第3話:ニート、道に迷う
「正直死ぬかと思いました」
そんなわけで。
兵士たちに見つからないように、時には見つかりながらもゼノビアさんの全力疾走に付き合わされた俺は率直な感想を口にしたわけである。地面にへたり込みながら。
ひどく大変な逃避行だった。
まず、壊れた天井から外に抜け出したら、城の周りには雲海のような包囲網が展開されていたのもビビったし、玉座の間で射かけられた数十倍の数の矢が飛んで来たときは完全に死んだと思った。
さらにゼノビアさんが兵士の真っ只中に着地したときはまた死んだと思ったし、さらに剣山のように大量の刃物を突き出されたときは来世とそのまた来世の分まで死んだなと確信した。
最後に付け加えるなら、たったいまも数十メートルの高さはあろうかという森の木から飛び降りて死ぬかと思った。
濛々と土煙が噴き上がって思わず咳き込む。
「ふむ、距離は300kmといったところですか。これだけ離れれば、そう易々とは追ってこれないでしょう」
「さ、さんびゃく……」
あ、距離単位って俺が知ってるのと同じだったんだ。それにしたってとんでもない移動速度だ。道理で気分が悪くなるはずである。
とはいえ、俺の疲労困憊ぶりとは打って変わって、当のゼノビアさんといえば額に汗ひとつない涼しげな顔である。
頭から布かぶって大立ち回りを繰り広げたにもかかわらず、ちょっと散歩してきただけですがなにか? とでも言い出しそうな余裕っぷりだ。
ずっと頭に被っていたぼろ切れを丸め、胸に抱えたゼノビアさんは、目を細めて俺にチクチクとした視線を向けた。
「うう、吐かなかったのが奇跡だ……」
人型の新幹線か何かか。
「そう大袈裟に仰いますが、魔王さまは私に抱きついて眠っていただけではないですが」
「違うの。途中から怖すぎて目が開けられなかったの」
だって命綱なしで上空500メートルから落下とかありましたからね。失神しなかっただけ褒めてほしいよね。
「そうなのですか。私はてっきりセクハラをされているのかとばかり」
「いや、落ちそうになって咄嗟に手が出ただけだからね? 故意じゃないからね?」
ちなみに大層柔らかかったです。服のせいで判りづらいけどFカップはあったね。いや他人のおっぱいなんて知らんけど。
しかし追求されるとばつが悪いので、追求の目を逃れるために周囲を見回してみる。
土が踏み固められた街道は車が二台並んで通れるかくらいの広さで、舗装された道以外は木々が青々と生い茂っていた。
「それで、この辺は見知った場所なのか」
俺の問いにゼノビアさんは首を横に振る。
「いえ、存じ上げません。なにぶん、300年の間、魔王城の敷地から出ていなかったものですから。
ただ、こちらに来る際、遠方に村の姿を見つけました。まずはそちらに向かいましょう」
「魔王が村に入ってもいいものか? なんか蜂の巣に頭から突っ込む気分なんだけど」
そうはいっても、一刻もはやく休みたいのも事実だった。
怒濤の展開で疲れ果てた躯は、地面から立ち上がろうとするのにも真冬の早朝に布団から抜け出るくらいの努力が必要とされるのだ。
「大丈夫でしょう。これほどに貧相な人間が魔王とは誰も考えもしませんよ」
「やかましいわ」
「それに、えり好みしている場合ですか。そもそも……」
ぐう、と俺のお腹の音がなった。
「ここにいても空腹で死んでしまいますよ。ほら、はやく立ってください」
「うう、おんぶ……」
「わがまま言わない」
普通に叱られた。
俺は腕を引かれるままに立ち上がると、お尻についた土埃をゼノビアさんに払われた。うわ恥ずかしい。
「ちょっ、そういうのいいって!」
「みすぼらしい格好を見せるつもりですか。あちらの方に」
「え?」
ゼノビアさんが掌で示した方角から、土煙があがっていた。兵士らしき人影が馬を走らせているのだ。
「げっ、追いつかれた!?」
「いいえ。あちらは私たちが来た方角ではありませんし、装備が違います。大方、先程お伝えした村の人間でしょう」
確かに、装備は軽装だった。
城の周りにいた兵士は頭全体を覆うバケツみたいな兜をしていたが、いまこちらに来る兵士は頭巾のようなものを着けているだけだった。
「そっか。なら安心……じゃねえ! ゼノビアさん、角! 角!」
忘れていたが、ゼノビアさんの頭には角が生えているのだ。魔王であることは隠そうね~、とか思っていたわけだが、こんなもの見られたら一発でバレてしまう。
慌てる俺を尻目に、肝心のゼノビアさんは首を傾げるだけだった。
「どうかしましたか?」
「どうかしてるよ!」
もう一発で悪魔的なのだとバレバレだよ!
