25.この熱は、冷めない
愛里は一人、部室棟の裏にやってきた。
体育館へと続く、坂道の下。坂道の並木の落ち葉が、足元に柔らかい。
頬の涙をぬぐうと、また、冬馬の舞を思い出す。そして走馬灯のように、愛里が玉三郎コンテストのスカウトに選ばれてからの日々の出来事が胸をよぎっていった。
コンテストの結果発表は終わっただろうか。生徒たちの歓声がグランドから響いていた。
「……パパ」
答えがないのを承知で、そっと呼びかけてみる。
「コンテスト、終わったよ。緒方くん、すごかったでしょ?」
何気なくそっと蹴り上げた落ち葉が、かさりと風に舞う。
「ほんとに綺麗で、清々しくて、グラウンド中の空気が変わったみたいだったよね?」
昇華したというのだろうか、光の粒が天に向かって登っていった、あれは霊たちの残滓のような気がした。もう、冬馬が霊たちに付きまとわれることはないだろう。
「愛里」
呼ばれた気がして、振り向くと、冬馬がいた。
冬馬は、垂髪を外して化粧も落とし、千早も脱いでいるが、白衣緋袴のままだ。足元も白足袋のまま走ってきた様子だった。
名前で呼ばれたような気がしたけれど、気のせいだろうと、
「緒方くん、コンテストは?」
愛里が聞くと、
「優勝」
そっけない返事が返ってきた。当然だろうという自負も見える。
「じゃ、表彰式でしょ? 主役がこんなところにいていいの?」
「青井がいるし。みんなもいるから」
適当にやるだろうと冬馬は言った。
『それより』
「え?」
なぜか冬馬の声が、ほかの音と重なったようににぶれた。
『もう、時間がないみたいだから』
重なる声は。
「……パパ?」
冬馬がゆっくり頷いた。袴姿でも、もう巫女には見えない。
いつしかその姿に、濃い青のつなぎを着て快活そうな逞しい男の姿が重なって見えてきた。
『そうだよ、愛里』
本当に大事なものを見つめるようなやさしい瞳で、泰造は言った。冬馬と二重写しになった泰造の体は透けていて、今にも消えそうで。声を届けるのも、冬馬の声に重ねてしか、もうできない。
『お別れを、言いに来たんだ』
「パパ……」
『思いがけず、大きくなった愛里に会えて、パパは、本当に嬉しかった。愛里の手伝いを名目に、長くいすぎたけど、少しでも愛里を守れて、パパは、心底幸せ者だ』
語る泰造を見つめながら、愛里の目からは涙が止まらなかった。
『それに、緒方くんが、あの舞で引き寄せてくれたおかげで、こうしてまた会えたし』
いよいよ消えてしまいそうな泰造の影に、愛里はふるふると首を振って、しがみついた。
泰造が愛里を抱きしめ、そっと髪をなでる。
『なあ、愛里。パパはずっといるよ。愛里の中に、いるから』
「……うん」
『……ありがとう、パパをパパにしてくれて』
そう言って泰造は、ぎゅっと強く愛里を抱きしめた。
やがて何かがほどけていくような大事なものが形を変えるような、静かな痛みが愛里の胸を刺して。
泰造の影は、空気に溶けた。
やさしい喪失感から戻ると、愛里は冬馬の腕の中で、抱きしめられたままだった。事態を改めて認識した愛里は、突然固まってしまった。
身じろぎした愛里の硬直が伝わったのか、
「……娘をよろしく、とか言われたら、どうしようかって思ったけど」
くすりと冬馬は笑って、その腕に少し力を込めた。
どんなに綺麗、でも。やっぱり男なんだと意識してしまい、愛里は頭が沸騰しそうで、慌ててその腕から飛び退った。
「残念。親父さん公認で、役得だったのに」
冬馬が大げさに肩をすくめる。
「お、緒方くん、キャラ違うんですけど!」
焦った愛里が抗議する。
冬馬は、背負っていた荷物をすべてそぎ落としたかのように、さわやかに笑った。
「ん。変わるかもね」
「え?」
「あんまりずっと暑かったら、どんな氷も溶けだすだろ?」
伊藤と親父さんのおかげかな、と冬馬は言う。
冬馬の体質が突然変わったわけではない。だから泰造も引き寄せて、愛里のもとへ走れたのだ。けれど、祓いの巫女として昇華させた経験は決して無駄にはならないだろう。
「だから、俺も」
……ありがとう、と耳元でささやいて。冬馬は愛里の手をとった。
「表彰式、行くだろ?」
ささやかれた声と、打って変ったクールな口調。まだ、愛里の胸はどきどきしているのに。
「間に合う、かな?」
「さあ? だけど」
「うん、行こう!」
手をつないで駆け出す。コンテストを一緒に作ってくれたみんなのもとへ。
―――そしてたぶん、この熱は、冷めない。
*** FIN ***




