第4話:ニート、宿を得る
村には門があった。
周囲は木杭を地面に打ち付けて作った柵で覆われている。遠くから見ている分には木の壁なんて……と思っていたが、こうして近づいて見ると丸太がいくつも組み合わされていて、想像以上に堅牢そうだ。村人と思われる、槍を持った軽装の男性がふたりも門番に立っている。
「疲れた……」
とにかく休みたい。家事手伝い業の俺には、10分程度とはいえ歩き通しは足に辛すぎる。なんかもう膝がガタガタ笑っているぞ。
「これからは体力をつけねばなりませんね。さあ、行きますよ」
案内をしてくれた兵士と門番に別れを告げると、ゼノビアさんが俺の手を引いて村の中へと足を踏み入れた。
「……あ、うん」
口をつくのは生返事。自分の手がゼノビアさんの手にすっぽりと包み込まれたことで頭がいっぱいになっていた。それだけのことなのに、全身を毛布でくるまれたような暖かさがある。
ずっとこうしているのもいいかも、と思ってしまって。俺は文句ひとついわずその柔らかくなめらかな手に引かれるままに歩いた。
何分か歩くと、村の広場にたどり着く。木陰に設置されていたベンチに、俺たちは腰を下ろした。
「はあああ……足が棒になるところだった……」
歩き続けた疲労感で足全体がジンジンと痛む。地面に足がつかないので、振り子のように足を揺らして疲れを紛らわせようとした。
「まさか魔王にもなっても徒歩で移動するなんて思わなかったな」
「魔王を引きこもりか何かと勘違いしていらっしゃいませんか」
「似たようなもんだろ」
だってラスダンから出てこないし。
なにか言いたげな視線を感じつつ、俺は空を見上げた。青に朱色が混ざりつつある色で、もう夕方になろうとしていることに気づく。一日が終わろうとしているのだ。
時間を意識すると、余計に脱力感が襲ってきた。
……夢じゃないんだな。
疲れもするし喉も渇く。腹も空腹を訴えている。服に汗が染みこんで、カットソーが躯にべったりと張り付いていた。長らく嗅いでいない草木の香り。どれもこれもが、あまりに現実的なものだから、これが嘘じゃないことは身に染みてわかった。だってもう何年も、こんな匂いや不快な汗とも無縁だったのだから。
それでも、夢じゃないが、夢みたいだと思ってしまう。何故なら、このベンチに座り込むまでの間に、俺は色んな人物を目撃したからだ。
「ほんとの現実で、ケモミミ人類を見ることになるとはなぁ」
すれ違った村人たちを、俺はいちいち目で追ってしまった。
猫耳の女の子、大柄でウシのような角を生やした大男、赤い鱗で覆われた……竜人?
奇異の目で見てしまったものだから向こうも見返してきたが、ばつが悪くて目をそらしてしまう。そのとき微笑まれたのは俺が子供の姿だったからだろう。子供は物を知らないから、色んな物に興味を持ってしまうものである。……ううむ、やはり受け入れがたい。
「それも、全然珍しいわけでもないとはなぁ」
「魔王さま、最低限の常識をお教えしますと、魔王さまのようなヒューマンは全体人口の18%ほどしか存在しませんよ」
「へえ、じゃああの狐耳の女の種族は?」
俺は適当に、その辺りを歩いていた人を手で指し示した。大きな狐耳が特徴的な、スポーツでもやっていそうな引き締まった手足を持った女性だ。
ゼノビアさんは地面に目を落として考えるそぶりを見せたが、それも数秒のことだった。
「ネヴァーナですか。32%で最多ですね」
「え、なんか多くないか」
「生命力が強いですから」
生命力。
「ほほう。つまり、あんな細っこい躯で夜な夜な激しい行為を……」
「そうですね。動物的に激しい交尾にいそしんでいるでしょうね」
「人が言葉を濁したのになんでそういうこというの?」
これってセクハラかな? みたいな気持ちで慎重に言葉を選んだんだぞ俺は。
しかし怒った俺にゼノビアさんが向けた目はこれまた冷たい。
「なにを言っているのですか、魔王さま。いやらしいことなどありません。
性行為とは聖行為です」
「お前ほんとなに言ってんの?」
エロ漫画でも見ないよそんな台詞。
「次にそんなふざけたことを申しましたら、その脳天に手刀を叩き込みますのでそのつもりで。非礼には制裁が必要です」
理不尽すぎる。
それとも俺は知らず知らずにこの世界の人間の逆鱗に触れてしまっているのだろうか。異世界、常識が違うのはここにくるまでの間でも意識していたが、まさかこんな倫理観に根ざしたことでも違うとは……。
異世界生活の大変さを実感しつつ、そういえばゼノビアさんの種族がなんであるか知らないことに気づいた。並んでベンチに座っているゼノビアさんの頭を見上げてみる。羊のごとくねじくれた角は、ここに来るまでの間にひとりも見た覚えがない。
なので気軽に訊ねてみた。
「っていうか、お前はなんて種族なんだよ」
「淫魔ですが」
「なにそれエロい!」
「制裁」
スパーーーン!!!
