第35話:魔王と地下大水道の悪夢(2)
「くそっ、ダメだ、ネズミたちがたむろしてる……あっちの道は戻れないな」
俺はミニマップに表示される無数の光点を見て、舌打ちをする。
あれから数十分。
俺とライム、ゴン太は地下水道にあった貨物置き場にされているらしい小部屋で息を潜めていた。
地面に座り込み、積み上げられた木箱に背を預け、指で膝を叩く。モーラットは徐々に散ってはいるが、それでもこのペースでは解散する頃には完全に夜だ。
それにあいつらが夜行性だとしたら、時間が遅くなればなるほど数の暴力は力を増していく。待っていては自分の首を絞めるようなものだ。
「ご主人さまー、ゼノビアさまなら絶対だいじょうぶだよ」
焦燥感にかられる俺とは裏腹に、ライムの様子は明るい。取り残されてしまったゼノビアさんの心配は一切ないようで、そこは俺も同じである。むしろ挑みかかろうとしたモーラットに同情してしまうくらいだ。
それに、俺はあの人を心配できるほど、俺は強くはない。
むしろ、心配をかけている側なのは俺だ。
「どうする……どうやって俺たちだけでゼノビアさんに合流する?」
俺の戦闘能力は皆無に等しい。そもそも武器がない子供の身で、五〇センチもあろうかという動物に挑みかかるなんて無茶だ。それでいて数も圧倒的に差がある。
ライムなら、あのモーラットたちよりは強い。それでも、やはり集団戦になれば判らない。
最大戦力は甚だ遺憾ながらゴン太だが。
「グルル……」
先程から地面に寝転がって尻尾を揺らしている。降りかかる火の粉は払うだろうが、俺の言うことを素直に聞いてくれるとは思えない。もっとも、いざとなれば行動してもらうこと自体はできるだろう。こいつにはドミネーションがかかっているのだ。
ドミネーション、魔王だけが使えるスキルであり、一度支配下に置いた相手はこちらの指示に従うことになる。いかにも、魔王さまらしい鬼畜スキルだ。
もっとも、強力な作用を起こすのも、俺が強ければの話である。
例えば現実でも、マフィアのボスに弱みを握られたら従わざるを得ないことでも、子供に弱みを握られたら始末してしまえば封殺できる。それと同じように、いくら相手の秘密を握ろうとも、当人が弱ければ力づくで握りつぶされるだけだ。
現実問題、弱みを握って格上を一方的に支配するなんていうのは、空想の中でのお話である。支配とは、相手の同意と善意、利害関係によって成立するのだ。
よって、俺は弱すぎるために、相手がよほど拒絶したい命令の場合は容易く拒否されてしまう有様である。
問題は山積みだ。
こちらの戦力は低く、ダンジョンは都市ひとつ分の広さを誇り、挙げ句にトラップがどこに仕掛けられているかもわからない。若草森林ダンジョンと違い、防衛のための機構がいくつも混じっているはずである。
俺の脳裏には、朽ちた屍が思い出されている。
ああやって、死ぬのは自分かもしれないのだ。
「ねえねえ、ご主人さま」ライムに肩を突かれた。「ミレイナおねーさんに助けてもらえないかな?」
「助けてもらうって、どうやって」
「えっとね、えっとね、魔王さまなら地図みられるんだよね?」
ライムが名案を思い付いたと胸を張った。渾身のドヤ顔で。
「なら、最初とは違う出口もみつかるよ。そこからお外にでて、助けを呼びに行くの!」
「ダメだ!!」
ごぅん、と音が小部屋の中に反響した。
ライムが、突然顔を叩かれたかのように驚いて、目を見開いている。
いったい、なにを言い出すんだコイツは。
「ゼノビアさんを見捨てて逃げるなんて、絶対ダメだ」
「あうう、あうう、ちが、ちがうの……そういうんじゃなくて……」
ライムの躯が弾力を失って硬くなった。縮こまり、目が執拗にゲルの中で左右に泳ぐ。
