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魔王さま、賃貸ダンジョンはじめました  作者: 瀬川綱弘
File2-3:城塞ダンジョン籠城編 ――試練/対決/再挑戦
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第36話:魔王と地下大水道の悪夢(3)

 ミニマップに表示されていたのは、もはや点ではなく面となった、膨大なモーラットの集団であった。


 俺はダンジョンを走り抜けながら振り返り、ランタンを頭上に掲げた。


「やっぱり、こっち探知してる――!」


 遠方の闇が、まだらにうごめいた。

 その正体を悟っていると、おぞましさに背筋が凍える。


 あの闇の塊は、総てモーラットの群れなのだ!


 床が埋め尽くされるどころではない、ネズミの壁が迫ってくるような勢いだ。


「あわわわ、ご主人さま、どうしよう!」


 息を切らせて走るゴン太と、慌てるライム。

 俺はその呼びかけに、気を抜けば真っ白になってしまいそうな頭を振り払う。


「どうするもこうするも、こうだろ!」


 俺は腰に下げていた硝子瓶を手にとった。

 できることなら、こんなに早く使いたくなかったけど!


 俺はモーラットたちが走る通路の床に、硝子瓶を叩きつけた。

 甲高い音を立てて砕け散った小瓶から飛び散ったのは、ガラス片と粘性の液体。


 中から溢れ出したのは、油だ。


 俺が行使こうしできる能力を最大限に生かせる手段であり、かつ前回の事件で有効性を確認できたもの――。


 俺は手を握りしめる。


「ランタンのように煌々と燃えよ、闇を照らす……ええと、紅蓮の炎よ! ファイア!」


 前々から練習していた呪文を詠唱した。ゼノビアさんに習ってから、グローラへ向かう間も続けていた練習が、いまこそ実を結ぶ。


 この世界での魔法に規定の呪文はない。ただ、自分が起こしたい現象をより明確にイメージできる言葉であればいいのだ。

 俺は手にしたランタンという炎を参考にイメージを作り上げ、手に炎を産み出す。


「っ、燃えろ!」


 地面に捲いた油に向かって炎を放った。瞬時に引火。


 轟ッ! と一瞬にして通路が炎に包まれた。燃料を得た火種は、俺ひとりでは到底生み出せない炎の壁となって通路を遮断する。

 熱風が顔に打ち付けていて、あまりの熱気に顔を手で庇う。炎の向こうでモーラットたちの悲鳴があがり、炎に捲かれて転がり出てくるヤツが下水に落ちていく。


 効果は絶大、これでモーラットたちはこの道を通れない。思わずガッツポーズしてしまう。


「走って先に進むぞ!」


 炎が消えぬ間に、こいつらから離れなければいけない。ライムとゴン太に声をかけて先を急いだ。


   *


 ミニマップからモーラットの集団が消える距離まで走りきると、俺は膝に手をついて息を切らした。


「はあっ、くそ、あの油はもっと温存しておきたかったんだけどな」


 俺ができる攻撃手段なんてのは、あの火炎瓶くらいのものである。そもそも、さっきの油だって出来ることなら使いたくなかった。

 あの油は、ミレイナと暇潰しで街を巡っているときに買ったものであって、本来は戦闘用で買ったわけではない。まあ、使えるかもと腰にぶら下げておいたのは事実であるが。


 ともあれ、結果オーライである。当面の問題は別にある。


「でも、やっぱり気づかれてるよな」


 別に、ダンジョン内にそれらしい監視装置がある気はしないし、そもそもドブネズミが監視なんてできる知能を持っているとは思えない。


 こちらが悩んでいる間、ライムは身をかがめてゴン太の頭を撫でていた。


「ゴン太、ご主人さまより先に気づくなんてえらいえらーい」


 ぺたぺたとスライムの手に触れられて、ゴン太は当然だとばかりに鼻を鳴らした。しかも俺を見て口の端を持ち上げるドヤ顔である。この野郎、俺が援護しなかったら今頃おまえもネズミの餌なんだぞ。


 ……ん? いや待てよ。

 なんでゴン太も俺より先に気づくことができたんだ。こいつはミニマップ機能なんて持ち合わせていないはずである。


 モーラットとゴン太、なんで両方とも俺の範囲外から索敵することが――。


「って、しまった、ニオイか」


 当たり前の話であるが、犬とネズミは嗅覚に優れた動物である。

 それが巨大化したモンスターなら、もっと優れた能力を得ていてもおかしくはない。


 ミニマップという特殊能力があるから、地形把握に関してはこちらにアドバンテージがある、と思っていたせいで、生物固有の能力について見落としていた。


「これが能力に振り回される、ってことか。用心しないとなぁ」頭をポリポリ掻いて。「うーん、ニオイを消す方法、か。なにかあるかな」

「あっ、ご主人さま、またライムの出番?」


 ライムがキラキラした目で俺を見ていた。

 おおっ、そうだ、なんだライムがいるじゃないか。

 たしか、ゴン太と戦ったときも同じことをしていた。俺は頭からスライムを被って、相手の嗅覚を誤魔化そうとしたのである。


 問題は、いまライムを全身に浴びようとしたら消化されかねないことかな?


