第48話:魔王の城塞攻防戦(4)
あれから一週間が経過した。グローラをぐるりと囲んでいる城壁の一角には、常にモンスターたちが居座っていた。
たとえば、一番衝撃を受けたのは、見上げるばかりに巨大な人だ。
まるでティラノサウルスの化石でも見たときのような衝撃で、その巨腕によって振り下ろされる棍棒の一撃はすさまじいの一言である。城門を叩く度に鼓膜が破裂するかと思うほどの轟音で、城壁近くの兵士たちは思わず吐いてしまったほどだ。
巨大な人――無論、それは人ではない。
人の形をした巨大なモンスターで、ジャイアントの名で知られているらしい。
個体数は少ないが、それは過度に繁殖する必要のない強者の証でもある。その証拠に、腕を振るうだけで木々はへし折れ、足を踏みならせば地割れが起こるという。
まさに、人型の天災である。
しかしながら、俺たちにとっては、強大な個は脅威ではなかった。
俺は城壁の上に膝をついて、眼下を見下ろす。ちょうど、ゼノビアさんが巨人の肩に降り立ったところだった。
「朝はお静かに願います」
そんな言葉が聞こえてくる気がする。
巨人の肩にふわりと降り立ったゼノビアさんは、人の腕に着地した蚊のように小さい。
巨人は、そのひとつ目でゼノビアさんを睨んだ。
「GAAAAAAAA!」
メイドの不遜な態度に吠えた。棍棒を盛ってない手を振り上げ、蟲を潰すように振り下ろした。
ただ、まあ。
当然のように、ゼノビアさんはその手を片手で受け止めてしまったのだ。
「女性に手を挙げるとは、殿方失格ですね」
眉根ひとつ動かさない相手の姿に、ジャイアントが動揺して身じろぐ。
それを気にせず、ゼノビアさんは不躾な男の手を払いのけるように巨腕を弾き飛ばした。
「マナーを学んで出直しなさい」
ジャイアントの顎先に歩み寄ったゼノビアさんが、鋭く張り手を奮った。
その瞬間に起きたことを言葉にするならば、ぞうきんを絞った――だ。
何重にも回転したジャイアントの頭が、真後ろを向いたところでぴたりと止まり、崩れ落ちた。
足元のモンスターたちを押しつぶして、巨体が大地に倒れ伏す。
ぎゃあぎゃあ、と声を上げるモンスターたちの叫び声。それを意に介さず、ゼノビアさんは倒れた巨人の肩から飛び降りた。
「ネジロー、嬉しそうだね」
「え?」
隣にいたミレイナが、にこにこと笑顔で俺のことを覗き込んでいた。
「メイドのお姉さんが大活躍でほっぺが緩んでるにゃ」
「そりゃ、無事でいてくれたらうれしいだろ」
「そっかー、なーんだ」からかうような声音で言った。「余計なこと言うところだったにゃ」
んー? とご機嫌そうなミレイナに、俺は逆にむっとしてしまった。猫みたいな口でからかいおってからに。
「余計なことってなにさ」
「ん? そりゃあ勿論……メイドのお姉さんだけじゃなくて、アーリヤも一緒に愛してあげてねって。
ベッドの上で」
「ぶっ」
噴き出した。手が滑った。落ちる。
「うおおおおおお!?」
「はいキャッチ」
首根っこをミレイナが掴んだ。
「ネジロー、びびりすぎにゃ」
呆れが滲む声をかけられる。心外だ。
「おま、おま、ば、バカなこと言うんじゃないよ! なんでいきなりそんな変なこと言うわけ!?」
いきなりそんなこと言われたらビックリするじゃん!
しかし、俺の抗議に返された言葉は不思議そうな声だった。
「変なことってどれのことにゃ?」
……しまった、こいつは王族だし王様が二股かけることに疑問を持ってないのだ。まあ、俺のいた世界でもなければ、一夫多妻制なんてふつうに残ってしまっているのだろう。
俺を城門の上へと引き上げたミレイナが、ポンと手を叩く。
「あっ、そうか。ごめんごめん、下ネタだったかにゃ。いやぁ、ふつうに流されると思ったんだけどにゃ~。まあ仕方ないにゃ。
だってネジローは童貞だもんね」
「うるさいよバカ!!」
そっちでもねえよ! そうだけど!
