シリコンの預言者と王国の落日――あるいは日本電気(NEC)への挽歌
第一章 確率論的エスパー
白井紫影は、こと電子計算機の選定と運用に関して、友人の寺石に全幅の信頼、いや、信仰に近い念を抱いていた。
白井にとって、寺石は**超能力者**である。
ある時、白井がノートパソコンの不調を訴えた際のことであった。
「寺石よ、画面が固まって動かぬのだが……」
白井がそう言いかけ、マシンを差し出したその刹那。寺石は、画面のエラーコードを一瞥もしないまま、白井の焦燥しきった顔色と、指先の微かな震えだけを見て、即座に断言した。
「……貴様、データの保存中に強制終了したな? ハードディスクのクラスターが破損している。修復をかけろ。」
的中であった。
寺石にとっては、単に過去に経験した膨大なトラブル事例と、初心者が陥りがちなパニック行動を照らし合わせ、最も蓋然性の高い事象を口にしたに過ぎない。確率論的推論である。
しかし、そのカラクリを知らぬ白井にとって、それは百発百中の透視能力であり、神の啓示に等しかった。
だが、この絶対的な信頼関係が構築されるに至るまでには、一つの凄絶な事件――ある「王国の崩壊」を巡るドラマがあったのである。
第二章 ストレイカー司令の激怒
それは、白井が寺石と出会って間もない頃のことであった。
その日、部室の寺石は、普段の彼からは想像もつかぬ状態にあった。
常日頃、英国のSF特撮ドラマ『謎の円盤UFO』に登場するエド・ストレイカー司令官の如く、冷徹で感情を表に出さぬ男が、この日は顔面を紅潮させ、全身を小刻みに震わせていたのである。
あまりの剣幕に、他の七変人たちも遠巻きに様子を見るばかりであったが、意を決して白井が声をかけた。
「……寺石よ。何に憤っておるのか?」
寺石は、憤懣やるかたなしと言った風情で肩を怒らせていたが、一呼吸し、手元の温くなった茶を一気に飲み干すと、堰を切ったように口を開いた。
「俺は失望した。いや、絶望したのだ。」
寺石の声は低く、地を這うような怨嗟に満ちていた。
「この二年間、俺は一日千秋の思いで新型機の発表を心待ちにして居た。技術の革新を、シリコンの進化を信じていた。……なのに、これは何だ!!」
再び、ワナワナと肩を震わせ、拳を握り締める寺石。爪が掌に食い込み、血が滲むほどである。
「お、落ち着け!」白井は慌てた。「貴様らしくないぞ。主語が抜けておる! 何の新型機がどうしたと言うのだ!」
「はっ!」
寺石は我に返り、眼鏡の位置を直すと、呪詛のように吐き捨てた。
「許すまじ、腑抜けた**日本電気(NEC)**めが! 国民機などとおだてられ、あぐらをかき、技術者の誇りを忘れて守銭奴(商人)に成り下がりおったのだ!!」
第三章 ムーアの法則への背信
「おいおい、まだ何が何だか分からんぞ。NECがどうした?」
「済まぬ……取り乱した。」
寺石は深呼吸をし、黒板に向かった。
「白井よ、ムーアの法則を知っているか。半導体の集積率は十八ヶ月で二倍になるという経験則だ。即ち、コンピュータの性能は、一年半ごとに劇的に向上せねばならぬ宿命にある。」
彼はチョークを叩きつけた。
「しかるに! 今回のNECの新型機発表を見よ! 二年の月日を経て発売されたPC―9800シリーズの最新モデルが、二年前とほぼ同じスペック(CPUクロック周波数、バス幅)だと!? ガワ(筐体)を変えただけで、中身は旧態依然とした遺物だ!」
寺石は嘆いた。
「彼らは市場を独占しているが故に、進化を止めたのだ。ユーザーを飼い慣らされた家畜と侮り、『この程度の性能でも売れる』と高を括ったのだ。その技術的怠慢、その傲慢なる経営判断に、俺は絶望した!」
「そ、そうか。それは酷いな。」
白井は相槌を打つしかなかった。
「俺は決めたぞ。」
寺石は、まるで亡命を決意した将軍のように宣言した。
「俺は、国産機に見切りをつける。鎖国は終わりだ。」
第四章 カサンドラの孤独と鉄の巨塔
寺石は海の方角、アメリカを指差した。
「海の向こうではAT互換機と呼ばれる世界標準機が、凄まじい速度で進化し、価格破壊を起こしている。そして今、**『DOS/V』**という黒船がやってきた。これは、高価なハードウェアなしで、ソフトウェアだけで日本語を表示する技術だ。」
寺石は予言者の如く宣告した。
「遠からず、PC―98帝国は崩壊し、ウィンドウズという名の新しい神が世界を統一するだろう。NECは王座から転がり落ち、ただの一メーカーに成り下がる!」
しかし、その予言に対する周囲の反応は冷ややかなものであった。
「寺石よ、それは極論に過ぎる。」蛮座が眼鏡を直しながら反論した。「日本語の壁は厚い。漢字ROMを持たぬメリケンの機械ごときに、繊細な日本語処理ができるものか。」
白井もまた、懐疑的であった。「NECが倒れるなど、太陽が西から昇るようなものだ。」
