本当の意味でさようなら
あまりにも都合のいい夢を何度も見た。
目が覚めるたびに、指先に残る熱を探しては、冷たいシーツを握りしめる。
夢の中の彼はあんなに饒舌に愛を語るのに、現実の彼はいつだって「沈黙」の中にいた。
「……もう、私たちが交わる世界なんて、どこにもないんだよね」
街角のショーウィンドウ。そこに映る自分に向かって、私は小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
鏡の中の私は、あの日よりも少しだけ大人びた服を着て、あの日よりもずっと寂しそうな目をしている。ショーウィンドウの向こう側にある色鮮やかなディスプレイも、夢の中で見た完璧なデートプランも、今の私にはあまりにも遠い。
その時だった。
ウィンドウのガラス越しに、こちらに向かって歩いてくるひとりの影が重なった。
心臓が、跳ねる。
見間違えるはずのない、肩のライン。歩き方。少しだけ癖のある、あの後ろ姿。
「……っ、」
名前を呼びかけて、喉の奥で言葉が止まった。
声をかけて、どうする?
もし本人だったとしても、彼はまた「安心した」と笑うだけかもしれない。夢の中の「好きだよ」なんて言葉、彼は一言も持ち合わせていないのに。
私は、伸ばしかけた視線をゆっくりと足元に落とした。
彼に似たその影が、私の横を通り過ぎ、雑踏の中に溶けて消えていくのを、ただガラス越しにじっと見つめていた。
「――もう、忘れよう」
私は、一度だけ深く息を吐き出すと、ショーウィンドウに映る自分に背を向けた。
十階と十一階。あのわずか数メートルの境界線を、私はようやく、本当の意味で越えなくては。きっと見えていないだけで私にはもう素敵な人に巡り合っているかもだから。
この作品は、私が今書いている 誰が何と言おうとあなたは という作品に出てくる花沢くんのはなしです。書いているうちに花沢くんだけで自分が実際に体験したことをまとめて書きたいというのが抑えられず書きました、、