このまま逃げ帰るというなら、こんな汚い場所にあの人を置いていくということだ。俺の背中を押したせいでひとりになってしまった人を、置き去りにするなんて、そんなことどうしてできるというのか。
あり得ない。考えすらしなかった。自分のために躯を張ってくれた人を見捨てるなんて、そんなことどうして出来るというのか。
もしここで仕方ないから、出来ないことだからと言って尻尾をまいて逃げて、それで明日からお天道様を見上げられるか。
俺にはできない。絶対にできない。もしそんな羞恥すら自分の中になかったとしたら、目を潰して死んでいる。
俺は弱い。
だからといって女を見捨てる理由にならない――。
「バウッ」
ゴン太を見ると睨まれていた。
ライムが泣きそうになって震えていることに気づいて、俺は「あっ」と声を洩らす。
なにをやっているんだ俺は。ライムは純粋に俺たちのことを考えて提案してくれたのに、それを怒鳴るなんてどうかしている。
「ちがうの、ライム、ゼノビアさま見捨てるなんておもってないの。でもご主人さまがあぶない目にもあってほしくないの」
「ごめん、ライムは色々気遣っていってくれたんだよな。ごめん、ごめんな」
慌てて立ち上がって、ライムをあやすために手を伸ばす。頭を撫でて、何度もごめん、ごめんと繰り返す。
「怒鳴ったのは、ライムを怒ろうとしたんじゃないんだ。ただ、そう言わせなきゃならない自分が不甲斐なくてしょうがなかっただけで……だから、おまえはなにも悪くないよ」
「ほんとう? ご主人さま怒ってない?」
「本当だよ」
おそるおそる俺のことを見ていたライムが、ようやく目を細めて笑ってくれた。子供が記念写真の中で見せるような笑顔だ。
「よかったぁ」
ゴン太が鼻を鳴らして、また首を引っ込めてだらけた姿勢に戻る。
非常に癪ではあるが、こいつに気づかされてしまった。
「でも、逃げることはできないんだ。王国の信用を得るためにも、俺たちだけでなんとかしなきゃいけない。
このダンジョンを進んで、ゼノビアさんと合流しなきゃいけないんだ」
そうだ、逃げられないし、逃げてはいけない。
たとえ、ゼノビアさんの方が遥かに強く、助けになれないとしても。
生涯、俺が彼女に追いつくことはないとしても。
だから、なんだと言うのだ。
俺はいつも、彼女に守られている。でも、そのこと事態に恥は感じていない。
だって、ゼノビアさんの方が強いんだから当然だ。男も女も関係がない。「男が守られていいのか?」という問いは、「おまえは自分で守れる程度の女の隣にしか立てないのか?」という話だ。
問題なのは。例え追いつけない背中だったとしても、そこに追いつこうとしないことである。生涯苦しみ抜いてでも彼女の尊さに報いようとしないことである。
故に、俺は自分に言い聞かせる。
この状況を解決し、少しでも胸を張ってあのメイドに仕えて貰える魔王になるために、さあ俺よ――
――考えろ。
策を練れ。
思考を巡らせろ。
この状況を打開するには、ただただ頭を使うしかない。
俺には異世界で使えるチートな特殊能力なんてないのだ。
もし、もし強大な力があったとしたら、それで楽々と今の問題を解決できたとしたら、やはりそれが一番良いに決まっている。でもそれは、お金がない時に宝くじを当てる妄想をするようなもので、意味のない空想だ。
便利な、他人に与えられた特別な能力。そんなものは、現実に存在していない。
ならば、考えるしかない。いまの手札で考えるしかない。人間は考える葦である。真に重要なのは異能ではなく知能だ。それを信じろ。ゲーマーなら誰だって、知っているはずだ。
どんなに高性能なハードでも、ソフトがクソならガラクタだ!
