第30話:魔王と地上の月(4)
「――最っっっ悪ですわ!」
若き女王の罵声は、玉座の間の隅々にまで突き刺さった。
思わず両耳を塞いでしまった俺は、キンキンと痛む耳をさする。声量が凄まじいのは、民衆に語りかけねばならない王ゆえなのだろうか。
「城内に吸血鬼を招き寄せるなんて、本っ当に魔王というのは碌でもないですわね!
もういっそ疫病神とでも改名したらよろしいのではなくて!」
俺とゼノビアさんは玉座に呼びつけられていた。大量の兵士による監視に見守られながら。
周囲は槍と盾を携えた兵士たちに包囲されており、遠慮なしに睨みつけられている。そりゃあ、彼らからしてみれば当然の敵意だ。なにせ、こちらは敬愛すべき女王陛下に刃を向けた不届き者なのだから。
ただ、それだけではなく、魔王そのものに対して嫌悪があるのも、また事実であるようだった。
先代魔王の部下、〈浸食令嬢〉アシッド・マリー。
彼女の襲来してから早数時間。夜が明け、地上の月に朝が訪れていた。
肩で息をしながら言葉を荒げるアーリヤを、傍らに立っていた男がなだめる。
「陛下。心情、お察しして余りありますが、いま少し気をお鎮めください」
愛想のない、顔の皺が深い男だった。ブロンドの髪を整髪料か何かで後ろに流し、厳かな礼服を身に纏っている。如何にも貴族のお偉方といった風情で、膝まで届くコートの襟や裾は、その輪郭を金の装飾で縁取られていた。
優雅な服装であったが、その眼光は冷たく、遊びがない。表情は険しいし、近寄りがたい雰囲気の塊だった。年の頃は四十、あるいは五十代と言われても信じてしまうかもしれない。なにも知らずに出会っていたら、だが。
以前、ミレイナから、あの男はまだ三十も半ばの青年である、と聞かされたときは仰天したものだ。本来の俺よりいくつか年を取っているだけとは思えない貫禄である。
……苦労人なんだろう。
青年、リカルド・ワーグナーの呼びかけに、アーリヤは我に返った。
「確かに、王にあるまじき失言でしわね。しかし、王が寛大に対処するのは人に対してのみ。魔性の輩……それも不倶戴天の敵たる魔王に温情など必要ありません。
ましてや、城内へ、あのように兇暴な部下を招き入れるなど言語道断!」
「って、待て待て……お待ちください! あんな女、自分は知りません! なにかの間違いです!」
俺の隣で同じく跪いていたゼノビアさんがボソリとつぶやいた。
「魔王さま、まるで浮気の言い訳みたいですね」
「うるさいよバカ!」
「今わたしをバカと!?」
「誤解!」
地獄耳か。
ともかく弁明しなくては。
「まず、手引きしたなどと……そのような事実はない、です!
