昔話と疼く傷 2
「師匠の言うことは絶対だ。例えどんなに理不尽だろうとな。あと、理由なんざ俺が楽しいからに決まってるだろうが。」
超自己中発言を堂々と言い放つと、ようやくリグの頭から手を外す。
「リグとそっちのお嬢さんも来るといい。ジンは絶対来いよ。そこのノッポなにいちゃんは、どうでもいいがな。」
これまた堂々と失礼な事を言う。当のシー・ルナはいつもどうりの笑顔。これはこれで怖い。
「……先生、ちゃんと服着ろよ?」
リグがボソリと呟くと、ギガンジールは苦笑いをする。
「ああ、分かってるって。約束だろう? キラキとの。」
リグは無言で頷いた。
「ジン、じゃ、またここいらに集合な。ソウ、宿に戻るぞ。」
「ええっ? いきなりどうしたんですかっ?」
ソウと呼ばれた青年がペコリとお辞儀して、慌ててギガンジールの後を追い掛ける。
「嵐のような人ね。ジンの師匠って。」
やや呆然と立ち尽くすマーシェ。
「そういや、リグは師匠と知り合いだったんだな。」
「昔、村で臨時の戦闘の先生だったんだ。」
マーシェが何かを思い出したように、勢いよく手を上げる。
「はいはーい。リグ、あたし、ちゃんと神の名と神書覚えてたから、質問!」
「ああ、すっかり忘れてた。」
応えるリグはいつもどうりだ。マーシェはあのギガンジールと何かあったのかが気になっていた。
「皆さん、とりあえず、宿に戻りましょう。ここは、見物客が多いですよ。」
確に、奇異の目で見られているようだ。あんな騒のあとでは仕方ないが。
「ジンのせいであたし達まで変人!?」
「うーん、否定してやりたいが、あの師匠と歩いて来たんじゃさすがに出来ねぇなぁ。」
結局、マーシェ達は町を探索することもなく、あの狭い部屋に舞い戻る。四人はそれぞれが四方の壁を陣取り、圧迫感が出ないよう努める。
「リグ、マーシェと何かを約束してたのか?」
「ああ、神の名と神書を覚えたら、何でも質問に答えてやるって。」
「なんで、また。」
「マーシェって、目の前に旨いもんがあると必死で走って行きそうかなぁって。」
ジンの頭の中にはニンジンを追い掛ける馬の姿がパッと浮かぶ。
「あー、それなんか分かるかも。」
「あんた達、あたしをバカにしてるでしょう?」
「まあまあ、質問は決まったんですか?」
マーシェの左手側に座ったシー・ルナが横から無理矢理話の流れを修正する。
マーシェはまだまだ言い足りないものの、これ以上話を脱線させるつもりもない。
「まずは、気になってたサルドネス神国の孤児事情よね。」
「ずっと気になってたんですか。」
「神官に関係あることなら何だって知りたいわ。」
「サルドネスには孤児院ってのがないんだ。その役目を担っているのが神殿だからな。で、孤児は神学を幼い頃から習うわけ。あと戦闘もな。神官になれなくても大抵、その護衛になる。」
マーシェは感心するようにへぇと溜め息をもらす。
「ん? それにしてはリグは弱っちいわね。」
「ほっとけ。」
不機嫌に怒鳴る。
「あと、さっきの人と何かあったの? 様子、おかしかったわよ。」
「べつに……。」
リグは口ごもる。話したくないようだ。視線をマーシェから外し、だんまりを決めこんだ。
ジンはそれを見てニヤリと笑う。
「大方、お前もやらされたんだろ。腹踊り。」
「は、はらおどり?」
ジンはうんうんと頷き、眉を寄せる。
「あれは人生の汚点だ、傷だ、消去不可能な恥だーっ!」
ジンを含むギガンジールの弟子達は公衆の面前で一列に並ばされ、腹踊りをやらされたのだ。
「違う。」
リグは呟く。
