最終話 想いの先
「……実は俺、嶋坂さんと付き合うことになったんだ」
昼休み。
少し照れくさそうに報告してきた葵の言葉に、俺は思わず立ち上がっていた。
「まじかよ!?良かったな!」
心底驚いた俺の声が、教室に響く。
少し前までなら、もしも葵が誰かと付き合うことになれば、俺は死ぬほど落ち込むだろうとそう思っていた。
けれど、今胸の奥にあるのは、驚くほど純粋な祝福の気持ちだけだった。
葵には幸せになってほしい。好きな相手と、いつまでも笑っていてほしい。
そんな想いが自然と溢れてきた瞬間、俺は自分の中で、葵への特別な感情が、『親友としての好き』へと落ち着いていることに気がついた。
失恋の痛みなんて欠片もない。
ただひたすらに、大切な友達の幸せが心から嬉しかった。
「おめでとう、葵」
隣で、伊織も穏やかに祝福の言葉を口にする。
その声に反応して、ふと伊織の方を振り向くと――バチリ、と視線がぶつかった。
伊織の色素の薄い瞳が、俺の顔色をジッと探るように見つめている。
その瞬間、俺の中に強烈な焦りが湧き上がった。
(やばい……!)
今の俺、伊織の目にどう映ってる!?
まさか、強がっていると思われたんじゃないか?
本当は傷ついているだとか、未練があるだとか、無理して笑っているだとか、絶対にそんな風な誤解をされたくはなかった。
俺は焦りながら、わざとらしいほどにテンションを上げて葵の背中をバシバシと叩く。
「いやー、ほんと良かったな!お前ら絶対お似合いだと思ってたんだよ!もういっそ早く結婚しろよ、結婚式には絶対呼べよな!!」
「い、痛い痛い!気が早いってば、絢人!」
葵が笑いながら身をよじる。
よし、完璧だ。
これだけ心から祝ってやれば、伊織だって俺が完全に吹っ切れていることに気づくはずだ。
けれど、――それは完全に逆効果だったらしい。
◇
放課後。
俺は伊織に人気のない裏庭へと連行されていた。
「……なにあれ」
「な、なにがでしょうか……」
壁ドン状態で射抜くような冷たい視線に気圧され、俺は思わず敬語で返してしまう。
そんな俺の怯えをあざ笑うように、伊織はふっと口角を歪めた。
「わざとらしく喜んでみせたりしてさ。……ほんと健気だよね、絢人って」
「ち、ちがっ、あれは本気で……っ!」
「嘘つき」
「ほんとに違うから!話聞けよ!」
誤解を続ける伊織に分かってほしくて、俺は必死に声を張り上げる。
「自分でもびっくりするくらい、ほんとのほんとに!心から良かったって思ったんだよ!」
「あんなにわざとらしく喜んでおいて?」
伊織の声は冷たく、俺の言葉を信じようとしていない。
その頑なな態度に、俺は顔に熱が集まっていくのを感じながらも、どうしても本当のことを伝えたくて叫んだ。
「あ、あれは……!お前に誤解されたくなかったんだよ……っ!」
「……え?」
伊織の動きがピタリと止まる。
俺はギュッと目を瞑り、やけくそな気持ちで言葉を絞り出した。
「お前に、俺がわざと明るく振舞ってるって、まだ葵に未練があるんだって……そう思われるのが嫌だったんだよ!」
「オレに?」
「そうだよ!」
「あんなに必死だったのは、オレに誤解されたくなかったから?」
「だから、そうだって言ってんだろ!」
しん……と突然静寂が訪れた。
急に黙ったかと思えば、伊織は何かを考えているようだった。
しばらくの沈黙の後、伊織の口から呆れたようなため息が漏れた。
「…………なにそれ」
そう言ったかと思えば、ニヤニヤとした顔つきでこっちをみている。
「絢人ってさあ」
ああ、きっとまた『ほんと馬鹿だよね』とでも言って呆れられるのだろう。
そう思って身構えた俺の耳に、思いもよらない言葉が降ってきた。
「オレのこと、かなり好きだよね」
「は、はあ!?」
素っ頓狂な声が出た。
伊織の瞳からはさっきまでのどす黒い執着がすっかり消え去り、代わりに、どうしようもないほどの熱と期待が宿っている。
「だって、まだ葵に未練があるって思われたくなかったんでしょ?葵にもう未練はなくて、オレに誤解されたくないとか、そんなのオレを好きでしかないよね?」
「そ、それは……」
「なのに、なんでまだオレのこと受け入れてくれないわけ?」
ジリジリと、伊織が距離を詰めてくる。
逃げ場なんて最初からなく、俺の背中は冷たいブロック塀にぴったりと張り付いていた。
「な、何言って……っ」
「もう、……待たなくてもいいよね?」
