ!!」


 モンスターが吠える。……息を吐いた、臭いでバレた!?

 スライムが口元を覆う。獣が近寄ってくる。

 大丈夫だ、バレてない、まだバレてな――


 瞬間、咆吼。


 突風のような咆吼で。

 スライムの一部が、剥がれた。

 俺の躯が外気に曝される。


「あっ、やば……っ」


 モンスターが、こちらを見ていた。俺は背筋に氷を流し込まれた気がした。

 巨大な狼は、わらっていた。

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