「俺達は村の広場でニワトリやら猿やら動物の真似だ。ついでに似てないと次の日もやらされたからな。」
マーシェは首を傾げる。
「真似くらいは子供のお遊戯みたいなもんじゃない。」
「まあな。けど、その頃にはもう、剣士としての自尊心なんかも芽生えてたわけだ。」
「粉砕だぞ。」
「あー、うーん。」
確に、剣士を職業にしているものはプライドが高いものが多い。職がなくなっても客商売につくことが出来ず、路頭に迷うはめになったり、剣を捨てることが出来ずに盗賊になったりするものがいる。
「まあ、俺らはまだ、貧乏人だったから笑い話にもなるが、貴族出身の奴らは、ありゃもう、憐れの一言だな。」
「そうでしょうね。」
マーシェだって動物の真似まではいけそうだが腹踊りはやりたくない。
「あと、とりあえず最後。キラキって?」
パッとリグの顔色が変わる。
「あ……。」
震える右手を震える左手で押さえ付けうつ向く。
「ご、ごめん、嫌なら言わなくても。」
その反応に驚いたマーシェが慌てて言う。
「妹だよ。」
いつもより少し低く、感情を殺した声。
「四年前に殺された、俺の妹。」
一瞬にして空気が重くなったような気がした。
しばらくの沈黙を破ってマーシェはどこか、遠くを見るようにして、ぽつりと漏らした。
「そう、それは、痛いね。」
憎悪と悲しみと、殺してやりたいのに、それができない虚しさは、ない混ぜになって、今でもマーシェの心をきりきりと苛む。
「……うん……。」
マーシェの言葉が独り言のように、自分に向けられてはいないことに気付いていたが、リグは素直に頷いた。
カーテンを閉めた薄暗い部屋に戸を叩く音が響く。
「ソウか。」
「はい、師匠、失礼しますよ。」
ソウと呼ばれるこの男は本名をソウフィス・テンマーといい、ジンとは同期で仲は良い。かちゃりとドアが開けられると、部屋が一気に明るくなる。
「師匠ー、さっきのお話なんですがって、えーーっ!!」
ソウフィスはギガンジールの格好を見て、驚愕におののく。
「し、師匠が、師匠が、ズボンを履いているっっっ。」
ギガンジールは部屋の丸テーブルに足を乗っけて、器用に椅子を傾け、ゆらゆら揺らしながら煩そうに目を向けた。
「俺だってズボンの一着くらい持ってるさ。」
「見なければ信じられない事ですよね。」
「お前、優しげな顔して失礼だよな。」
ズボンにはギガンジールに似合わない小さな花柄の刺繍が所々に施してある。
「貰い物ですか?」
どう見てもギガンジールの趣味とはあっていない。
「よく分かったな。」
「師匠のものにしては刺繍が可愛らしすぎます。」
椅子を起こしてソウフィスに視線をやるとふっと唇の端だけを吊り上げて笑う。
「これは俺の天使からの贈り物だ。やらねぇぞ。」
「女の人ですかー? いりませんよ。」
ギガンジールは椅子の背に体重を預け、首を後ろに反らす。
「先生? ちゃんとこれ着てくださいね。いっつもリグと喧嘩するんだから。」
優しく幼い声はギガンジールの記憶の中で今でも鮮明に残る。
「師匠?」
いつもよりテンションが低いようなギガンジールにソウフィスは首を傾げながら声をかけるも返事はない。しばらく椅子をギシギシ軋ませた後、口を開く。
「俺は一度言ったことは、くつがえさねぇぞ。踊れっつったら踊れ。」
「最近、無かったのにどうしたんですか?」
のぞきこんで見れば目を閉じている。ソウフィスは諦め色の濃い溜め息をつくと、部屋を出て行ってしまった。
ドアが閉まる音を聞くと、ギガンジールはゆっくりと目を開く。
「俺って情けねぇなぁ。」