言葉を返す隙はなかった。
重なる唇。さっきまでの冷たさが嘘のように、伊織のキスは酷く熱くて、ひたむきで、俺の息も思考も全部奪い去っていく。
「んっ……、ぁ……っ」
「いい加減観念して、オレのものになってよ。こんな風にキスだって受け入れてくれるのに」
「いお……り……っ」
「言いなよ、オレを好きだって。……嘘でもいいからさ」
「……っ!?」
開いた唇の隙間を縫うように、再び深く、貪るようなキスが落ちる。
「んんっ、待っ……っ、ぁ……」
「ねえ言ってよ、絢人。……お願い」
触れ合う唇の端から零れたその声は、いつも余裕ぶっている伊織とは思えないほど切実で、震えていた。
こんなにも俺を求めて、傷ついて、必死に手を伸ばしてくれている。
その痛いくらいの真っ直ぐな熱に触れた瞬間。
「……き、だ」
伊織の肩を掴む手に、ギュッと力が入る。
「……え?」
伊織の動きが止まった。
信じられないものでも見るように、色素の薄い瞳が大きく見開かれる。
「今……なんて」
「……好きだ」
ほとんど無意識に、そう口にしたけれど。
言葉にした途端、ストン、と。
胸の奥でずっとつっかえていた何かが、あるべき場所へ綺麗に収まったような気がした。
ああ、なんだ。
いつからだったのかは分からない。
けれど、もうとっくにそうだったのだろう。
俺は、こいつのことが――――。
視界が晴れ渡るような心地よさの中で、俺は真っ赤な顔のまま、呆然としている伊織の目を真っ直ぐに見返した。
「伊織?」
「え、あ……、はは、ほんと、絢人って流されやすいよね」
ん?なんだこの反応。
……まさかこいつ、俺の告白をただのリップサービスだとでも思ってるんじゃないだろうな。
いや、きっとそのまさかだろう。
「まあ、嘘でも嬉し……」
「言っとくけど」
伊織の少し弱々しい声に、強く言葉を被せる。
「……嘘じゃねえからな」
気恥ずかしいけれど、誤解されたくなくて真っ直ぐにそう伝える。
「……え?」
なおもピンときていなさそうな伊織の様子に焦れて、俺はもう一度、はっきりと口にした。
「だから、お前が好きだって、そう言ってるんだよ!」
「……!?」
伊織の目が零れそうなほどに見開いている。
今度こそ、伝わっただろうか。
「ったく、嘘でもいいなんて言うなよな、そんなこと思ってねえくせに。ややこしくなるだけだっつーの」
真っ赤になった顔を誤魔化すようにブツブツと文句を垂れる俺に対し、伊織は息をするのも忘れたように呆然と固まっていたが。
やがて、すがるような、ひどく震える声でぽつりと零した。
「……絢人、もう1回」
「え?」
「もう1回言って」
信じられないと、どうか信じさせて欲しいと、そう言っているような表情だった。
散々待たせてしまったのだ。
今度こそちゃんと伝わるように、改めて真っ直ぐに伊織を見つめて、もう一度自分の気持ちを口にした。
「好きだ、伊織。……待たせてごめんな」
気持ちを込めて、そう告白する。
すると、次の瞬間、伊織の顔がぐしゃりと歪んだ。
「……っ」
泣いているのか、笑っているのか分からないような、今まで見たこともないくらいに感情を爆発させた顔。
「絢人……っ!」
ドンッ、と背中が痛むくらいの勢いで、力強く抱き締められる。
伊織は俺の首筋に顔を埋め、まるで世界で一番大切な宝物を手に入れた子供のように、何度も何度も俺の名前を呼んだ。
「好き、オレも好き……っ、どうしよう、死ぬほど嬉しい……っ」
「ちょ、おまっ、苦し……っ」
「絶対離さない。一生逃がさないから」
肩口にすり寄る伊織の体温が熱くて、そんなはずはないのに火傷をしそうだと思った。
強く強く、その腕が俺を抱きしめる。
息苦しさに苦笑しながらも、その広い背中にゆっくりと腕を回した。
◇
しばらくそうして強く抱き合っていると、ふいに伊織の腕の力が少しだけ緩んだ。
ゆっくりと顔を上げ、至近距離で俺を見つめてくる。
その色素の薄い瞳は、うっすらと涙ぐんでいて、ひどく甘く揺れていた。
「……絢人」
「ん……?」
「キス、していい?」
今までとは違う、俺をからかうためでも、無理やり繋ぎ止めるためでもない。
ただ純粋に、俺の全部に触れたいと願う切実な声だった。
断る理由なんて、もうどこにもない。
「……今更、聞くなよ」
俺が照れ隠しに小さく頷くと、伊織はふわりと、出会ってから今までで一番、幸せそうな笑顔を見せた。
そして、壊れ物を扱うように俺の頬を両手で包み込むと、静かに唇を重ねてきた。