七変人の誰もが、寺石の言葉を「マニア特有の妄想」として笑い飛ばした。寺石は孤立した。トロイアの王女カサンドラの如く、真実を語りながら誰にも信じてもらえぬ孤独。
それでも彼は、己の信条を曲げなかった。
数日後。部室は、異様な空気に包まれていた。
寺石の机の周りには、得体の知れぬ電子部品の山が築かれていたのである。
基板、配線、冷却ファン、そして英語のラベルが貼られた無骨な箱の数々。
それらは、ゲートウェイ2000のような洒落たメーカー製のパッケージではない。茶色い段ボールに無造作に詰め込まれた、正体不明のバルク品であった。
「なんだこれは? 寺石、ジャンク屋でも始めたのか?」
寺石は、マザーボードを愛おしげに撫でながら答えた。
「笑止。メーカー製の『出来合い』など、所詮は万人に合わせた妥協の産物、魂の入っていない張りぼてだ。真の求道者は、自らの手で宇宙を構築せねばならぬ。」
彼は、怪しげな伝手――秋葉原の路地裏に巣食う印僑の輸入商社や、台湾の工場から直接買い付けたという、出所不明のパーツを買い集めていたのだ。
そして、その中心に鎮座していたのは、机の下には収まりきらぬほど巨大な、威圧的な鉄の箱であった。
フルタワー筐体。
それはパソコンというよりは、データセンターのサーバーか、あるいは黒き墓標の如き威容を誇っていた。
「見よ。この拡張性を、この通気性を。これこそが、未来を受け入れる器だ。」
寺石は、鉄の箱の中にマザーボードを固定し、無数のケーブルを這わせていく。その姿は、フランケンシュタイン博士が人造人間を創造する儀式にも似ていた。
終章 預言の成就と黒き石版
そして数年後。
歴史は、残酷なまでに寺石の予言通りに推移した。
一九九五年、ウィンドウズ95の発売と共に、PC―98の優位性は音を立てて崩れ去った。白井を含むかつての懐疑派たちは、こぞって寺石の軍門に下り、AT互換機への乗り換え(改宗)を果たしたのである。
しかし、寺石の「予言」には続きがあった。
ある日、部室に再び巨大な荷物が届いた。寺石が、秋葉原の深淵から掘り出してきた、究極のアーティファクトである。
梱包を解くと、そこには漆黒の重厚なるモニターが鎮座していた。
IBM T221。
「なんだこれは……? ただの液晶モニターにしては、異様に分厚く、そして重いぞ。」
白井が恐る恐る触れる。
寺石は、まるで聖遺物を紹介するように厳かに告げた。
「これは、医療機関からリースバックで大量放出された、神の遺物だ。元々はレントゲン写真やCTスキャンの微細な陰影を判読するために開発された、定価二百万円を超える産業用超高精細ディスプレイなのだ。」
「に、二百万!? それを貴様、いくらで……」
「フフフ。投げ売り価格だ。だが、その性能は現代の技術を十年先取りしている。」
寺石は電源を入れた。
「解像度はWQUXGA(3840×2400)。画素数は約九二〇万。今の一般的なモニターの十倍以上の情報量を持つ。ドットピッチは極小、肉眼で画素を識別することは不可能だ。」
画面に映し出されたのは、白井が愛するゲーム『To Heart』のヒロイン、マルチの立ち絵であった。
白井は息を呑んだ。
「……見えない。」
「何がだ?」
「ドットが……ドットが見えない! まるで、そこに印刷された原画があるようだ。いや、そこに彼女が『居る』!」
寺石は満足げに頷いた。
「然り。リフレッシュレートは低く、動画には向かぬ。接続も複雑怪奇だ。だが、静止画を表示した時、このモニターは『画面』という枠を超え、**『窓』**となる。レントゲン技師が病巣を探すための眼で、我々は美少女の肌のきめ細かさを愛でるのだ。これぞ技術の誤用にして、最高の贅沢ではないか。」
白井は、その黒き石版の前で跪いた。
かつてPC―98の崩壊を予言した男は、今や4Kという未知の領域を指し示している。
「……信じよう、寺石。貴様の選ぶ道こそが、我らの進むべき王道だ。」
以来、白井にとって寺石は、単なる友人ではなく、電脳の荒野を導く**「シリコンの預言者」**となったのである。
たとえその預言者が、ボロの軍用マントを羽織り、軍歌を歌う変人であったとしても、その言葉だけは、バイブルの如く真正なのであった。
とりあえず、なんだか思い出したことなどをつらつらと書き連ねていたら、非常に散文的な何かと成り果て、まとまりがなくなってきたなぁと思い至りました。
こう言う時は専門家のアドバイスを頂こうと、仲の良い星雲賞作家に助言を乞うてみました。
説明をするな!描写をせよ。
小松左京の日本沈没を読み直せ。
お前のは、のっけから松本零士の巻紙だ。
仰る通り。目から鱗が落ちた気分です。
再構成して、リライトしていく事にしました。
しばしお時間いただきシンシリーズとして投稿し直していこうと思います。
こちらも残しておきますので、リライト版、乞うご期待。




