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夏彦は走った一分一秒でも早く誤解を解きたかった為だ。夏彦が凛子の屋敷に着いた時、ちょうど凛子は門の前に立っていた。既に夏彦の袴は乱れ、裾には泥がついていた。
「はぁはぁ、凛子さん!」
「夏彦さん!?どうなさったの…?大事なお召し物が…」
凛子は夏彦に駆け寄り、自身の着物の裾で夏彦の汗を拭ってあげた。
「凛子さん、僕、ちゃんと思いを伝えられてなかったって気づいて、急いできたんです。今までごめんなさい」
「何の事ですの?わたくし達はお見合い結婚。気持ちなんて何も無いでしょう?」
夏彦はここでやっと初めて凛子の本音を聞けた。凛子はずっとこう考えていたんだと、夏彦はもっと早く気づいていればと後悔する。
「凛子さん、僕は凛子さんのことずっと前からあのお見合いの日から好きなんです。伝わってないとは知らなくて…」
「……えっ、夏彦さんがわたくしを…?」
凛子は呆然とする。まさか、こんなことを言われるなんて。
「わたくし、夏彦さんはわたくしの事なんてどうでもいいと思っていましたわ。みんなさんに優しいですし、わたくしにだけではないと」
「…っ、すみません、本当にごめんなさい。まさか誤解させていたとは思わなくて…僕が悪かった。不安にさせてごめんなさい…」
夏彦はそう言いつつ、凛子から目を逸らしてしまう。
「目を見てくださいまし。わたくし、不安だったんですのよ…」
凛子は1度大きく深呼吸をし、言葉を続ける。
「ねぇ、夏彦さん、今の言葉が全部嘘で他に好きな人がいるのなら今、言ってくださいまし。わたくし、婚約破棄を受け入れますから」
「こ、婚約破棄!?君が好きなのは本当だよ!信じてほしいっ!」
夏彦は婚約破棄に驚き、敬語が外れてしまう。凛子はこの夏彦の必死さを見て、ようやく安心できる。
「…ふっ、ふふっ、わたくし、今の夏彦さんの方が好きですわ」
「…し、信じてくれたの?良かったぁ…」
凛子はあの日の向日葵のような笑みを浮かべる。その笑顔に夏もつられて微笑む。
「えぇ、わたくし、こんなに必死な様子を見ても信じられないほど疑い深くありませんのよ」
美しく微笑む凛子を見て、夏彦は覚悟を決めた。夏彦は膝を着いて、凛子に簪を差し出す。
「僕は向日葵のように微笑む貴方が好きです。凛子さん、改めて、僕と結婚してくれるかい?」
「…っ、はい。勿論ですわ」
凛子は涙を流しながら夏彦に抱きついた。凛子は今日やっと安心できたようだった。
「凛子!どこに行っていたの!心配したのよ」
その時、玄関から凛子の大好きな母の声がした。体調の悪いはずの父もこの時ばかりは玄関先まで出てきていた。
「お母様、お父様…ごめんなさい、わたくし…」
「今はそんな事いいんだ」
父は重い体を動かし、どうにか凛子の側まで駆け寄る。
「怪我はしてないか?大丈夫か?」
「…なんともありませんわ」
凛子は正直に話すか迷った。だが、父は凛子が話すのを待ってくれているようだった。
「…お父様、わたくし家の道具になるのが嫌だった。誰も意見を聞いてくれなくて、その、怖かったんですの…」
「…凛ちゃん、気づいてやれなくてすまなかった。たった一人の愛娘をこの世に残していくのが怖かったんだ」
父から、最後にその呼び方をされたのはいつだっただろうか。凛子の世界で一番大好きな呼ばれ方だ。
「凛、酷い言葉を言ってしまってごめんなさい。あなたがいちばん大切だったのに…」
いつの間にか、母も凛子の近くまで来ていた。凛子は大好きな両親に世界一の微笑みを浮かべて言う。
「お父様、お母様。わたくし、もう良いんですの。今は幸せですわ。これからは正直に言いますわ」
——その後2人の結婚式は盛大に行われ、連日、町中がその話題で包まれることとなった。凛子の髪にはあの日貰った簪が輝いていた。




