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白井紫影の憂鬱  作者: ドクター・減る


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西征紀行――あるいは九州におけるオタク的業の巡礼

今回から暫く修学旅行編となり、ボリュームがあるので分割での投稿とします。

第一章 長崎の占拠者


 新幹線という近代の鉄馬に揺られ、九州の玄関口・小倉こくらに降り立った聖交学園の一行は、そこからバスの隊列を組んで西へと進軍した。

 目的地は、キリシタンの聖地・長崎。

 本来であれば、大浦天主堂のステンドグラスに祈りを捧げ、グラバー園の石畳に歴史の重みを感じるべき行程である。

 しかし、「ちんちくりんの七変」の面々にとって、その時刻、その場所に居合わせることは、観光とは全く別の、逼迫した意味を持っていた。


 「……時間だ。」


 寺石が、腕時計を睨みながら低く呟いた。

 自由行動の時間が始まった瞬間、彼らは観光名所には目もくれず、とある一流ホテルのロビーへと雪崩なだれ込んだ。彼らが宿泊する宿ではない。単に「ロビーに大型テレビがある」という、ただ一点の理由で選ばれた場所である。


 時刻は日曜の昼下がり。

 ロビーのテレビには、地元テレビ局が中継する市民マラソンの映像が流れており、宿泊客たちがなんとなくそれを眺めていた。

 そこへ、剃髪の少年(白井)や、軍用マントを羽織った男(寺石)を含む、異様な集団が侵入したのである。


 「失礼。」


 寺石は、一言の詫びも入れず、テレビの前に陣取ると、躊躇ためらいなくチャンネルのつまみを回した。

 画面から、汗を流して走るランナーたちの姿が消え、代わりに軽快な主題歌と共に、可変戦闘機バルキリーが宇宙そらを舞う映像が映し出される。

 『超時空要塞マクロス』。

 それが、彼らがこの長崎の地において、何をおいても拝謁はいえつせねばならぬ「御神体」であった。


 ロビーの客たちは呆気あっけに取られ、ホテルマンが制止しようと歩み寄る。しかし、白井紫影が放つ、修行僧の如き(実際にはアニメを食い入るように見つめているだけの)殺気立った背中に気圧され、誰も声をかけることができない。

 彼らは、長崎の異国情緒を完全に無視し、リン・ミンメイの歌声という「銀河の歌」に、魂を震わせていたのである。

 旅の恥は掻き捨てと言うが、彼らにとって、アニメを見逃すことこそが、万死に値する恥辱であったのだ。


第二章 無限回廊のラム


 日は落ち、一行は熊本の宿へと投宿した。

 夕食後の部屋は、男子高校生特有の熱気と、煎餅布団のほこりの匂いに満ちていた。

 ここでもまた、彼らの儀式は執り行われた。

 今度の御神体は**『うる星やつら』**である。

 七変の面々は、ブラウン管の中のラムちゃんが放つ電撃に身を焦がし、あたかも聖体拝領の如き敬虔けいけんな態度で三十分のアニメを視聴し終えた。


 「ふぅ……。今宵のラム嬢も、また格別であった。」

 「うむ。諸星あたるの絶叫に、人間のごうを見た。」


 彼らが満足げな溜息を漏らす中、同室の**「非オタク生徒」**であるA君が、ようやく巡ってきたチャンスとばかりに、テレビのチャンネル権を主張した。

 「じゃあ、もういいだろ? 野球の結果見せてくれよ。」

 A君は、チャンネルを変えた。


 その瞬間である。

 切り替わった画面から、聞き覚えのあるイントロと、見覚えのある虎縞のビキニ姿が飛び出してきたのは。


 『――あんまりソワソワしないで♪』


 「なッ……!?」

 A君は絶句し、白井たちは歓喜の咆哮ほうこうを上げた。

 「奇跡だ! 精霊の導きだ!」(Kの叫び)

 「見ろ! 隣県のローカル局だ! 電波の越境オーバーフローにより、三十分遅れで同一番組が放映されているのだ!」(寺石の解説)


 それは、まさに神の配剤であった。

 A君の「野球を見たい」というささやかな願いは、**「うる星やつらの再放送リピート」**という圧倒的な力の前に、もろくも粉砕された。

 「見るぞ! 刮目かつもくせよ!」

 白井の号令の下、彼らはたった今見たばかりの物語を、初めて見るかのような熱量で再び視聴し始めた。

 A君は、部屋の隅で膝を抱え、終わることのないラムちゃんの笑顔を見つめながら、この部屋が「時間の牢獄」と化したことを悟り、静かに涙したという。


第三章 階級社会の縮図トランプ


 深夜。教師の見回りが去った後の静寂の中で、別の戦いが幕を開けた。

 トランプ遊戯、**「大富豪」**である。

 それは単なるカードゲームではない。資本主義社会の冷徹なる縮図であり、運命の不条理を可視化する残酷な儀式であった。


 「……革命レボリューション。」


 寺石が、冷徹な声と共にカードを叩きつける。

 またしても、である。

 この夜、寺石は一度として王座(大富豪)から陥落していなかった。彼は、あたかも未来を予知しているかのように、あるいはカードの裏の傷を読み取っているかのように(実際には、確率論と心理戦を駆使していたのだが)、常に最強の座に君臨し続けていた。

 彼の手元には、貢がれた強いカードが集まり、彼の富は雪だるま式に膨れ上がっていく。


 対する白井紫影は、悲惨の一語に尽きた。

 彼は、常に**「大貧民」**の泥沼にあえいでいた。

 配られる手札は、くずのような数字ばかり。まれに入ってくる絵札も、即座に税金として寺石に徴収される。

 「なぜだ……! なぜ、私の手元には、3と4と5しか来ないのだッ!」

 白井の悲痛な叫びが、深夜の客室に響く。


 「紫影よ。」

 寺石は、軍用マント(寝巻きの上から羽織っている)を翻し、王者の風格で白井を見下ろした。

 「これが資本の論理だ。富める者はますます富み、貧しき者はそのわずかな所有物さえも奪われる。貴様の敗北は、カード運ではない。**構造的な必然システム**なのだよ。」


 白井は、畳の上に突っ伏した。

 武術の達人であり、漢文の秀才である彼も、この理不尽な階級社会の前では、無力なプロレタリアート(労働者階級)に過ぎなかった。

 隣で見ていたマスターKが、スケッチブックに「王冠を被った寺石」と「鎖に繋がれた白井」の絵を描き添える。


 修学旅行の夜は更けていく。

 終わらない大富豪の連鎖は、彼らがやがて直面するであろう社会の厳しさを、残酷なまでに予言していたのかもしれない。

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