チョップで脳天を叩かれた。
「お、お前! 頭蓋骨! 頭蓋骨割れたらどうすんだよ!!」
「割れてません。……いえ、すいません。割れたかも」
「割れてない! 割れてないから!」
割れてないよね? ほんとに割れてないよね?
頭をぺたぺた触る。……うん、割れてない。
俺を見下ろして、ゼノビアさんがこれ見よがしにため息をついた。
「まったく、魔王さま。あなたにはデリカシーというものを身につけてもらわなければなりませんね」
「今の俺だけが悪いの!?」
判らない……この世界の常識が俺にはよくわからない……。
「部屋に帰りてえ……俺の城に……」
想像以上にげっそりとした声が俺の喉から吐き出された。
手が届く場所に飲み物ひとつない。六畳ほどの俺のプライベートスペースこと城、我が安寧の地においてはこのようなことはなかった。そのことを冷静に思い出すと、急激に心細くなってきた。いまここで体調を崩しても、潜り込む布団すら近くにはないのだ。
「そんなに城に帰りたいのですか?」
「あんな広いもんじゃないんだよ。なんか改めて考えてみるとあんなデカイ城にいたって落ち着かないよな……だって喉が渇いても手が届く場所になんもないんだぞ」
「渇いたんですか、喉」
「……渇いたなぁ」
こっちに来てから一滴も呑んでないしなぁ。
引きこもり生活が長くなると、すぐ手の届くところに水や食べ物がないと「もしも」のことを考えて無性に不安になるのだ。
別にそんなことがないとは判っていても、だ。熱中症、空腹、疲労で倒れてそのまま誰にも助けられず死んでしまうのではないか、とか考えて不安になる。
……よって、不安によって発狂していないだけ今の俺は奇跡的にマシといえた。
さて、どうしたものかなぁ。
「おお、そこのキミ。もしかして、お困りかにゃあ?」
ひょこっ、と。いきなり目の前に顔が突き出された。
「おうわっ!?」
びっくりして起き上がる。
ひょいっ、と相手が頭をあげて頭突きを回避。
驚く俺を、ゼノビアさんは冷ややかな目で見ていた。
「先程から遠巻きにこちらの様子をうかがっていましたが、気づかなかったのですか?」
「なら言って?」
めっちゃ心臓に悪かったからね?
とはいえ、ゼノビアさんが放置していたということは、まあ危険な相手ではないのだろう。俺は改めて相手を見た。……おおっ、猫耳の生えた女の子だ!
ショートヘアの快活そうな猫耳少女は「ごめんごめん」と笑いながら両手を合わせる。どうやら、謝罪のときのボディランゲージは俺の知っているものと同じようだ。礼儀作法は俺にとっても見覚えのあるものが多くてなによりである。
「にゃっはは、いやー驚かせてごめんねー。なんでも村に珍しい旅人が来たって聞いてね。様子を見に来たってわけ。
あっ、紹介が遅れたね。あたしは"今日の箸休め亭"の看板娘ことミレイナ・キャッツ。よろしくね、ボク」
むっ。お前は見たところ十代後半。俺よりも一回りは下だぞ。
「ボクって……おいおい。俺の方が年上だぞ! 敬え!」
ずびし。ゼノビアさんの手刀が頭に叩き込まれた。
「あなたは12歳の子供でしょう」
しまった。いまの俺はショタなのだ。そして弁明したら怪しまれること請け合いである。
「いやー、面白い子だねぇ。それはそれとして、はい。お近づきの印にドリンクどうぞ」
当のミレイナはこれっぽっちも俺の言葉を信じていないようだった。セーフ! 次から気をつける!
