第15話:ニート、スタビリティー
宿の一階、酒場は既に客で賑わっている。
俺は、裏手から店に入ると鍋がどこにあるかをマスターに聞いて、それを持っていこうとした。
……重い。疲れた躯では持ち上がらん。
「大丈夫、ネジロー? お姉ちゃんが持っていこっか?」
ミレイナが前屈みになって、俺を見下ろしていた。
「うーん……ごめん、よろしく」
ちなみにぶっきらぼうになった事とミレイナの胸の谷間に関して因果関係は一切ない。
ところで目をあらぬ方向に向けているせいで眼球の奥がズキズキと痛むので話を切り上げたいのだが、逆に俺の態度がミレイナを怒らせた。
「こらっ! よろしくお願いします、でしょ。あとちゃんと人の目を見る!」
ド正論すぎて反論の余地がない。
「よ……よろしくお願いします」
「よし、偉い!」
うりうりうり。撫でられた。
思い切り頭を撫でられたものだから、頭が押し込まれて倒れそうになってしまう。抗議をかねて強引に頭を上げたが、ミレイナは朗らかな笑顔で……。
むう、まあいいか。
この年になって礼儀指導をされるとも思っていなかったが、言葉遣いをただして褒められるのは悪い気分ではないし。前の世界では、もう出来て当たり前の年齢だったからなぁ……。
何事も褒められるうちにやっておくべきだな。
「それじゃ、ネジローは適当な席に座って休んでてね。はい、これミルク」
とはいえ、あまり子供扱いされるのもなぁ……。しかしながら、木のマグカップに注がれたミルクをありがたく受け取る俺であった。
店の裏手からライムの方へと向かうミレイナを見送って、俺は店内を振り返った。
座るといってもどこにいけばいいものか。今日の店はいつも以上に大繁盛、満員電車のように人はごった返して、空いてるテーブルはひとつもない。
カウンターの中に椅子はないし、立ち続けるのも足が疲労で限界だ。もういっそ、床にでも腰を下ろしてしまおうか。
悩んでいると、野太い男の声がかけられた。
「オォイ! 坊ちゃん、そんなところで突っ立ってないで、こっちに来て座んなよ」
炭鉱夫が、テーブル席で木の幹のような腕を振っていた。地面に根ざした、自立した働く男の腕だ。
男のかけ声に気づいたのか、周りの男たちが身を寄せ合って、すし詰めになった筋肉の間に隙間ができる。俺に声をかけた炭鉱夫が隙間に腕をねじ込むと、誰も座っていない椅子が引き摺り出された。
「ほらよ、椅子ならここにあるぜ」
バシバシと掌で椅子が叩かれる。うう、ここまで名指しされて、しかもそこそこ友好的に声をかけられては気づかないフリをするというのも後味が悪い。
筋肉の熱帯夜に入っていくのは非常に気後れするのだが、俺は男たちを避けるように身を縮ませて歩いて行く。
歩く足取りがいつも以上に頼りないのは、周囲の視線がどうにもむず痒いからだ。
喧噪の中をすり抜けていく俺に投げかけられる視線は、笑い者にするというのではなく……どうにも、心地が良い。
そして、そんな感覚の正体がわからない。
俺は手に持っていたマグカップをテーブルにのせると、震える手で椅子によじ登った。
近くで見て気づいたが、俺に声をかけた炭鉱夫は、見覚えがあった。そう、ミレイナの尻を触っていた……ああ、ゴードさんだ。
ゴードのおっさんは、口をブルドーザーみたいに豪快に開けて笑った。俺は背中を叩かれると、思わず咳き込みそうになる。どんだけ力が強いんだ。
「おう、今日は大活躍だったじゃねえか、坊ちゃん! 見てたぜぇ~、まさかあんなにしっかりと商人やってのけるなんてな!」
そう言ってから、まわりに向かって「なあ?」と声をかける。すると、周囲のおっさんたちもしきりに頷いてくれた。
「は、はあ。いやその、お金もらってすいません……」