どうにか隠さなくては……。と考え込もうと思ったが、そんな間が与えられることもなく兵士を乗せた馬は俺たちの前で足を止めた。もたついてたらこれだよ。
「こんにちは。旅の方々ですか?」
その声に俺はおそるおそる相手の顔を見上げて――気づいた。相手の兵士も頭に一対の小さい角があったのである。
「……問題なかったでしょう?」
あー、もしかしてこの世界、別に角生えてたら魔物だ、敵だ、とかそういうわけではないのか。
そういえば魔王城に攻め込んできた兵士は兜のせいで顔が判らなくて判らなかったけれども。
「失礼ですが、どういった御用向きでこちらに?」
再度、兵士がじれったそうに訊ねてきた。
魔王です、落ち延びてきました、とは言い出せないのは当たり前である。
というより、いま思い込みがひとつ氷解したことから判るとおり、俺はこの世界の常識が判らない。なので、どれが地雷発言か不安でしょうがないのである。
そういうわけで、俺はゼノビアの動向をうかがってみた。門番との交渉、こういうものはメイドに任せればよいのだ。
すると、ゼノビアさんは平然と答えた。
「ただの旅のものです」
「は、はあ。そのわりには荷物もないようですが」
「持ってこなかっただけです」
うわっ、ゼノビアさん誤魔化すのヘタ!
「そもそも、なぜ子供と給仕だけで旅をなされているのです? 他の同伴者の方はいらっしゃらないのですか?」
「そのようなことをお答えする必要がありますか」
あ、あかーん! そりゃそうだけど職質されてる側の人間がそんな強気でいくのはあかーん!
案の定、兵士はあからさまに「こいつ、不審だ……」という顔をしている。もしここで騒ぎを起こせば追われる身としては不利益極まりない。
ええい、地雷が怖いとか言っている場合ではなかった。俺はゼノビアさんのスカートの裾を、門番に気づかれぬように注意しながらグイグイと引っ張る。
こうなれば、俺が漫画で見たような演技と台詞で乗り切るしかない。
恥ずかしいけど!!
「ぼくお腹すいたよ~。家がなくなってから何も食べてないから疲れたよ~」
その名も必殺子供の振り。
うわっ、漫画の真似してみたけどすっごい恥ずかしい。
「家が?」
緊張しながら門番の顔色をうかがう。表情には同情の色があった。よし、これは悪い選択ではなかったようだ。地雷は踏んでいない。
話をあわせろとゼノビアさんにアイコンタクト……うわあ、なんか目つきがいつもの五割増しくらいで冷たい! そりゃ冷静に考えたらアラサーの幼児プレイだよ、イメクラじみてるなとは自覚してるよ! やっぱり行ったことないけど!
「ええ、そうですね。突然のことでしたので着の身着のまま飛び出すことになりました」
あ、気づいてくれた。これが無駄になってはショタの振りをしたアラサーという悲しいレッテルを背負い込むだけに終わるところだった。
「いったい、なにがあったのです?」
「没落した坊っちゃまの家系ではもう家賃が払えなくなりましたので……」
うん、その設定いる? なんかすごい可哀想な人を見る目されてるよ俺?
ただ、まだ門番は真偽を計りかねているような目をゼノビアさんに向けた。ええい、こうなったらもう一押し。
「それでもお姉ちゃんがついてきてくれたお陰でぼく寂しくないよ、お姉ちゃん大好き!」
そしてドサクサに紛れてゼノビアさんに正面から抱きつく!
むにゅ。ちょうど頭の真上におっぱいの感触がある。……すげえ! 豊満なバストの重量感が頭の上にある存在感と背徳感すげえ!
頭皮に伝わってくる肌の暖かみがヤバい。胸に顔を埋めるのとはまた違った気持ち良さだ。はい、しつこいようですが経験はないです妄想です!
これはセクハラではない。相手を騙すために仕方なくやっているのだ。
慌てて胸を掴んでしまったのと同じである。こうすることはお互いの利益のためであり、異世界転生魔王としては、スケベなこともしておきたいなどという下心からの行動ではない。
そして大義名分のある行動を無下にするメイドではないと俺は信じている!
「……あなた」
俺の頭の上に掌の感触。……あっ、これ頭掴まれてる。すいませんごめんなさい本当調子乗りましたごめんなさい折らないで!
「本当に甘えん坊ですね」
そのまま頭を撫でられた。
「へ……っ、えっ」
暖かい掌が、俺の短い頭髪を撫でていく。頭の上を流れていくゼノビアさんの優しい手つき。
ええと……その、あの……。
なんだろう、この、あれ。
俺を他所に、ゼノビアさんは門番の方に声をかけている。
「この子、身内が誰もいなくてひとりぼっちなんです。ですから、休める場所をずっと探していました。あなた方の村にお邪魔することはできませんか?」
その声は淡々としていたが、言葉の端には優しさが滲んでいるように聞こえた。
露骨に同情を誘うようなものではなかったが、逆にそれが不審者を受け入れようとする相手の立場も気遣っているように聞こえて、余計に心へ訴えかけたのかもしれない。
「ああ、なるほど……それは、お気の毒に。そういったことでしたら、遠慮なくいらしてください。当村にようこそ」
「お心遣い感謝致します。
さあ、行きますよ。……どうかしましたか?」
ゼノビアさんが、俺に声をかけてきたわけだが。
俺は彼女に抱きついた体勢のまま、完全に固まっていた。撫でられたところがジンジンと熱くなり、蜜が頭皮越しに脳へ流し込まれているかのような甘い感覚。そのまま気管を通って肺が甘ったるい香りで一杯になってしまった。
……なんか、頭を撫でられるのって、すごい、恥ずかしい。
ただ、自分から離れることさえも、俺にはできないのだった。
明日も更新すーるーかーもー。