俺の発言をさらっと流したミレイナは、何事もなかったかのように木製のカップを渡してきた。カップの中には薄緑色の液体がたっぷりと注がれていた。お茶かなにかだろうか。
「……いただきます」
ともあれ、とにかく喉が渇いていた俺はおとなしくそれを受け取ることにした。前なら片手で受け取れるようなサイズだったが、今では両手で持たなければ落としてしまいそうだった。
グイッ、と一気にカップの中身をあおる。瞬間、口を通って鼻の奥へと清涼感のある香りが突き抜けた。
こ、これは……。
「喉と鼻を突き抜ける爽やかな香り、息を吸い込む度に体温が奪われるような感覚……まさか、ミントか!」
「にゃはは、あーたり!」
ミレイナはニコニコと笑顔で言った。
……ミント、この世界にもあるのか。
俺は歯磨き粉以外で口にしたことはなかった味だったので、体内を滑り落ちていく冷たい感覚にうめいてしまった。
「ううう……」
飲めないわけではない。砂地のように乾燥した俺の喉は水を欲し、だから俺はちびちびと飲み続ける。喉を通ってミント水が胃に落ちていく度に、じわりじわりと水気が躯に染みこんでいくようだった。
俺から勢いがなくなったからか、ミレイナは困ったように頬を掻いた。
「うーん、ダメだったかなぁ。ミントのドリンク、美味しいと思うんだけどにゃあ」
「ミントとは、あの抜いても抜いても生えてくる雑草ですか? よくもあんなものを食用にしようと思いましたね」
「いやー、かじってみたら結構美味しくて」
不味くはないけど、こればっかりは好みによるよなぁ。
といいつつ、なんだかんだで飲み干してしまった俺なのだった。慣れてくるとこの清涼感はクセになるぞ。お口爽やかスッキリだ。
「おおっ、良い呑みっぷりだねぇ! これは将来が楽しみだにゃあ。で、うちの実験製品……商品を呑んでくれたのも何かの縁かもしれんにゃ!」
いま実験製品っていいました?
「それでね、今晩はうちの宿に泊まっていかない? お疲れでしょ」
確かに、もう夕暮れだ。この世界の時間経過が俺の世界と同じなら、すぐに夜が来るだろう。宿を決めておかなければいけないというのも、当然といえた。
ゼノビアさんの方を見ると頷いたので、どうやら泊まっていいらしい。
よし、そうと決まれば一番良い部屋で豪勢に一夜を過ごしてやるとしよう。大きすぎる場所は落ち着かないといったが、それはそれとして持っているお金は湯水のごとく使ってしまいたくなるのが俺のような庶民なのだ。
俺はとにかく偉そうに、大袈裟に頷いてふんぞり返った。
「うむ! ならばとにかくデカイ部屋を俺にくれ! 案ずるな、金ならいくらでもある!」
「いえ、一番安い部屋をひとつお願いします」
「はいよー」
あっ、あっさり無視された。
「質素倹約。無駄遣いなんてする余裕はないのですよ」
「まあまあ、子供は調子にのりたがるから大目に見てあげなよメイドさん」
ううう。いいじゃん少しくらい使ったって困るような貯金額じゃないんだし……。
冷静に考えてみると、命からがら逃げてきた形の俺たちが大盤振る舞いしていたら怪しまれるのも道理なのだが。
「それじゃ、うちの宿に案内するよ。ええと、お二人とも名前はなにかにゃ?」
「私はゼノビアと申します。こちらは根城・鹿馬さま」
「ネジロクマ?」
なんだその新手の熊みたいな名前は。
「うーん、うーん……じゃあネジロー! ネジローくんね!
それじゃ、お二人様ごあんなーい!」
変な名前をつけられてしまったが、まあ別に名字を呼ばれることは嫌ではない。わざわざ否定するのも面倒なのでそれいこう。
さて、そういうわけで俺たちは宿に向かうことにした。
最初の村で宿屋に泊まる。およそ魔王らしくない行動だが、俺は不思議と納得感を覚えていた。幾度となくこなしてきた光景のように感じてしまって、それはRPGでの経験だと思い至る。
ひとり笑ってしまった。これでは魔王ではなく勇者だな、うん。