暗い天井に今でも鮮明に思い出すことができる少年と少女の姿が映る。
七年前の夏、森の中で最初に出会った時、キラキはギガンジールを見て号泣した。いつもの格好のせいではない。
腹わた飛び出てるわ、腕はあらぬ方向にひん曲がってるわ、足首とれかけてるわで、要するに、死にかけていたからだ。
「キラキ! 関わるな!」
近づこうとしたキラキの腕をつかみ、よく似た面ざしのリグが怒鳴った。
「リグ、でも……。」
「どう見ても怪しいだろ。どうせ、盗賊同士の仲間割れだろう。」
盗賊ではなかったが、仲間割れと言うのは正解だった。加わった小護衛団のメンバーに裏切られ、滅多刺しにされたのだ。
しかも足の腱、手の腱を切られ、獣に襲わせようという質の悪い嫌がらせつきだった。
ギガンジールはありったけの気力を振り絞り、息も絶え絶えに声を吐きだした。
「お、お、れは、がはっ…っ、変態では……な、い。」
「ほら、リグ、変態さんじゃないって。」
キラキは必死になって訴えた。
「変態は自分のこと変態なんて思ってるわけねーだろ! ってか今にも死にそうなときに、んなこと言うこと自体変態だ!」
ムキになって怒鳴るリグにキラキはさらに泣き出した。
「だ、だって義母さんが本当に怪しい人は普通の格好、しているものよって。」
「あれは見た目で分かる怪しい人だ。」
「もー、リグなんて知らない! 助けるって決めたもんっ!」
キラキは両手をギガンジールにかざした。それと同時に、リグは小さく溜め息をついて背中の長剣に手を伸ばした。ギガンジールがいきなり彼女をおそっても切り伏せられる距離。
『水の囁き 東の教え』
それはギガンジールの知らない言葉。彼女の格好からも神官であることが見て取れたから、神術の詩であろうことは想像できた。
『純真なる農夫は涙する 応えるはアフルイゼクナ神 我が願い 我が祈り 聴き届け 今ここにその力顕し賜え』
耳に心地好い、涼やかな声の詩が紡がれると、キラキの手の平に淡く暖かな光が灯った。
ギガンジールからはただ、大量な光の糸が自分を包んでいくように見えた。
「え?」
ふわりと突然体が軽くなったような気がして、ギガンジールは思わず身体を起こした。筋が切れていたはずの手首を地面につけていることにぎょっとした。
「うーん、切られる前の状態に近づくようにやってみたんだけど、どうかな?」
ギガンジールはぱちくりと目をしばたかせると、手を開いたり閉じたりして、どこにも異常がないことを確認した。
「………天使よ!」
ギガンジールはがばっとキラキを抱き締めようとした。もちろん冗談だったが、リグの剣がピタリと首についていた。
「キラキに近付くな。」
低く、威嚇する声で、牽制された。
ギガンジールはぴたりと動きを止めると、悪戯を思い付いたようにニヤリと笑った。長剣は襲われたときに奪われていたので、懐に隠し持っていたナイフで素早く、リグの長剣を弾き、その手首を掴んで、動きを封じた。
「んなっ!?」
リグにはその行動が速すぎて見えなかった。
ギガンジールはそのまま引き寄せるとぎゅうぎゅうと抱き締めた。
「マーイ、エンジェールッ!」
おふざけだがリグにしてみれば、見ず知らずの筋肉ムキムキふんどし男に抱き締められているのだからたまったものではなかった。
「な、なっ! 離せっ、この変態ーっ!」
悲しいかな、いくらもがこうと七歳の力ではどうにもならなかった。
「ぶっ殺ーす!」
真っ青によく晴れた空に虚しくリグの声は吸い込まれていった。
「……しょう、師匠ー。」
ギガンジールは頭の中に疑問符を浮かべる。