「まあ、下水を被るわけにもいかないしな。頼むやってくれ」

「わーい、じゃあご主人さま、うごかないでね!」


 すると、ライムに抱きしめられた。大きなおっぱい(※水です)が顔に押し付けられる。


 むにゅっ。


「むがっ」


 いや、たしかに、前もしたけど。前はスライム娘じゃなかっただろ、おまえ。

 なんかこう、犯罪的だぞ!


 と、口に出したいものだが、ライムの胸に顔を塞がれてそれどころではない。


「えへへ、スライムぬりぬり~、ぬりぬり~」


 胸が顔全体に押し付けられて塗り塗りされるーーー! 弾力に挟まれてすり込まれるーーー!


「お、おごご、息、息が……。

 って、待て待て待て、そっちは! 下着の中はノータッチでいいから!!」


 躯の至る所に入り込みそうになったライムを押しのける。

 うう、躯が全身スライムだらけで重い。


 同じくスライム塗れになって不服そうなゴン太も連れて、さらに先に進む。


 俺はミニマップで見てきた地図を脳内で思い返しながら、なんとかゼノビアさんの方へ迎えるルートを脳裏に思い浮かべた。


「多分、動いてなかったらこっちの方だとは思うけど。しまったなぁ、あのとき動かないでいてくれって言えばよかった……っと」


 ライムによって安全が確保された床へと飛び乗る。安全装置をけんけんぱと飛び越えていくと、罠を発動させなかったことに安心した。


 揺れるランタンを手で押さえて、俺はゼノビアさんのことを考える。


 多分、今頃、前みたいに歩き回って探してくれているはずだ。そうなっては、合流するのは至難の業である。


 本当に、自分が嫌になる。咄嗟の出来事には、昔からとにかく弱いのだ。就活での想定外の質問や、試合・・での揺さぶりなんて、ついぞ克服できずに生涯を終えるハメになったのだから。


 ……思い出しても仕方が無いことだ。


 俺たちはランタンの明かりとミニマップを頼りに道を行く。スライム塗れになってから、モーラットとは頻繁に遭遇しなくなっていた。


 襲撃の心配が薄れると、より周囲に気を配る余裕がでてくる。


 水路を流れていく川の流れのような水音。

 水音に紛れきらぬ、石畳を叩いて反響する靴音。

 ランタンの明かりでは照らし切れぬ、どこまでも続く暗闇。

 下水から漂う、人間のひり出した排泄物や廃棄物の汚臭。


 本当に、都市の胃袋に収められた気分だ。

 そして、このままでは消化されてしまうのも時間の問題だった。


「ストップ」


 角の手前で足を止めて、身振りでライムとゴン太を立ち止まらせる。向こう側にモーラットがいた。


 息を潜めて少しすると、モーラットたちは別方向へと走って行った。

 俺は安堵で胸をなで下ろす。戦闘は避けるに越したことはない。相手は少数とはいえ、戦いは消耗するものなのである。


 なにせこちらには、回復アイテムも回復魔法もないし、セーブポイントだってない。そんな状況、いくら注意を払っても足りないだろう。


 俺はライムとゴン太を振り返る。ゴン太はまだまだ余裕があるようだったが、ライムは心なしか疲れているようだ。表情は明るいままだが、全体的に躯が重力に負けて潰れている。


