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白井紫影の憂鬱  作者: ドクター・減る


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部室の審問――入部試験という名の禅問答

 白井紫影が連行された先、すなわち「ちんちくりんの七変」のアジトたる部室は、混沌カオス坩堝るつぼであった。

 部屋の四隅には、出所不明の古文書、分解された電子計算機の残骸、そして極彩色の背表紙を持つ美少女漫画の山が、地層の如く堆積している。

 その中央に鎮座する長机を挟んで、白井と寺石は対峙した。

 天井から吊り下げられた裸電球が、寺石の眼鏡を冷ややかに反射させる様は、あたかも警察署の取調室における、敏腕刑事と哀れな被疑者の如き様相を呈していた。


 白井は、借りてきた猫のように身を縮こまらせ、武術で培った丹田の呼吸法をもってしても、止まらぬ動悸を鎮めることができずにいた。彼の「秘密」は既に暴かれた。あとは、如何なる断罪が下されるのかを待つのみである。


 寺石は、ゆっくりとパイプ椅子に腰を下ろすと、まるで旧知の友をもてなすような、しかしその実、逃げ場のない獲物を甚振いたぶるような声音で言った。


 「さて、まあくつろぎたまへよ。茶など、どうかな?」


 寺石が差し出したのは、湯呑みの縁が欠けた、いつれたとも知れぬ茶色い液体であった。白井は無言で首を横に振る。喉は乾ききっていたが、この魔窟で出されるものを口にする勇気はなかった。


 「遠慮とは、水臭い。……まあ良い。」


 寺石は自らの分を一口啜すすると、眼鏡の奥の瞳を鋭く細めた。


 「同志よ。貴様のその『ごう』の深さは、先ほどの吾妻ひでおの件で十分に理解した。しかし、我々の『円卓』に座すには、単なる嗜好しこうだけでは足りぬ。必要なのは、思想だ。」


 「し、思想……?」


 「しかり。故に、これから簡単な入部テストを受けてもらう。」


 「入部テスト……!」

 白井は愕然がくぜんとした。断罪ではなく、試練か。しかし、ロリコンの思想を問うテストとは、一体如何なるものか。


 寺石は、手元の鞄から一枚の紙片を取り出し、机の上にパシリと叩きつけた。

 そこに描かれていたのは、漫画やイラストではない。

 ただ一本の、単純な曲線であった。

 それは、緩やかに隆起し、滑らかに下降する、なんの変哲もない放物線のように見えた。


 「問おう。この線を見て、貴様は何を感じる?」


 白井は息を呑んだ。

 これは、ロールシャッハ・テストではない。これは、もっと根源的な、対象への愛と認識力を試す、踏み絵だ。

 凡人が見れば、ただの線に過ぎない。しかし、その曲率、線の入りと抜き、筆圧の強弱……。

 白井の脳内にある膨大なデータベースが、高速で回転を始めた。吾妻ひでおか? 否。内山亜紀か? 否。この独特の、肉感的な柔らかさと、ある種の聖性を帯びたラインは……。


 白井の口が、渇きを忘れて動き出した。


 「……これは、ふくらはぎだ。」


 「ほう。」寺石の眉がピクリと動く。「続けよ。」


 「ただのふくらはぎではない。これは、第二次性徴を迎える直前の、少女特有の、脂肪と筋肉が未分化な状態にあるが故に生じる、奇跡の流線形だ。この緩やかな隆起は、重力に逆らおうとする生命の躍動を示し、その下降線は、大地へと繋がる重力の必然、即ちあどけなさを象徴している。……そして!」


 白井は身を乗り出し、机を叩いた。


 「この線の『抜き』に見られる、わずかな躊躇ためらい! これこそが、作者がこの脚部に抱く、庇護欲と背徳感の葛藤、即ち**『イエス・ロリータ、ノー・タッチ』の精神的苦悶**を表現しているッ!」


 一気呵成いっきかせいまくし立てた白井は、ハッと我に返った。

 またやってしまった。

 隠すべき己の恥部を、あろうことか、初対面の男の前で、哲学的な装飾を施して大声で開陳してしまったのだ。

 白井は顔を覆い、穴があったら入りたいという羞恥に震えた。

 「……し、失敬。取り乱した……」


 沈黙が、部室を支配した。

 ほこりの舞う音さえ聞こえそうな静寂の中、白井は、寺石からの侮蔑の言葉を待った。


 しかし。


 「……合格だ。」


 「え?」


 顔を上げると、寺石は満足げに頷き、その薄い唇に微かな笑みを浮かべていた。


 「見事だ、白井紫影。あの一本の線から、そこまでの妄想……いや、形而上学的な洞察を引き出すとは。貴様のまなこは、現実リアルの皮相を突き抜け、その奥にある**真理イデア**を捉えている。」


 寺石は立ち上がり、右手を差し出した。


 「歓迎しよう、同志よ。ここが、貴様の新たな**伽藍がらん**だ。」


 白井は、その手を呆然と見つめた。

 それは、彼が「まともな人間」としての道を完全に踏み外した瞬間であり、同時に、孤独な魂が初めて理解者を得た、救済の瞬間でもあった。

 彼は、震える手で寺石の手を握り返した。そのてのひらは、驚くほど冷たかったが、そこに通う血潮だけは、確かに熱を帯びていた。

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