第42話:魔王のダンジョン・クリエイト(1)
アーリヤの寝室は、女王さまらしく豪奢な造りをしていた。
天蓋のついたベッドの上に、物言わぬ躯が横たえられている。
その静寂を壊したのは、勢いよくドアが開かれる音だった。
姉のミレイナである。
猫耳少女は血相を変えて、ベッドに飛びついた。
「にゃーん! あーりやー! 目を覚ましてー!
今夜のデザート全部つまみ食いしたの謝るから!」
「殺す」
裏拳がミレイナの鼻っ柱に叩きつけられた。
「にゃああああんっ」と大袈裟によろめくミレイナには目もくれず、頭を抑えながらアーリヤが身を起こす。
地面でのたうちまわる姉を見下ろして、アーリヤがため息を吐いた。
「うるさくて目が覚めましたわ……。病人の前では静かにしていてくださいませんか、姉上さま」
「えー、倒れたって聞いたから心配してあげたのにー。だいたい、アーリヤはいつも病人でしょ?」
「ええ、ですから常に黙ってなさい」
アーリヤは、浴場で倒れた。
原因はまあ、ありきたりに湯あたりである。
最初に倒れたときは今度こそ死んだのではないかと思ってしまったが、別にそんなことはなかった。もし死んでいたら、俺が処刑されていたところである。
「それより、今度こそ魔王に殺されるところでしたわ。ただでさえ、疲れているというのに……。
あ、あ、あんな破廉恥なことで人を辱めて殺そうとは、なんたる邪悪ですか!」
アーリヤが赤面して俺を睨みつけてくるものだから、立ち上がったミレイナに首を傾げられた。
「なに、ついにネジローが女王騎士という美味しい題材を前にしてケモノになっちゃった?」
「誰かそこの猫娘黙らせてくれない?」
なんてことを言い出すのか。
もっとも、恥ずかしいことをしたのも事実なので、女王さまには言い返す言葉もない。
それに……。
アーリヤの様子を見る。未だに紅潮した頬で熱く息を吐いている。
あの熱病に浮かされたような様子にドキリとするものがないと言えば嘘になる。
「とにかく!」俺は場の流れを変えるために声をあげた。「あれは不可抗力というか。女王さまたちがあんまりにも情報を出し渋るのが原因だろ。そのせいで今日、俺たちが苦労したんだから。ねえ、ゼノビアさん?」
「そうですね、魔王さまが毎度のようにダンジョンで罠に引っ掛からなければもっと楽をできるのですが」
同意はしても厭味は忘れないメイドである。
とはいえ、このやりとりを出来ることに安心感を覚えてしまう俺がいた。あの地下で離ればなれになったときの心細さに比べたら、こうして返事があるだけで嬉しいものである。
そんな俺とゼノビアさんを見て、ミレイナの瞳孔が猫みたいに細まり、口元も笑みを形作る。
「ほほう、そのラフな様子。どうやら仲直り出来たみたいにゃね」
「別に喧嘩なんか……って、なんだその含む口調は」
「さてなんのことだが。ところでネジロー!
お風呂ではおたのしみでしたね」
「全部おまえの仕業かぁ!?」
思えば、俺はミレイナに案内されてあの浴場にたどり着いたのである。
こいつなら妹の入浴時間を知っていてもおかしくはない。そうなるとゼノビアさんやアーリヤと浴場で遭遇したのは、すべてミレイナのせいというわけだ。
いま、この場にはいないライムにしても、ミレイナが浴場へと誘導したのかもしれない。でなければ、広大な王城の配管で、あの位置にやってくるのは難しいはずだ。ちなみにそのライムは、ミレイナの寝室で寝てもらうことにしている。
ミレイナは俺の追求を意に介さず、陽気に笑い飛ばしてきた。
「はっはっは、これも乙女の気遣いにゃ。
それにこれから家族になるんだから。裸を見ても恥ずかしくない!」
「誰が魔王などと家族になどなりますか」
もはやそのネタも慣れてきたのか、アーリヤは視線も向けずに一蹴する。
その返答に、ミレイナがニヤリと笑った。
「え、ネジローとメイドのお姉さんのことだよ?」
俺とゼノビアさん?