「なんで謝るんだよ!」
ゴードのおっさんのツッコミで、酒場の中が沸いた。
豪快な笑いの渦中にいて、俺は落ち着かずに目を泳がせながらマグカップに口をつけた。
「こちとら、おまえのお陰で得が出来たんだぜ? むしろ感謝ってもんよ!」
そのお礼で胸が痛い。
だって違う。これは俺が計算してやったことだ。
俺ひとりではダンジョンの資源を有効活用できるほどの労働力を買うことはできないから、それこそ甘い言葉で唆して彼らを労働者として利用したにすぎない。
商売とは、価値を生み出す弁舌家のことだ。価値あるものを他人に売る者、それはただの仲介人と言う。
俺は、ひとりだけなにも言うことができず、それでも周りの声は止まらなかった。
名前も知らないおっさんたちが、口々にゴードのおっさんに同調する。
「そうそう、なにより宝探しみたいで楽しかったしな」
……まあ、気持ち良くお金を使ってもらえたのなら、別にそれでいいのかもしれないなぁ。
黙っている俺の前に麦パンの入った皿を押し付けてくるゴードのおっさんが、俺に聞いてきた。
「で、その年でこんだけ上手いことやったんだ。将来は大物になるに違いねえ。
目指すはなんだ、いくつもダンジョン転がして超一流の実業家か?」
「あー、うーん……」
返答に困る。
将来といわれても、俺は目先の生き死にのことしか考えていなかった。
目の前に迫った金銭の危機と命の危機、それに対処していたにすぎない。
だから、足場が固まり初めて、ようやく次の目標に意識が向いた。
俺は魔王だ。なら、世界に反抗する義務があるらしい。なにより、顔も知られている。もう後戻りはできないが――。
「どうしようかな。なにも考えてなかった。だって、いまでも充分だったし」
「おいおい、欲がねえなぁ。ガキん頃から夢がねえなんて張り合いがないぜ。もっとこう、世界一デカイ男になってやる! くらいねえのかい?」
「だって面倒くさいじゃん」
既にめっちゃ疲れてますからね。
こんなことをずっと続けていくなんて、考えただけで目眩がしてくるぞ。出来ることなら、ある程度稼いだらサクッとドロップアウトして余生を過ごしたい小市民が俺なのだ。
そもそも、有名になって得られるものなんてあるだろうか。
そりゃあ、お金があったら欲しいものは増えるに決まっているが、それはつまりお金がないときは必要でなかったものである。
知名度があがるということは、それだけ衆目に曝されるというストレスとトレードオフなわけで。
無駄な贅肉をつけるためにストレスを得るなんて、あんまりにもあんまりだ。
十人の前で演じる劇と、百人の前で演じる劇。失敗したときのリスクが大きいのは、後者だ。
そんなリスキーなことをして、得られる対価がそれだとなぁ。
「有名になっても嬉しいことなんてひとつもないですし」
「なんだよ、名が売れるのは男の夢じゃねえか」
「他人に認められるより自分が満足できるか、が大事だって。両親に言われて育ちましたからね」
「達観してんねぇ」別のおっさんが笑いながら言った。
そもそも、他人に認めてもらいたいなんて、他人ありきの考えじゃないか。他人がいなくなったとき、いったいどうすればいいのだろう。
それよりも、自分の意志によって律することができる己自身と向き合って生きて行くのが最重要だ。
「それに、夢見がちに自分を過大評価すると、うまくいかなかったときに苦しくなるんですよ。
ああ、こんなはずじゃない、自分はもっとすごいはずなのに……って」
年を経て積もり積もった自尊心という汚泥は、人の足を絡め取って離してくれないものだ。
それこそ、一度死んでみないことには。
「おおっ、ヤケに実感こもってるねえ!」また別のおっさんが大袈裟に頷いていた。