まずこちらに赴いた際、すぐに地下牢へ幽閉された身で部下に指示を飛ばせるわけがありません」
「あらかじめ取り決めをしていたのではなくて? 勇者の王、その子孫の前に立つのに保険をかけぬ者がおりますか」
「それなら、初めから、あの女を連れてこの城にやってきてるだろ! ……でしょう!」
俺の切り返しに、アーリヤ女王陛下は微動だにしない。
「そうはいきませんわ」女王が側近から羊皮紙を受け取る。「アシッド・マリー。あの吸血鬼は、この地方においては以前から目撃されています。近年は人攫い、食糧の強奪程度で、出現頻度も数年単位ではありますが」
側近がアシッドについて纏めた報告書らしい。その羊皮紙が籠手を嵌めた手で叩かれる。鏡のように磨き上げられた白銀がキラリと光った。
「居住地は不明であり討伐は果たせてはおらずとも、都市伝説として、このグローリア地方に語り継がれる汚点となっています。なんでも、三百年前の戦争における生き残りであり、かつては十万のモンスターからなる軍勢を率いていたとか。
それが近年になって力を回復させた、というのが風説です。そのような者、引き連れてくるわけがないでしょう」
確かにゼノビアさん曰く、あの女はとんでもない有名人らしい。当たり前だ。かつての総人口、その一割を殺戮したというのである。
この世界の現人口は五十億とのことで、この一割とは、つまり五億人である。
ちなみに、第二次世界大戦の死者は三百万人以下だ。最も多くの人に感染したスペイン風邪の罹患者数でようやく五億人。そして、スペイン風邪による死者は、当然発症人数を遥かに下回る。
その殺害件数は、俺のいた現実、そのあらゆるモノを凌駕している。
「い、いや、でも俺たちはその吸血鬼に襲われたわけで――」
「そう見せかけたのではなくて? この国を外から落とすのではなく、信用を得て内側から腐らせていく……如何にも、魔王らしい魂胆ではないですか。
ああ、か弱い顔をしても裏では鬼畜のように笑い、乙女の躯を弄ぶ算段ばかりしているのでしょう! 汚らわしい!」
「してないわ! 誰だそんなこと吹き込んだ馬鹿野郎は!」
部屋の隅から手があがった。ミレイナだ。
「あ、それあたし」
「バックスタブしてきやがるから畜生!」
この猫娘まったく役にたたねーぞ!
いかん、コントで現実逃避している場合ではない。女王さまは、とにかく俺たちのことを疑っているらしい。
困ったことに、こちらには状況証拠しか存在しないのである。俺からしてみれば完全な冤罪だが、あちらからしてみれば、確かに俺の自作自演に見えるだろう。
つまり、無実を晴らそうとする方法では、疑惑の目を欺くことはできない。
俺は隣を向くと、ゼノビアさんと目があった。無言で頷かれる。なにかあったら、そのときは私が逃がします。そんなことを言って貰えた気分で、勇気づけられた。
退路は確認した。だが、逃げるという選択肢は頭から捨てる。命綱/逃げ道はあるだけでいい。それだけで、挑戦する覚悟はできた。
「やはり処刑でしょうね。ええ、処刑しましょう。至急、広間で手配をですね……」
「――僭越ながら!」
俺が、とびきり大きく声をあげた。よし、ここからはとにかく悠然と、大仰に、魔王らしく行くぞ!
再度こちらに向けられた女王の目を見返して、俺は語り始めた。
「ここで自分を殺すのは王国の利益になりません!」
「なにを言うかと思えば。新手の命乞いですの?」
然り、命乞いである。
方向性は違うけどね。
「まず、自分を殺したところでアシッド・マリーは、この国に攻めてくるでしょう。なにせ、この魔王を『必ず迎えに上がる』と言った。『この地の人間を鏖殺する』とも言った。
自分を殺せば、あの女はより王国攻めに腐心するでしょう」
「呆れた。今度は脅しですか」
「これは提案です。自分でしたら、アシッドに対抗する戦力もあります」
ゼノビアさんを一瞥する。彼女は、アシッドとも渡り合えるだろう。
「そして、この地に眠る〈マター・デュプリケーター〉……〈ダンジョン・クリスタル〉を用いて、この城塞都市を強化することができます。
自分と協力し、アシッドを退けるか。自分を殺し、アシッドと相対することで国に被害を出し、挙げ句の果てに諸国へつけいる隙を見せるか。決めるのは女王陛下ですよ」
俺がすべきは、殺される理由を潰すことではなく、灰色のままでも殺せない理由を提示することである。当たり前だ。利用価値のある敵を殺すのは、愚か者のすることである。
さらに、事実。俺を殺すことにメリットはない。魔王を殺せることで、この国は再び魔王殺しの栄誉に預かることができるかもしれないが、その威光を示せるのは人に対してのみであり、アシッドには通用しない。
あいつはこの国を攻めてくるし、それによって滅ぶか、そこまでいかなくとも、大打撃を受けるのは間違いないだろう。
そうしたら、周辺諸国はどうするだろう? あの帝国のように侵略するか、そうでなくとも支援という形で介入し、王国に対する発言力を持ちに来るかもしれない。
……まあ、そういった内政は、やっぱり俺には詳しくわからないが、大事なのは隙を見せつけてしまうことである。
アナタは、そんな秘部を曝してしまうのか?