思わず抜けていた腰が浮いて怒ってしまったが、ミレイナは苦笑するだけである。
「えー、でもその年なら当たり前じゃない?」
……もう俺、二度と三十路ですアピールするのやめよう。これからは正真正銘十三歳児として生きていこう。じゃなきゃ心が壊れる。
とはいえ。
「結婚とかそんなこと、考えられないんだよなぁ。
だって、まだなにも終わってないんだから」
目下の戦場は膠着状態にはいった。
しかし、兵糧攻めの問題を解決しなくては、俺たちはグローラという月の上で救援もなしに餓死していくしかないのだ。
*
食糧を運び込む動きは、順調に進んでいた。
地下大水道ダンジョン、その下水口付近に接岸した船から、木箱で厳重に梱包した食糧を運び込む。
アシッドやモンスターたちに悟られないように少人数の兵士たちで散発的におこなったが、その甲斐があってか今まで一度も妨害されることなく外部から兵糧の運び込みをおこなうことができた。
もうこの一週間で何度目かになる搬入完了の報告を、俺たちは会議室で受け取った。
アーリヤが一報を寄越した兵士を労うと、一同を見渡した。つまり、俺、ゼノビアさん、リカルド、ミレイナ。……あと、ゴン太に乗って毛をむしろうとしている神様。
神様を見て一瞬目が遠くなっていたが、何事もなかったかのように背筋を正す。
「さて、食糧の搬入につきましては順調のようですわね。もっとも、街を養うには充分な兵糧とは言いがたいですが、それでもあるのとないのとでは大違いです」
「まったくだにゃ~、思い付いたネジロー、偉いぞ!」
わしわしとミレイナに撫でられそうになる。回避。
「なんで避けるにゃ!」
「こらそこ、じゃれない」
アーリヤが肩をいからせて怒ってきたので、俺は慌てて目をそらした。
「なんです? ……別に怒りはしましたが、そこまで深刻なものではありませんよ?」
「いや、本当に反省しております、話を続けてください」
すごい不思議そうな声が聞こえてきたが、俺は必死に話題を逸らす。
いかん、ミレイナのせいで急に意識してしまって目をあわせられない。あの屹然としながらもまだ少女らしさの残った純真さの混じった目で見られるといてもたってもいられなくなる。
うう、恋愛経験も、他人に対して責任を負ったこともないことが、こんなところで追い打ちをかけてくるとは。
アーリヤは釈然としない様子だったが、追求することなく話を続けた。
「はあ……。では続けますが、目下の問題である兵糧問題は改善の目処は立っています。ですが、我々は根本的な問題に関しては手がかりさえ得ておりません」
アーリヤの言葉に頷いたのはリカルドだ。ミレイナの兄であるのにスムーズな進行である。
「アシッドの所在に関して、ですな」
「ええ。あの吸血鬼を倒さぬ限り、こちらに勝利は有り得ません。外のモンスターたちを退けているだけでは、徐々にこちらが押されていくだけです」
その通りである。何故なら、外のモンスターたちは、おそらくほとんど無尽蔵に増えていくのだ。
門外から攻めてくるやつらを、国の兵士が退け、どうしようもない相手だけはゼノビアさんが倒す。それをしても、この戦いには勝てない。
あのモンスターたちは、おそらくアシッドによって洗脳されている。だからゼノビアさんがその力を見せつけようが怯むことなく進んでくる。魔法を使えるゼノビアさんならいざしらず、素手でしか戦えない今、彼女自身は負けなしでもその進軍を止めるに至らない。
その状態で圧をかけられ続けられれば、結局俺たちは緩やかに餓死するしかない。そうならないためには、アシッドを倒して状況を改善しなければいけないのだが――。
「問題は、どうやって見つけるか、だな」
そうなのである。アシッドは、霧化ができる吸血鬼のうえに洗脳能力まで持っている。
そんな相手を、この百万人規模の都市から探し出すなどできるだろうか?