この世で最も強力な暴力は、知恵だと信じて俺は生きる。
ジンジンと熱く、重くなる頭の中で、ゼノビアさんと合流する方法を思い描く。
そして、そのためにはどうしても必要なことがある。
「ライム、ゴン太」
両者を交互に見た。
「頼む、協力してくれ。俺はおまえたちがいないと、どうやらなんもできないらしい」
俺は俺ひとりでなにもできないことを知っている。知恵を生かすには、知恵を聞き入れてくれる誰かがいてくれなければならないのだ。
「うん、まっかせて!」
ライムは両手を握りしめて、強く頷いてくれた。屈託のない笑顔だった。俺にはその好意を向けてもらえるだけの資格があるとは思えないが、それでもせめてこの表情を曇らせることはないように固く決意する。
ゴン太は、ふんと鼻を鳴らして立ち上がる。言葉はわからないがこう言っているように思えた。「おまえがどうなろうが知ったこっちゃないが、言われたことだけはやってやる」。
だが、それでいい。命を預かるのだから、懐疑的に批判の目を向けてくれる相手は張り合いがある。
一方からは信頼を、一方からは問いかけを。
このふたつを受けて、俺は意を決して立ち上がった。
「よし。
それじゃあ――グローラ地下大水道、攻略開始だ」
それではひとつ、世界征服としゃれ込もう。
*
小部屋を出て、俺たちは慎重に進んだ。
通路を、縦一列になって進む。先頭はライム、中央は俺、後衛はゴン太である。
俺が手にもったランタンだけが、暗闇を押しのけて石造りの下水道を照らし出していた。だが、気を抜けば、いまにも闇に呑み込まれてしまいそうなほどに、ランタンひとつの光は頼りない。
「ライム、どうだ。なにかあったか」
ライムの腕が、壁に押し付けられていた。肘から先は石壁に埋まってなくなっていて、彼女がスライムと知らなければなかなかスプラッタな光景である。
「んー?」と首を傾げていたライムの表情がパッと明るくなった。
「あ、ご主人さま、あったあった! ここ! ここのー、えーと、ライムの肩の高さ辺り! この石の裏に空洞がある! それと、下の地面にも同じの」
「よし」
俺はライムに注意された石畳を飛び越えていく。
これは、ライムにトラップ探知をさせているのだ。
俺が引っ掛かった罠は、古典的な代物である。奥に押し込める石材に触れてしまい、それで発動してまった。当然、押し込むには石材の裏に空洞が必要になる。
なら、隙間からライムの躯を流し込んでやれば、簡単にその有無は判別できるわけだ。
さらに、スライム娘であるライムは、総合的に見れば体重は同体型の人間と近似しているものの、粘液であるから、思い切り躯を広げることができる。
地面に大きく広がれば、一点にかかる重量は低くなる。ならば、人間の重量では反応してしまうが、モーラットのようなモンスターには引っ掛からないように調整された設置型の罠も回避できる。
そのため、罠探知および解除において、すさまじい適切を発揮していた。
「すごいぞライム、おまえダンジョンアタックの才能あるんじゃないか?」
「えへへ、そうかなぁ? よーし、ライムもっとがんばっちゃう!」
おーっ! と腕を突き上げるライムを見ていると、こっちまで気分が明るくなる。
こういうとき、本当にひとりでなくてよかったと安堵した。もしひとりなら潰れてしまっていた。
ライムには、若草森林ダンジョンのときといい、励まされてばかりだ。
……俺は、あのときから、なにか成長できているのだろうか?
