第4話 黄昏の取り分
「証拠は、出た」凛が硝子の小瓶を握りしめる。「これを公開すれば――」
「まだです」誠司は止めた。「これは”誰かがやった”証拠。“誰がやったか”の証拠じゃない」
小瓶は、薬が抜かれていたことを証明する。だが、抜いた手が誰のものかは語らない。世間に出せば「不運な事故」が「悲劇的な誰かのミス」に変わるだけだ。それでは、三十億は止まらない。
会社に戻った誠司は、いつもの査定室で、カケルの保険証券を広げた。
世間が涙する裏で、金がどこへ流れるのか。それを読むのが、彼の本当の仕事だった。涙は嘘をつく。数字は、つかない。
三十億円。受取人の欄を、指で追う。
表向きは、遺族。年老いた両親の名前が並んでいる。だが証券の構造を辿っていくと、金は素直にそこへ流れていなかった。受取の一部が、信託を経由し、配信権の管理会社へ。その会社の実質的な所有者が、パーティ「黄昏」の活動資金口座へと繋がっている。
リーダーの死で、残された仲間が潤う。
迂回して、見えにくく、しかし確実に。動機は、金だ。誠司の中で、椎名の抜いた薬と、この金の流れが、一本の線で結ばれていく。
ーーそこまでは、わかる。
問題は、ここからだった。
誠司の指が、証券のある一行で止まる。読み飛ばしてしまいそうな、小さな特約の欄。何度も契約を見てきた彼の目が、そこで引っかかった。
〈白紙特約〉。
良性の、当たり障りのない名前だ。約款のどこにでも紛れていそうな。だが査定員の目には、それが何をしているのかが見えた。
この特約は、死亡を”事故”として高速で確定させる。第三者の調査が入る前に支払いを成立させ、再調査の手続きを、契約構造そのもので塞ぐ。いわば、疑う隙を、最初から設計で潰しておくための条項だった。
誠司は背筋に、冷たいものを感じた。
探索者の標準プランに、こんなものは付かない。むしろ、付けてはいけない種類のものだ。これは「いつか調べられる」と知っている人間が、「その時に備えて」仕込む条項だった。つまり――この死は、起きる前から、調べられることが想定されていた。
椎名が薬を抜いた。黒崎が金を流した。
だが、この契約を組んだのは――あの四人じゃない。彼らに、この知恵はない。薬を抜く度胸はあっても、疑われた後の逃げ道まで、契約書の中に編み込む頭はない。
パーティの背後に、もう一人いる。
死を、綺麗な物語と、綺麗な書類に化けさせる、誰か。手を汚さず、紙の上だけで人を守り、人を見殺しにできる、誰か。
証券の隅に、設計者の登録番号だけが、無機質に刻まれていた。
名前はない。顔もない。ただ、十二桁の数字だけが。誠司はそれを、静かに手帳へ書き写した。インクが乾くのを待つあいだ、彼はその空白の輪郭を、しばらく見つめていた。
まだ顔も、名前もない。
――だがいずれ、必ず会うことになる。