「んっ……」
今までの強引で貪るようなキスとは違う。
触れ合うだけの、優しくて、ひどく温かいキス。
何度も何度も、互いの熱を確かめるように角度を変えて、甘い吐息が交ざり合う。
「……好きだよ、絢人……」
唇が離れるほんの一瞬の隙間に、熱い囁きが落とされる。
「……っ、俺も、……んっ……」
答えようとした口内へ、今度は熱を帯びた舌がゆっくりと滑り込んできた。
優しかったはずのキスは徐々に深く、濃密なものへと変わっていく。
俺の腰が抱き寄せる伊織の腕に強く締め付けられた。
俺はそっと目を閉じ、伊織の首に腕を回して、今度こそその想いを真っ直ぐに受け入れた。
◇
「……夢じゃないよね」
ぽつりと、伊織が縋るように呟いた。
「夢の方が良かったか?」
いつもからかわれてばかりなので、俺はここぞとばかりに少しだけ意地悪くそう言ってみた。
「そんなわけないでしょ」
伊織はむすっとした声で即答し、俺の首元にさらに顔を擦り付けてきた。
「もしこれが夢で、ベッドで目が覚めたら……オレ、絢人になにするか分からないかも」
ぞくり。
耳元で囁かれた甘く物騒な声に、背筋に悪寒とも快感ともつかない電流が走る。
一体なにをするつもりだというのだろうか。
いや、深く考えるのはやめておいた方が良さそうだ。
聞かなかったことにして、知らん顔を貫くことにした。
すると、ぎゅむっ、と。伊織の長い腕が再び俺の身体を強く抱きしめてくる。
そのあまりの力強さと必死さに、俺は苦笑しながら問いかけた。
「っつーか、何でそんなに信じられねえんだよ。俺がお前を好きだってこと、とっくに分かってたんじゃないのか?」
ついさっき『オレのこと、かなり好きだよね』と余裕たっぷりに言っていたはずだ。
俺自身が気づくよりも前に、こいつは俺の気持ちを確信していたのだと思っていた。
ところが。
「え、ううん、全然」
伊織は俺の肩に顔を埋めたまま、あっさりと否定した。
「え?」
「ああ言ったら、絢人が流されてくれないかなって」
伊織は顔を上げると、ニコッと爽やかに笑ってみせた。
まさかそんな強かなことを考えていたとは。
「……この策士め」
一体、どれだけ俺が流されやすいと思っているのだろうか。
……まあ確かに、結局のところ今まで色々と受け入れてしまってはいたのだが。
そこまで考えて、俺はふと、あることを思いついた。
確かに俺はいつも伊織に迫られ、受け身で流されてばかりだった。
けれど、自分の気持ちに気づいた以上、これからは俺からも愛情を示すべきなんじゃないだろうか。
「伊織」
「ん?」
不思議そうに見つめてくる伊織の首に腕を回し、俺は勢いよくその整った顔を引き寄せた。
ちゅっ。
触れ合うだけの、短いけれど確かな熱を持った音が響く。
「え……っ」
「……」
……恥ずかしい。
自分からキスをするなんて、恥ずかしくて死にそうだ。
一気に顔中に熱が集まり、俺はたまらず伊織からバッと視線を逸らした。
「……お、俺だって、たまには……その、自分から、したっていいだろ……っ」
しどろもどろになりながら、必死に強がって言い放つ。
すると、伊織はぽかんと固まった後――やがて、その瞳に隠しきれない熱と歓喜を滲ませていった。
「……ほんと、反則」
「うわ……!?お、おい伊織、待っ……んんっ!」
力強く腰を抱き寄せられ、再び強引に唇が塞がれる。
今度は触れるだけなんて生易しいものではなかった。
溢れ出すような歓喜と執着を全部ぶつけるように、深く、何度も舌が絡み合う。
「んっ……、ぁ……っ」
「……っ、絢人、……すき……」
「んんっ、だから、ちょ、息……っ」
冬の冷たい風が吹き抜ける中、俺たちはお互いの熱を貪るように、何度も何度も唇を重ね合わせた。
甘い体温にすっぽりと包まれながら、俺はそっと目を閉じ、伊織の広い背中に腕を回す。
ーー本当に、不思議だと思う。
元々は、二人で同じ相手を好きになって。
伊織は俺に、俺は伊織に、大した興味なんてなくて。
お互い報われない片思いに苦しんでいたはずなのに。
今はこうして、かけがえのない存在となってしまっているのだ。
「伊織」
「ん?」
俺たちはこれからもこうして、熱を、言葉を、心を、何度も確かめ合って。
きっとそうやって過ごしていくのだろう。
「お前がいてくれて、良かった」
「……うん。オレもだよ、絢人」
ーー互いの幸せを、深く願いながら。