そう言ったのだ。
女王の目の色が、明確な殺意の入り交じったものになった。声は低く、うなるように。
「やはり、脅迫の類いですわね。判っていないようですが、それは総てそなた視点での利です。こちらとしては、懐に入れたそなたに刺され、より簡単に侵略される可能性を危惧しているのです。
〈ダンジョン・クリスタル〉を用いて? 馬鹿なことを。魔王にそれを許せば、この都市全体が異界化して手中に収められると同義。許すはずがない」
あちらからすれば、俺は毒だ。毒が薬として作用すれば利益があるが、毒が毒として作用してしまえば、当然死ぬ。そんな博打を国を担保にして出来るか。ごもっともである。
「ですが、周辺諸国の動向は無視できないはず。さらに、自分はフラート村での一件を無血にて解決しています。これが人を滅ぼそうとする魔王の所業とお思いか?
確かに、魔王は信用できないでしょう。ですが、裏切るかも不明瞭な魔王と、確実に寝首を掻こうとしてくる諸国。どちらを対策すべきか、聡明な女王陛下ならおわかりになるはず!」
――ここで、無血勝利が生きてくる。
自分の口から出た言葉に、ああ、あのときの俺の判断は間違っていなかったとすら思った。
殺して解決するのは楽だ。いつだって暴力は強力で、だからこそ魅力的で豪快な解決策に思える。
だが、自分の利益のために人の命を軽んじた者は、自身の命すら軽んじられる。
「……しかし、それすら取り入るための算段であるとすれば」
「それは先程も聞きました。失礼ながら、証拠もない疑いを重ねては疑心暗鬼に陥るだけではないでしょうか」
「いえ、いえ、魔王は確かに人に仇なす者。それは確実です。いまは他国など、どうでもよい。まずは、目の前にいる貴方という脅威を取り除くは必定ですわ。
先代魔王も邪悪であるからこそ、我らが建国王に打ち倒された。ならば、そなたも!」
「――例え、親が愚王であっても、子も愚物とは限らない。
必ずしも、英雄の子もまた、偉業を為し得ないように」
場が止まった。
女王と魔王の視線は交錯し、瞬きひとつ起こせない。
交渉とは、勝負とは、理論だけでは終われない。空気に呑まれれば、気圧されれば、負ける。俺はそれを知っている。
眼を逸らしただけで、負ける――。
その沈黙を破ったのは、俺でも、アーリヤでもなかった。
宰相、リカルドである。
「女王陛下。確かに、この者の言うことには利がない訳でもありません」
「リカルド! 何を……」
「事実、彼らのフラート村での活躍は、我が愚妹より聞き及んでいるところでしょう」
……愚妹?
俺はミレイナを見ると、目をそらされた。
えっ、兄妹? 兄妹なの!?
に、に、似てねぇ!
「我らが白銀城塞に魔王の身は拘留している、主導権はこちらにあります。
でしたら、まずは一考する価値もあるでしょう」
「……っ、はあ。いいでしょう。では、この場で結論を出すのは早計。
魔王、そなたにはしばし猶予を与えましょう」
「と、言うことは――」
「勘違いしないでください、あくまで猶予です。この城のクリスタルに触れさせることはありませんし、信用するわけでもありません。
確かに、わたしはそなたの事を知らない。これは確かです。ですから、そなたが同盟を組むに値するか、それを見極めます。そのための猶予です」
それでも、今すぐ殺されるよりマシだ。
「もちろん、信用を得るためなら、どんな扱いでも構いませんよ!」
女王がにこりと笑った。
「どんな扱いでも、よろしいのですね?」
…………あれ?
なんか、すごい怖い笑顔を向けられている気がするのだが、気のせいかな?
背筋に寒気が走ったが、自分でも冷や汗が滲み出たかどうかも判らないほど、背中は汗で水浸しになっていたのだった。