一同を悩ませる懸念を、笑い飛ばすのはミレイナだ。
「にゃはは、ならやっぱり、この街をネジローのダンジョンにしてもらうのが手っ取り早いにゃ! そうしたら場所なんて探し放題!」
「姉上さま、ダメですよ」
無論一蹴である。確かにダンジョン化されれば、俺はクリスタルに触れることで街全体の情報を得ることができるが、そんな街の生殺与奪を握ることも同然の権利、魔王に与えることはできない。
「……それは、最終手段ですから」
あれ?
と、俺とミレイナが顔を見合わせた。意外な答えである。絶対却下されると思っていた。
「そんな顔しないでください。背に腹は替えられないでしょう。
これでも、貴方の功績は認めているのですよ」
何故かアーリヤに睨まれた。……のだが、その頬がぷっくりと膨らんでいて拗ねたような表情だったものだから、心臓が高鳴った。
「え、あ、はい。それはどうも」
「なんですか、その気のない返事は。バカにしているのですか!」
「光栄です!!」
なんで褒められてるのに怒られてるの俺?
「ともかく!」アーリヤが声を張り上げた。「可及的速やかにアシッド捜索の手段を考えなくてはいけません。
然るに、まずは毒物の検出されなかった兵士たちを集め、日中に家宅捜索をおこないます。陽が出ているときならば必然的に行動も妨げられるわけですから、まずは王城を中心に捜索範囲を広げていって――」
こうして、軍議の時間がふけていく。
*
真夜中も、兵士たちの気が休まることはなかった。特に、ここ最近は。
ドォン、と門戸のたわむ音が闇夜に響き渡っていく。門外から襲い掛かってくるモンスターたちの攻撃は、ひっきりなしに続いていた。
門に襲い掛かるゴブリンを、城壁の上から降り注いだ矢が貫く。グローラ兵による斉射だ。
力尽きたゴブリンを踏み越えて、犬のような四足歩行のモンスターが城門に突進した。骨の軋む音が街の中まで聞こえてきそうだった。
そう、彼らは自分の身をまったく顧みていない。ただただ、門を破れという命令だけを守っている。それが、アシッドの毒による洗脳効果だった。
その様に、弓兵のひとりがうめき声をあげた。警備のシフトの中で何度も見せられてきたが、こうも見続けると胃に重いものが残る。
「もうやんなりますね、こんなもん見せられ続けたら」
額の脂汗を拭う。モンスターを狩ることになんの罪悪感も覚えたことはなかったが、意志に反して捨て駒にされている様を見続けるのは、正気の者にはなかなか堪える。特に、その弓兵のような若者ならなおさらだ。
「モンスター共の心配をしてる余裕なんてないぞ」それに答えたのは口ひげを蓄えた、隊長格らしい壮年の男だ。「あいつらみたいに生き汚くならねば、明日死ぬのは俺たちだ」
男の視線の先には、朽ちた同胞の肉に食らい付くモンスターたちの姿がある。屍に纏わり付く様は、餌を投げ込まれた鳩の群れを彷彿とさせた。
食う、戦う。それがあのモンスターたちに許された行動だった。
「俺たちも、飯に困ったら奴らのご相伴にあずかるかもしれんぞ」
男の冗談に、若者の弓兵は「うげぇ」と舌を出した。
「勘弁してくださいよ。そんなの死んでも御免だ」
ふっ、と男が笑う。
「なら、生き残ろうとすることだ。こんなところで気をやられている場合ではないぞ」
それは男なりの鼓舞であった。そうしてたわいもない話でまわりを奮い立たせるのが、彼が今までやってきた戦場での処世術だった。
男の笑みに、若者もつられて笑った。
「いえ、僕はそうなる前に死ぬことにします」
「…………?」
なにを言ってる、と答えようとして、男は声が出ないことに気づいた。
喉を、何かが貫いている。
こひゅう、と息をもらして視線を下げると、自分の喉仏からギラギラと光る鏃が姿を現していた。
若者が、背後から矢で一突きしてきた――と気づくのに、数秒の時間を要した。
「お……おま……」
「それでは隊長、お先にどうぞ」
若者が、男を城壁から蹴落とした。モンスターたちの群れの中に消えていく躯は、さながら津波に呑み込まれるように呆気なく姿を消した。
モンスターたちに向かって拝む。
「お粗末様です」
そして、その弓兵の足元で、城門が音を立てて開こうとしていた。




