第6話 お返し 〜瀧本 元気〜
俺は今、職場のある一室の扉の前で右往左往している。
部屋の中には、俺にとって五分の兄弟分であり、職場では上司にあたる男が居る。
いつもならノックもせずに入るところだが、今日は迷っている・・・どう話を切り出すかで悩んでいるんだ。
先月、2月14日のバレンタインに、妻の渚からカップケーキとプリンを貰ったのは良いが、ホワイトデーのお返しに何を返したら喜ぶかがわからねぇ・・・。
「元にぃ、どうしたんすか?中に誠治さん居るんでしょ?」
俺が部屋の前で悩んでいると、俺と誠治の弟分である隆二がやって来た。
隆二は渚の幼馴染で弟のような存在らしく、渚と結婚した俺を「元にぃ」と呼んで慕ってくれている可愛い奴だ。
誠治は、隆二が俺の事を「元にぃ」と呼んでいる事を羨ましく思っているらしいが、隆二は誠治の事は「誠治さん」と呼び続けている。
隆二曰く恥ずかしいらしい。
「元にぃも何か用事があるんすか?」
隆二は俺の顔を覗き込む。
「お前も誠治に用事か?
俺はな・・・ホワイトデーのお返しをどうしたら良いか相談に来たんだよ。
何を返したら喜ぶかわからなくてな・・・お前はどうすんだ?」
「あぁ、元にぃも同じ事悩んでたんすね・・・。
実は、俺もそれで悩んでたんすよ・・・去年は喜びそうな物買ったつもりが微妙な反応でしたからね・・・」
隆二は、俺が同じ事で悩んでる事を知って肩をすくめる。
俺も隆二も女心には疎い、見た目以上に女子力の高い誠治なら良いアドバイスをくれるかもしれないと思い、局長室まで来たって訳だ。
「誠治はどうすんだろうな?」
「さぁ・・・でも、誠治さんなら美希ちゃん達を喜ばせるのは得意そうですよね」
「まぁ、ここで悩んでても進まねえし、とりあえず入るか・・・」
俺はドアノブに手を掛け、扉を開ける。
「誠治居るか?」
「誠治君は只今仕事の真っ最中です。
ソファーに腰掛けてお待ちください・・・」
誠治は書類の山に囲まれながら、ウンザリしたようなやる気の無い声で俺と隆二に手を振った。
「秘書子ちゃん、お茶でも淹れてやって」
誠治は書類に目を通しながら、補佐をしている女性職員に話し掛ける。
「局長・・・何度も言ってますが、その呼び方はやめてください!」
秘書子と呼ばれた女性職員は、誠治に怒りながらも俺達にお茶を淹れてくれる。
俺と隆二は出されたお茶を啜りつつ誠治を眺める。
誠治はあまり職場には現れない。
職員からはレアモンスターとまで言われている。
誠治は、基本的に自衛隊と一緒に本州での任務に就く事が多いため、月の3分の1は九州に居ない。
自ら進んで危険な任務に赴く誠治に対して、レアモンスターと呼ぶのは可哀想ではあるが、俺の事を局長と勘違いしている奴も居るくらいだからフォローのしようが無い。
「休暇の度に事務作業とは面倒だな」
「そう思うなら手伝ってくれても良いのよ?」
誠治は俺の言葉に泣きそうになりながら答える。
「残念ながら、俺に決定権は無えから無理だな」
「局長なんて俺の柄じゃないんだけどな・・・さっき出社した時、新人に何て言われたか知ってる?」
「まぁ、だいたい予想は出来るが言ってみろ」
「何か御用ですか?って怯えた顔で聞かれたよ・・・これって泣いて良いよね?」
誠治の言葉に、女性職員が笑いを堪えている。
「まぁ、仕方ないですよ・・・この仕事は給料は良いですけど、結構キツイですから入れ替わり激しいですしね」
うなだれている誠治を隆二がフォローする。
俺達の仕事は自衛隊や警察の補佐や、彼等の管轄外の場所の警備が主な仕事になるが、空いた時間はひたすらトレーニングだ。
しかも実戦を想定したかなりハードなもので、根を上げる連中も多い。
避難して来た者達は、奴等の危険性を身を以て知っているため、ハードなトレーニングでも泣き言も言わずにやっているが、元々九州に住んでいた奴はそうではない。
給料の良さに惹かれて入ってきては辞めていく連中が後を絶たない。
仕方ないとは言え、人手が足りなくなるのは困る。
「まぁ、俺も正直諦めてるよ・・・いちいち説明すんのも面倒になってきたしね。
よし、これで終わり!もう良いよね!?誠治君頑張ったよね!!?」
誠治は書類の山を女性職員に渡し、確認する。
「そうですね・・・大丈夫だと思います。
局長、お疲れ様でした」
女性職員は書類に軽く目を通して確認すると、そのまま部屋を出て行った。
「やっと解放された!で、何の用?」
誠治は伸びをしながら俺達の正面のソファーに腰掛ける。
「いや、お前はホワイトデーってどうすんのかって思ってな・・・」
俺は遠慮がちに誠治に問いかけた。
「どうするって、お菓子を作るつもりよ?