意外な言葉に面食らってしまう。
「アーリヤったら意識しすぎにゃー、もしかしてもう乗り気かにゃー?」
「たかが受け取り間違いで調子にのらないでくれません!?」
姉妹喧嘩が勃発している横で、俺は感慨深くつぶやいていた。
「俺とゼノビアさんが家族かぁ」
なにか、身近なようで凄まじく遠い言葉に聞こえてしまう。大概の人間は生まれながらに所属する最小のコミュニティにして、将来は得ようと思わなければついぞ得られぬ共同体。
俺は、後者の家族を得られなかった人間だ。アラサーであったが、恋人なんぞいなかったのだし。
その俺が、ゼノビアさんと家族?
なにか、ハーレムだとか、奴隷だとか、メイドだとか。それらよりも余程、現実感と非現実感が合わさって足元が浮き上がっているような気持ちになった。
しかし、ぼうっとしている俺と比べて、ゼノビアさんは特に動じてもいないようである。
「ふむ。魔王という立場なら部下にお手つきをしてくるのも普通に有り得ますが、この魔王さまにその度胸はないでしょう」
「つまり度胸を見せたら良いと? そうなると俺が夫で、ゼノビアさんが妻!」
ミレイナが噴きだした。
「いやメイドのお姉さんは姉でしょ」
家族ってそっちかー! 夫と妻じゃなくて姉と弟みたいという意味での家族かー!
まあ、どう考えても俺は世話を焼かれて辛うじて生きているようなものなのだから、姉と言われれば否定する根拠はなにもない。
「そしてアーリヤが妻になるんだよ?」
「なりません。第一、そんな頼りにならない子供を夫になどするものですか」
ハッキリ言われると傷つく。そして俺はアラサーだし、見た目がアラサーだったときもまったく頼りにならない見た目だったと思う。髭すら年単位で剃ってなかったし。
でも、言うことには一理以上のものがある。夫婦として共同体を築くなら、それは一方が一方に頼るのではなく、両者が対等の関係でなくてはならない。
……少なくとも、そうあらねばならないと、俺は思っている。
だから、恋人とか情婦とか、そういった言葉よりも結婚という現実的なワードは酷く重く感じる。
なのに、ミレイナは気軽に結婚を口にする。もっとも、彼女が結婚を画策する理由は聞いているし、俺が重く捉えすぎという感もあるのだけど、それにしたって些か強引すぎるのではないだろうか。
アーリヤもあんなに嫌がってるし、ミレイナも無理強いする性格には見えないんだけどなぁ。
現に、いまも妹の体調を慮ったような行動をとっている。
眉を寄せて、アーリヤが頭痛を堪えるように頭を抑えていた。そこに、ミレイナが水差しでコップに水を注いで渡している。
アーリヤだってそれを躊躇することなく受け取っていて、口ではなんやかんやと言いつつ、仲の良い姉妹に見えるんだけども。
とはいえ、姉の横暴を受け入れる気はないらしく。水を飲んだアーリヤは提案を素っ気なくはねつけた。
「もう夜更けですよ、ただでさえ今日は面倒が多かったというのに、これ以上迷惑をかけないでくれませんこと?」
「確かににゃあ。アーリヤ、今日は前線に出なきゃいけなかったものにゃ」
「前線?」
ミレイナが、寝室のバルコニーを指さす。ガラス越しに外を見ると、遙か遠くの城壁から煙が上がっているのが判った。
「あそこ。あの吸血鬼がモンスターの軍勢を引き連れて攻めて来てるんだよ。アーリヤは、みんなが地下に行ってからあそこで指揮を執ってたの」
「王様が、わざわざ?」
「そこが勇者の血筋の辛いところにゃ。出ていかなきゃ示しがつかないからにゃ~。
ホントは、あたしが行った方がよかったんだけど」
困った困ったと口ずさむ。思い返せば、アーリヤは魔王城にも出向いていたのだし、戦で武勲を上げた先祖を持つと苦労するのだろう。
