第1話 人気配信者死亡事件
人が一人死ぬと、世界はそれを物語にしたがる。
天羽カケルの死は、完璧な物語だった。仲間を逃がすために殿を引き受け、たった一人で階層主の前に立ち、還らなかった英雄。クリップは一晩で世界を巡り、会ったこともない何十万人が泣いた。
美しすぎる。
相沢誠司は、その完璧さが気に入らない。
窓のない査定室で、彼は同じ十七秒を四十回くり返し再生していた。死亡保険金、三十億円。隣の席は、今日三件目の死亡保険の書類を刷り始めている。世間も、遺族も、生き残った仲間も、早くその金で物語を完成させたがっている。
誠司だけが、再生バーを戻す。
「……また君か」上司がモニターを覗き込み、露骨に息を吐いた。
「相沢。判が要るんだ、今日中に」
誠司は答えず、画面の隅を指で示した。
カケルの腰の道具袋。戦闘前、回復薬で満たされていたはずのそれが、最期の数秒には空になっている。誰の手も触れていない。なのに、中身だけが消えている。
瀕死の英雄は、一度も薬に手を伸ばさなかった。伸ばさなかったのではない。
上司の返事を待たず、誠司は抽斗から白い手袋を取り出した。遺品のゴーグルに、指をかける。
「すみませんね、カケルさん」声は、誰にともなく落ちた。
「最後の十秒、見せてもらいます」
ゴーグルの内側に、まだ温度が残っている気がした。手袋越しに、誠司は意識を死者の側へ沈める。
——光。
階層を照らす松明の、赤。荒い息。揺れる視界。これはカケルの目だ。彼が最後に見たものを、いま誠司が借りている。
階層主の巨体が迫る。カケルの手が、反射のように腰へ伸びた。指が回復薬を探り当て、引き抜く——
そこで、映像が黒く塗り潰された。
また欠落だ。死因に触れる記憶しか映らず、その肝心な数秒が、こうして抜ける。誠司は奥歯を噛んだ。
黒が晴れると、カケルはもう薬を握っていなかった。空になった自分の手を見下ろし、それから——迫る敵ではなく、仲間が消えていった通路のほうを、振り返った。その目に浮かんでいたのは、恐怖ではない。理解だった。
巨体が振り下ろされ、記憶が途切れる。
誠司はゴーグルを外した。鼻の下を拭うと、指に赤い筋がついていた。代償。死を覗くたび、いくらか持っていかれる。
——その瞬間、見えるはずのない断片が、ほんの一瞬だけ混じった。温かい光。誰かの、女の。
気のせいだ。疲れている。誠司は頭を振って、それを払った。
残ったのは、二つの事実だけだった。カケルは薬を抜いた。そして、飲まなかった。その間に何が起きたのかは、あの黒い数秒の中にある。
見えないなら、組み立てるしかない。
誠司は再生バーを、もう一度いちばん最初へ戻した。
*
追悼イベントの会場は、葬儀というより祝祭に近かった。
巨大スクリーンにカケルの笑顔が流れ、ファンが献花の列をつくる。壇上には、生き残った四人。彼のパーティ「黄昏」だ。リーダーの黒崎が、声を詰まらせながらマイクを握っていた。
「あいつは……最後まで、俺たちを逃がそうとして」
会場がすすり泣きに包まれる。配信の同時接続は、百万を超えていた。世界がもう一度、英雄の物語に頷いている。
誠司は最後列で、壇上を見ていた。泣いている四人を、一人ずつ。
黒崎の隣、回復役の椎名が、目元を押さえている。完璧な悲しみ方だった。ただ一つ——彼女が献花のたびに、左手首の時計を、無意識に確かめる癖があるだけで。
時間を、気にしている。
誠司の頭の中で、あの黒い数秒が疼いた。回復役。瀕死の仲間に、いちばん早く薬を回せる位置にいたはずの人間。その彼女が、薬の消えた数秒を、いま時間で測るように振る舞っている。
「……席、間違えてますよ」
声をかけられて、誠司は振り返った。
白石凛。カケルと同じ配信者で、ランキング上位の探索者。睨むような目で、彼を見下ろしていた。
「査定員でしょう。会社の名札、見えてる」凛の声は低い。
「人が一人、仲間を守って死んだの。それを——いくら払わずに済むか、数えに来たわけ?」
誠司は否定しなかった。否定が、いちばん嘘になる職業だ。
「数えに来ました」彼は静かに答えた。
「払うべきかどうかを、確かめるために」
凛の表情が、はっきりと凍った。