「ライム、大丈夫か? キツいならすぐ言うんだぞ。一旦休むからな」

「だいじょーぶ、それにゼノビアさまならこれくらい涼しい顔だもんっ! これくらいフツーフツー」

「あの人は特別だから真似しちゃいけません」


 普通はもう疲れてます。

 しかし、俺の言葉にライムは首を傾げた。


「あれ? フツーならもう疲れてるの? 疲れた顔しなきゃダメなの?」

「しなきゃダメってわけじゃないけど、疲れてるんだろ?」

「うん。じゃあ疲れた顔しなきゃ! えっと、ご主人さまみたいに……」


 でろん。ライムの眉尻が下がり、口をだらしなく開けて肩で息をし始める。


「って俺そんな顔してるか!?」

「違ったかなー、がんばって真似したのにー」

「というか、おまえ、ずっとなにかの真似してたのか?」

「うん? うん! 人間の真似っこしてるよー、だって、そうしなきゃどうしたらいいかわかんないもん!」


 それもそうか、ずっとスライムとして生きていたのに、人の感情表現を簡単に理解できるはずがない。そもそも、人だって赤ん坊の頃から親を見て習得していくものなのだし。


 なるほど、ライムがたまに誰かに似ていると思ったのは、本当に似せていたのか。


「……いかんいかん。つまりライムの教育に悪そうな奴との付き合いは避けなきゃいけないぞ。ミレイナとかミレイナとかミレイナとか」

「ご主人さま、ぶつぶつ言ってどうしたの?」


 なんでもないです。


「バウ」


 いったいいつまでそうしてるつもりだ? とゴン太に急かされた。

 この悩みはここから出てから改めて考えるとしよう。


「んー、ここバッチィよぉ」


 罠探知をしながら、ライムが腕を振るってスライムの飛沫を飛ばす。体内の汚れごと躯を捨てているらしい。


「そりゃあ、下水道だし。でも我慢しないと、また躯が小さくなっちゃうぞ」

「でもでも、床が黒く汚れてるんだもーん」


 見ると、床には黒ずんだ汚れが線を引いたように残っている。


「これは、モーラットの足跡みたいなものか?」


 膝をついてよく見ると、俺たちが来た方向にも続いている。擦ってみると、指の腹に細かいおうとつの感触がかえってきた。石畳が細かく抉れているのだ。

 足跡が、線に見えるほどに密集している。背筋があわだった。いったい、どれだけの数のモーラットがここにいるというのだ?


 暗闇を見回す。ミニマップがなければ、この暗闇のどこにモーラットがいるか判らず、恐怖に震えたことだろう。冒険者たちの心労は計り知れない。


「想像以上にマズい気がしてきた。はやくゼノビアさんと合流しよう。行くぞ」


 地図を見た。大きく迂回している形だが、このままいけばゼノビアさんと別れた場所に回り込めるはずである。


「んー、でもご主人さまぁ。どんどん地面のくぼみがすごくなってるよ」

「……マジか」


 といっても、引き返してもやがて火炎瓶で作った炎の壁に当たるだけで、退路はない。


「この先、道が二股に分かれてる。安全な方に行けば大丈夫だろう」


 ミニマップを見た限り、水路を横断できるように石橋のような通路が横に伸びていた。真っ直ぐ進むか、この橋を渡るか。進んでから決めてもおかしくない。


 だが、進めば進むほど、俺は顔が冷えていくのを感じた。


「なんだこれ」


 血の気が引く、とはこのことか。

 ミニマップの反応に、俺はいますぐ逃げ出してしまいたくなった。


 ここから先に進んだ場所に、俺たちが潜んだような小部屋がある。

 そこに、巨大な赤い光点があった。正確にいえば、ひとつの光点にしか見えないほど、無数の反応が密集していたのだ。


「何匹いるんだよ……」


 これは、あれか。ローグライクゲームにあるモンスターハウスというやつか。

 入ったら最後、骨になるまで食い尽くすされるのが容易に想像できた。


 もし火炎瓶を温存していたとしても、どうしようもない。炎を突っ切ってこちらに乗り込んでくる様が想像できる数だ。


「ご主人さま、そんなにすごいの?」

「ああ、ヤバい。あそこがモーラットの巣なんだろうな。そりゃ、ダンジョンに入った冒険者が帰ってこれないわけだ……ひとりふたりじゃ、太刀打ちできないだろう」


 それこそ、個人で挑むには化け物みたいに強い人でなければ厳しいだろう。でなければ、五〇センチもあるネズミの集団に群がられて、全身食いちぎられて死ぬのが落ちだ。


 ……こんなこと、まったく聞いていない。

 もし知っているなら、無策で冒険者を送り出したりしないだろうし、王国はモーラットの大量発生を知らないのだろうか?


 このことを上に報告すれば、ひとまず面目は保たれるだろう。

 問題の解決は残念ながらできないが、任務達成というやつだ。


「こりゃ、上に戻って考え直しだな。無策で虱潰しじゃ、いつ解決できるか判ったもんじゃないし。

 アシッドのヤツが攻めてくるまでにどうにかしなきゃいけないんだから、時間なんてかけてらんない――」


 そのとき。

 大地が鳴動した。


 ガクンッ、と下水道全体が衝撃で震えた。天井から塵がこぼれ落ち、流れる下水が海のようにさざなみを起こす。


 地震でも起きたと錯覚する揺れに、ライムは小さく悲鳴をあげてうずくまり、俺も同じように腰を落として耐えた。


「バウ!」


 ゴン太が天井を睨みつけている。だが、ミニマップにはなにも反応がない。こいつは下水道の外を意識しているのかもしれない。

 揺れはすぐに収まる。


「なんだ、今の。上でなんかやらかしてる……?」


 なにか、事態が切迫している。こんなところで油を売っている場合ではなさそうだ。

 一刻もはやく、ゼノビアさんと合流を――。


 あっ、とそこで俺は嫌なことに気づいてしまった。

 モーラットの巣から、光点が溢れ出したのだ。


「ヤバっ、はやく別の道に行くぞ!」


 俺はライムたちを急かして、石橋の方へ――。


「……勘弁してくれよ」


 石橋の方からも、モーラットの集団が現れていた。

 今度は、逃げる道もなく、迎え撃つ手段である火炎瓶もない。


 俺たちは、ふたつの人食いネズミの集団に肉薄にくはくされようとしていた。

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