「遠方の地でならともかく、ここはグローラです。わたし自ら出ずにどうするというのですか。
王とは人ならざるもの、最も率先して大衆を鼓舞しなければならないものが臆病者では、民に申し訳がたたないでしょう」
それは同意見である。示しがつかないからな。俺の場合は、出なきゃいけない状況にしかなれないだけとか言わない。
「なら、俺も人の前に立つ機会をくれないか? 頼む、地下大水道のクリスタルに――」
「不許可です」
にべもない。
「いや、そこをなんとか。モーラットを一網打尽に出来るし!」
必死に食い下がるが、アーリヤは揺らいだ様子ひとつ見せない。
「王国の地盤とも言うべき場所ですのよ? そこに触れさせるなど――」
「良いではないですか、女王陛下」
男の声がした。
入り口へと振り返ると、そこにいたのはリカルド宰相である。女王が倒れたと聞いて、こちらに駆けつけたのだろう。
話を聞いていたのか、断固として反対するアーリヤに対して進言する。
「魔王とはダンジョンの専門家、ならば案とやらを聞いてみるのも悪くはありますまい」
「リカルド! そなた、また魔王の肩を持つのですか」
「恐れながら女王陛下、判断は話を聞いてからしても遅くはない、ということです。魔王のこととなると、聡明な貴方様も判断が鈍るようです」
不忠とも取れる発言に、端から聞いている俺でさえヒヤリとした。
そして悪寒通り、アーリヤが眉をつり上げた。
「不敬な! この者は人類の怨敵、魔王ですのよ。警戒して然るべきでしょう!」
実際、勇者の血筋が魔王の提案に載るなど、騙されるかもしれないという疑うのは当たり前のことである。ミレイナが特殊すぎるだけだ。
だから、逆にあっさりと提案に耳を貸そうとするリカルド宰相は意外でもあった。血は繋がっていなくとも、こういうところはミレイナに似ている。
よし、では、その助け船に有り難く乗ろうとしよう。
「そんなに信用できないなら、ミレイナにもっと監視させたらいいだろう。俺じゃなくてミレイナを信用しろよ」
「信用? できるわけがありません。家族だろうが、それは近しい他人でしょう」
ムッとした。なにを余計な言葉を付け足しているのか。
姉を他人だ、と切って捨てたその様子が、俺は無性に気にくわなかった。
「……なら、あんたが俺を見張ればいい。俺がクリスタルに触れる間、この首に剣を押し当てていたらいいだろ。そのときは、ゼノビアさんだって側にいさせない。これでいいだろ?」
「魔王さま、それは」
ゼノビアさんに渋い顔をされた。
今日もゼノビアさんと離ればなれになったせいで苦労したというのに、また好きこのんで彼女と離れるというのだ。俺ひとりでは逃げるしかできない以上、その状況は気まぐれでの死を意味する。
だが、このままではどうせ死ぬ。王国の信用を得られず処刑されるか、王国から逃げ出してアシッドの軍勢に捕まるかだ。ならば、命が生きる危機に飛び込む方が良い。少なくとも、足踏みをしないで済む。
売り言葉に買い言葉じみた宣言ではあったが、別に理がないわけではないのだ。
「……なるほど、魔王らしく自身の命も雑に扱うのですね。ええ、ならば、そなたを地下に案内してあげましょう」
堂々と斬り捨てる口実ができたとばかりの嘲笑。
「ですが、そのまえに。なにを企んでいるか聞きましょう」
俺は、地下大水道でおこなおうとする事業について語ってみせた。
そうである。ここからが、ようやく俺の本領発揮。
ダンジョンによる商いの時間だ。
「さて、じゃあアイツも利用させてもらおうか」
俺は窓の外の煙を睨んで、笑った。