「人間、諦め時が悪いと迷走しちまうよなァ~。オレもこの村に越してこなきゃ、いまでも家で飲んだくれてたろうよ」
「酔っ払う場所が変わっただけじゃねえかよ!」
誰とも知らぬおっさんの茶々に俺も噴きだしてしまった。
そんな俺を咎める人は誰もおらず、自分が人の輪に入っているのだということに気づいて、びっくりするほど心が落ち着いていく。
ああ、そうだ。思えば、魔王城なんて失ってよかったかもしれない。あんな身の丈に合わない家に住んでも、文字通り裸の王様だ。
サイズの合わない服なんて、来ても似合わないのと同じように。家も思想も、器にあったものを利用するに限る。俺が自由にできる世界なんて、せいぜい八畳の自室が関の山なのだ。
うん。自分に与えられたチート能力を自分に出来る範囲で利用して、ストレスなく程々に生きて行く! これこそが平和で省エネルギーな異世界生活というやつだ。
競争社会とかもう受験とか就活でうんざりなんで……。
「だがよぉ」ゴードのおっさんが、俺を見ていた。「それって妥協だろ?」
おっさんは、なにやら俺の発言がお気に召さないらしかった。俺と違って見るからに屈強な男って感じの見た目だ、ハングリー精神が強いのかもしれない。
まあ、そういう人もいるだろう。と割り切って、俺は黙して答えなかった。
そうそう、こういう時に相手に認めさせようとすると口論になっちゃうんだよね。
俺の代わりに、周囲がムキになり始めたゴードのおっさんを茶化し始めた。
「おいおい、ゴードよぉ。小さいガキをイジメってやんなよ。地に足ついた考えじゃねえの」
「ガキが地に足ついててどうすんだよ。俺がガキんときはピョンピョン跳びはねて、空だって歩けちまってたぜ」
「ゴードはロマンチストだからなぁ。まッ、仕事で浮ついて余計なとこ爆破しなけりゃ、それでいいけどよ!」
よくあることなのか、険悪な空気もなく笑いだけが響く。
「そうっすよー、間違えて壁壊してゴブリンの巣に繋げないでくださいよ、責任者なんすからね!」
「わぁってるよ!
……ったくよぉ。せっかく金があるんだぜ。
坊ちゃんよ、人間好きに生きてみるもんだぜ?」
「この生き方が好きなんです」
そうそう、俺はこの生き方が好きなんだ。
俺は俺、ゴードのおっさんはゴードのおっさん。方向性が違っただけの話である。優劣の話ではなく、どっちを選べば自分が気持ち良く生きていられるかという話である。
でも、言われっぱなしも面白くないし。ここはひとつ言い返してみよう。
「だいたい、ゴードさんだって好きに生きてるんですか?」
「ああン? 判りきったこと聞いてんじゃねぇの」ゴードのおっさんが苦笑した。「好きじゃなくてもやるのが大人の役目なの」
なんだ。やっぱりみんな、上手くいかないものなのだなぁ。
などと感慨にふけっていると、犬の鳴き替えと共に新たな炭鉱夫が酒場にやってきた。
イモが入っているらしい袋を手にした男は、自分がやってきた背後に舌を出して何事かを吐き捨てると輪の中にやってきた。
「けっ、表の犬っころ、俺が餌をやろうとしたら受け取らねえで吠えてきやがんの。かわいくねえ毛玉だ」
「どーせ犬をなで回したいからって下心丸出しで近寄ったんだろうが、強面犬好き野郎!」
また、からかわれる人がひとり増える。
ああ、本当に人生とは、自分が望む結果が返ってくるとは限らないのだな。
なかなか難しいものである。
なら、ままならない人生の彩りとして、俺のダンジョンで楽しみながら散財してもらいましょうかね。
そんな風に俺は、翌日以降のことを思ったのだった。
――ゴードのおっさんが死んだという話を聞いたのは、それから二日後のことであった。