何か買うにも喜ばなかったら嫌だし、お菓子なら美希も千枝も大好きだから喜んでくれるからな!」
誠治は自信満々だ・・・料理が出来るってのはこういう時に便利だ。
「誠治さん、俺達も一緒に作らせて貰えませんか?
俺達、何を返したら良いかわからなくて悩んでたんですよ」
「別に良いけど・・・お前達は何を作りたいんだ?」
「お前と同じのは無理だろうからな・・・お前が作るのを一緒に作っただめか?
それなら失敗しないと思うんだがな」
俺が提案すると、誠治は腕を組んで考え込む。
「3人でって事なら少し豪華にするか?お前らいくらまで出せる?」
「どれだけ掛かるか解らねえからお前に任せるわ・・・隆二も良いよな?」
「うす!よろしく頼んます誠治さん!!」
「んじゃ、ちょっと欲しい材料あるから玉置さんに電話するわ」
そう言って誠治は立ち上がって受話器を取り、ハンズフリーにする。
「あ、こんにちは井沢です・・・玉置さんに繋いで貰えます?
・・・あ、玉置さん?俺だよ俺!事故っちゃってお金が必要なんだ!貸してくれない!?」
誠治はニヤけながら喋っている。
『ふざけるなら切りますよ!で、何の用事ですか?』
受話器から玉置の呆れた声が響く。
「いやぁ、取り寄せて欲しいのがあんだよね。
確か国産のカカオってあったよね、それが欲しいんだけど手に入る?」
『国産カカオですか?お時間を頂ければ手配しますけど、結構高いですよ?』
「3万までなら出す!とりあえず、それで手に入る量をお願いしやす!!」
俺と隆二はそれを聞いて顔が引きつった。
カカオに3万・・・失敗出来ねえ。
『わかりました・・・ホワイトデーのお返しですか?美希さんは幸せ者ですね。
私にはホワイトデーなんて無縁ですよ・・・では、手に入り次第送ります。
ホワイトデーまでには間に合わせますよ』
「あざーっす!作ったら、お礼に玉置さんにも送るよ!」
『期待せずに待ってますよ・・・では、失礼します』
玉置が電話を切り、部屋に静寂が訪れた。
「これでOKだな!何を作るかはまた話そうぜ!!」
「ちょい待ち!カカオってそんな高いんすか!?」
隆二が泣きそうな顔で誠治を見る。
俺も泣きそうだわ・・・。
「まぁ、国産だしね・・・量が少ないから高いのよ。
だからこそ喜んでくれそうじゃね?」
誠治はニヤリと笑っている。
これはマジで失敗は許さねえと思った。
3月13日、俺達は職場の給湯室に集まった。
「諸君、今から作戦会議を始める!」
テーブルを囲んでいる俺と隆二に、誠治が腕を組んで高らかに宣言した。
誠治は何かイベントがあるたびにこんなテンションになる。
最初に出会った時とはえらい違いだ。
まぁ、その方が俺もやりやすいから良いんだが・・・。
「で、何を作んだ?」
「今日は下処理だけにするつもりだ!本番は明日の午後だな!
とりあえず、何を作るかなんだが・・・」
誠治は俺達に顔を近づけて耳打ちする。
「へぇ、それは面白いですね!」
隆二は明るい顔で頷く。
俺も渚の驚く顔を想像して笑った。
「今日のうちに面倒な下処理は済ませておいて、明日は出来立てを食べて貰おう!」
誠治はそう言って準備していた食材を手に取る。
誠治が手に取ったものはチョコレートだった。
「カカオ豆じゃねえのか?」
俺が何気なく聞くと、誠治は肩を竦めた。
「流石に豆からは面倒くさいよ・・・ローストしたり砕いたり、ミキシングして微粒化したりとかなり時間かかるし大変なのよ?
これは玉置さんに頼んで、向こうでチョコレートの状態までやって貰ったんだよ。
これならお前達のフォローしながら色々出来るだろ?」
「そりゃ済まねえな!で、何からやる?」
「俺はこのチョコレートを湯煎してソースを作って、その後カスタードクリームを元気と隆二はドライフルーツを細かく刻んでくれない?」
誠治は俺達に指示を出しつつチョコレートソースとカスタードクリームの製作に取り掛かる。
俺達は、色とりどりのドライフルーツをミリ単位の大きさに刻んでいく。
「よし、ソースは完成!あまり甘くしすぎるとクドイから、牛乳と少量の砂糖でビターに仕上げましたよ!カスタードクリームは逆に甘くした!!」
「俺達も出来たぞ、あとはどうする?」
「そうだな・・・あとは特に無し!他は明日で十分だ!!」
「えっ、これだけですか?」
隆二が意外そうに聞き返す。
「あとは殆どの材料はそのまま使うし、明日は生地を作って焼くだけだからな!