そんな疑念を、ミニマップの反応を見て振り払う。
「ライム、前方五メートル先の角からモーラットが出てくる。床に躯を広げろ!」
指示通り、ライムが床にスライムの躯を広げる。
角からモーラットが三匹現れた。
俺たちを見つけて、犬のように巨大な毛玉が赤い目を光らせて突進してくる。
その足を、ライムの躯がすくい上げて転倒させた。
「ゴン太、ゴー!」
ゴン太が俺の背後から身を躍り出し、倒れたモーラットの躯に牙を突き立てた。灰色の毛で覆われた肉を牙が切り裂き、モーラットが地団駄を踏むように暴れた。
抵抗するモーラットを四肢で押さえつけるゴン太を確認して、俺はライムに声をかける。
「ライム、一匹だけ躯を覆って捕獲してくれ!」
「はーい!」
ライムが転倒したモーラットへと文字通り腕を伸ばす。大きく肥大化した掌を叩きつけて、一息にネズミの躯を呑み込んでしまった。
ゴン太が、二匹目のモーラットの喉笛に噛みついている。一匹目は腹部から血と臓物をまき散らして絶命していた。
「……よし」
俺はゲルの中でもがく、いまにも窒息しそうなモーラットに歩み寄ると、手を突き出した。
「汝、これより我が軍門に降れ」
いつものように、頭に違和感。見なくとも、そこに一対のツノ、黒触覚が現れていることは判っている。
詠唱するのは、魔王の特権スキル。呪文を述べて相手の額に触れることで、その意志への主張権を得る、その名も――
「汝らの王が告げる。隷属せよ、これより血の一滴までもが王のモノ。これよりその命、我が物と受け入れよ!
――〈ドミネーション〉!」
スライムに手を突き入れ、暴れるモーラットの額に触れる。瞬間、赤い魔方陣がモーラットの額に浮き上がり、ヒューズが切れるように消失した。
「よし、ライム。もう離していいぞ」
腕を引っ込めて言うと、ライムがモーラットを離した。ネズミは逃げだそうとするが。
「逃げるな。俺たちに危害をくわえるな」
ぴたりとモーラットが止まった。困惑しているのかキョロキョロと頭を忙しなく動かしている。
ふむ、特別反抗される様子もない。知能が低いと、命令の取捨選択をうまくおこなえないのかもしれない。
俺は本題を切り出した。
「〈ダンジョン・クリスタル〉のところに案内してくれ」
モーラットが動き出――さない。
予想通りである。
「やっぱ知らないか。じゃあ次は、ゼノビアさん……白黒のドレスを着た人のところまで案内してくれ」
モーラットはやはり動かない。
「むう、ダメか。結構遠くまで来たからな。うまくいかないな」
おそらく、モーラットが命令を聞かないのではなく、知らないのだろう。
ドミネーションして利用したいところだが、そう上手くはいかないものである。
「ゴン太、トドメ頼む」
最後のモーラットに、ゴン太は襲いかかった。ドミネーションをしていても抵抗しようとしたが、一対一で自分より体躯の大きなオオカミに襲われてはひとたまりもない。
俺は短く合掌をして。
「にしても、これで五度目か」
小部屋をたってから、幾たびもモーラットの襲撃を受けていた。そのたびにライムとゴン太に指示を出して撃退してもらったわけだが、さすがにこのペースではスタミナが持たない。
「どうしてこうも気づかれる……?」
ミニマップを見ていると、こちらにモーラットが走り寄ってきているのが簡単に判る。遠い距離から見つけ出されているのだ。
「それに、いくらなんでも数が多すぎるし。こうもひっきりなしに襲撃とか、ここには何かあるのか?」
今回の指令は、あのリカルドとかいうミレイナの兄ちゃんがひとりで決めたそうだが。もっと詳しく内容を説明して欲しいものだ。それを含めて試験といわれたらそれまでとはいえ……。
「バウ!」
ゴン太が、背後に向かって吠えている。
嫌な予感がする。
俺はマップを凝視し、数十秒後、その予感が的中したことを知った。
やはり、この下水道はおかしい……!
俺は絶句して、その確信を深めた。
こりゃあ、冒険者たちが戻ってこないわけだ。そして、死体らしい死体も見つからないわけである。
ミニマップ上には、通路の色を赤色に塗り替える洪水のような反応。
数えることすらできないほどのおびただしい数のモーラット。それがこちらに迫ってきていたのだ。
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