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白井紫影の憂鬱  作者: ドクター・減る


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俗なる情熱の暴露

 また、ある日のことである。聖交学園の隅に設けられた、七変たちのたまり場たる薄暗い部室にて、紫影は蛮座と将棋盤を挟んでいた。蛮座は、文人としての己と、通俗的なる『うる星やつら』への情熱との間で常に精神が揺れるが、紫影にとっては、その俗な情熱の奔流こそが、己の厳しすぎる自制を緩和させる、数少ない潤滑油であった。


 二人の間には、初夏の気怠けだるい空気と、駒が盤を打つ乾いた音だけが満ちていた。会話は、当たり障りのない、天気やちまたのテレビ番組の話題に終始し、紫影の内なる虎が顔を出す余地など、微塵もなかった。


 しかし、将棋という知的な遊戯を契機として、話の流れは自然と、彼らにとって最も俗悪で、最も熱狂的な「アニメーション」の世界へと移行していった。話題が、将棋を題材とした**『竜王のお仕事』**という作品に移った瞬間、紫影の能面は、一瞬にして砕け散った。


 「あの作品の真の価値は、主人公の雛鶴あいという幼女の、その清純なる精神の成長の軌跡にある。彼女の瞳には、将棋という神聖なる競技への畏敬と、主人公である竜王への無垢なる慕情が宿っておる。特筆すべきは、彼女が着用する和装の優美さ。それは単なる衣装ではない。純粋な才能が、伝統という強固な形式美によって守られている様を、象徴的に示しているのだ。この、内と外の峻厳な調和こそが……」


 紫影は、自己の禁欲的な倫理観を完全に忘れ去り、己の幼形愛好という本能的な情熱を、哲学的・美学的な考察という衣で包み込み、堰を切ったように滔々(とうとう)と語り出した。彼の口調は、武術の奥義を論じるが如く厳かであり、その饒舌じょうぜつさは、隣で指していた蛮座を、ただただ、困惑の極地に立たせるばかりであった。


 部室の隅で、古文献を読み耽っていた鈍蔵も、SF雑誌を広げていた寺石も、突然始まった紫影の独演会に、動くことをやめ、氷のような沈黙を保っていた。この沈黙は、紫影の熱弁とは裏腹に、その場を満たしていた空気の冷たさを、より一層際立たせるものであった。


 紫影は、やがて独り語りの高揚から覚め、周囲を見回した。五感は、ようやく彼の理性に追いつき、己が犯した醜態を悟る。既に遅し。


 寺石が、SF雑誌から目を離し、静かに口を開いた。彼の声は低く、そして、どこまでも冷徹であった。


 「紫影殿。貴殿は、『イエス・ロリータ、ノー・タッチ』という金科玉条を掲げている。にもかかわらず、貴殿の今の情熱の奔流は、己の自制心という名の城壁を、いとも容易く乗り越えることを示唆している。貴殿が語る**『清純なる精神の成長』とは、単に貴殿の幼形愛好の欲望を、高潔な美学として偽装するための修辞的装置に過ぎぬのではないか。貴殿の論理は、『禁欲』という形式と、『情熱』という内容の間で、決定的な矛盾**をはらんでいる。」


 寺石の詰問は、紫影の心の核心を突いた。紫影は、またしても電気街での失敗を繰り返すまいと、今度はより緻密な**詭弁きべん**を編み出そうと試みた。


 「いや、待て、寺石。これは**『研究』である。武術は、内なる敵との戦いである故、己の最も忌まわしき情熱の根源を、徹底的に分析し、その構造を理解する必要がある。私が饒舌になったのは、まさに分析対象への過度の没入**によるものであり、その熱は、純粋なる探究心の現れに他ならぬ。」


 紫影の早口な言い訳は、彼の内なる動揺を如実に示していた。寺石は、その虚構を、一瞬にして打ち破る。


 「しかし、紫影殿。その**『探究心』は、何故、『和装の優美さ』や『無垢なる慕情』**といった、倫理や武術とは無関係な形容詞を多用するのか。真の分析とは、対象から距離を置くことによって成立する。貴殿の饒舌は、論理的距離を失い、情動の熱量のみが残存している。これは、探究ではなく、**耽溺たんでき**と呼ぶべきではないか。」


 寺石の論理の鉄槌は、紫影の自意識の塔を、二度目の、そして決定的な崩壊へと導いた。紫影の顔からは血の気が失せ、武術で鍛え上げられた肉体は、あたかも岩を穿うがた)たれて中身を失ったかのように、白い抜け殻となった。


 彼の自尊心が、卑俗な欲望を否定するために積み上げた高潔な建前は、寺石の冷徹な知性によって、一片のちりと化したのである。彼は、将棋盤の前に座したまま、身動ぎ一つしない。彼の姿は、あたかも、盤上の駒となり、論理という名の定石によって、完膚なきまでに詰まされた竜王の如しであった。


 その時、沈黙を破ったのは、傍らで静かに古文献を広げていた鈍蔵であった。


 「しかし、寺石。情熱の無い探究に、いかほどの価値がある。白井殿の饒舌は、我々が歴史の塵芥から真理を愛でるが如く、俗悪な世界から純粋なる美を見出そうとする、究極の愛の形にも似ておる。貴殿の冷徹なる論理にも、人情の機微という、わびの境地が欠けているのではないか?」


 鈍蔵の言葉は、紫影を詰問する寺石の鋭利な刃を、一瞬、鈍らせた。


 「人情の機微、か……」寺石は、右翼思想とコンピューターという、相反する知識を内に抱くがゆえに、一瞬の戸惑いを覚えた。


 その隙に、紫影は深々と一礼し、将棋盤を片付ける。彼の顔には、敗北の羞恥と、友人に救われたささやかな安堵の念が、奇妙に入り混じっていた。


 部室に、再び、穏やかな、そしてどこか滑稽な日常の空気が戻ってくる。紫影の業は、この瞬間、ちんちくりんの七変という、彼の異様な仲間たちの間に漂う、「ほっこり」とした無為の時によって、静かに許されたのである。

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