俺は玉置さんと秘書子ちゃん達のためにちょっとだけ作るけど、お前達はどうする?」
「まぁ、俺達も普段世話になってるし手伝うわ」
「そっすね、勉強になるかもしれないし手伝います!」
俺達は明日の準備をした後、日頃のお礼にチョコレートに漬けたクッキーを作った。
クッキーに使ったチョコレートは、牛乳を混ぜていないらしい。
チョコレートは、液体を混ぜると固まらなくなるからだと言われたが、正直何が何だか解らん。
明日の本番が気になってしまってそれどころじゃなかった。
ホワイトデー当時、俺達は午後から休みを取って誠治の家に集まった。
台所には俺達の他に貴宏もいる。
貴宏も渚達にお返しがしたいらしい。
「お父さん、見てちゃダメ?」
台所の戸を開けて千枝が覗き込んでくる。
「ダメでござる・・・見てたら、完成品を見ても驚かないだろ?
大人しく向こうで待ってるように!」
「はーい・・・」
誠治は千枝を追いやり、台所の戸を閉めた。
「さてと、まずは生地を作るかな。
昨日刻んだドライフルーツ、薄力粉、ベーキングパウダー、卵、蜂蜜、牛乳・・・材料は揃ってるし、混ぜ合わせて生地を練るぞ!」
誠治に指示され、俺達はそれぞれ生地を練りはじめる。
誠治は俺達が作業している間にある道具を取り出して来た。
その道具はたこ焼き機だ。
「たこ焼き機で焼くんですか?」
それを見た貴宏が不思議そうに誠治に尋ねる。
「そうです!こいつが無きゃ始まらない!!
生地が出来たら貸してね、焼いて行くからさ」
誠治は練りあがった生地を型に流し込み、小さな甘いたこ焼きもどきを大量に作っていく。
焼きあがり、皿に乗せられていくのは小麦色に焼けた鈴カステラだ。
「隆二は焼きあがったやつにチョコレートソースをかけてくれ。
元気はその上にカスタードクリームを細い線状にかけてくれ。
貴宏君は抹茶の粉末を振りかけてから、細かく切った金箔を乗せてくれ!」
誠治は次々と鈴カステラを作りながら、俺達に小声で矢継ぎ早に指示を出していく。
それでも作るスピードが落ちないのは流石と言ったところだな。
「完成だ・・・皆んな、よく頑張った!これなら驚くだろう!!」
誠治はやり遂げた表情をしている。
重要な部分はほぼ誠治がやったため、俺達にはあまり達成感はない。
だが、皆んなで一緒に作ったってのが大事だ。
「さてさて、お待たせしましたよ女性陣!
これが俺達のホワイトデーのお返しだ!!」
「おぉ、待ってました!!誠治さん、隆二と一緒で大丈夫でした?」
「皆さんお疲れ様でした!覗きに行こうとする千枝を止めるの大変でしたよ・・・」
「お母さん、何で言うの!?」
由紀子、美希、千枝が俺達を笑顔で迎えてくれた。
渚はどうだろうか?
「今日は私達のためにすまないな・・・だが、嬉しいよ」
渚は由紀子達とは違い、静かに微笑んでいる。
やっぱり良い女だ・・・。
「んじゃまぁ、早速食べて貰おうかな!」
誠治が皿に被せていた蓋を開けると、渚達の目が点になった。
まぁ、気持ちはわかる。
なんと言っても、見た目はたこ焼きだならな。
「お母さん、これってたこ焼きだよね?」
「そうね・・・」
「私にもたこ焼きに見えるな」
「おい、これってたこ焼きじゃねーか!?
見事な二度見したじゃん!!
どうせタコ無しなんでしょう!?」
女性陣は呆れている。
由紀子に至っては激怒している。
「ふふふ、まぁ食べてから文句を言って貰おうか!!
これは男達の愛と涙とお金の結晶だ!!」
渚達は、互いの顔を見て不安げに頷くと、爪楊枝を刺して口に運んだ。
「あ・・・これカステラだ!しかもドライフルーツが入ってる!」
「これってチョコレートソース!?」
「お金の結晶ってこれのことかぁ・・・」
由紀子、千枝、美希は笑いながら甘いたこ焼きもどきを食べている。
気に入ったようでなによりだ・・・だが、一番気になるのは渚だ。
「ははは、これは良いな!可愛いし甘くて美味しい!!
元気、貴宏、ありがとう・・・とても嬉しいよ」
渚の目には涙が浮かんでいた。
だが、その表情は嬉しそうで、幸せそうに見えた。
俺はそれを見てホッとした。
惚れた女がこんな表情を見せてくれる・・・これこそ男冥利に尽きるってもんだ。
「ほら、元気と貴宏も食べろ!流石にこの量は私達だけでは無理だからな!」
渚は目元を拭い、俺達を呼ぶ。
その後は色々と大変だった・・・誠治が掛かった金額をポロっと言ってしまい、美希から大目玉をくらったりといつも通りの展開だ。
だが、それが良い・・・嫌な事を思い出す事なく過ごせるなら、それに越したことはねえ。
俺は渚や皆んながそんな思いをしなくて済むように頑張らなきゃいけねえ。
誠治に比べりゃ微々たるものかもしれねぇが、俺はこいつらの笑顔を守り抜く。
それが俺のやるべき事だ。
俺はうなだれる誠治を励ましながら心に誓った。