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私はバウム伯爵さまの言葉に、目を瞬かせるしか出来ませんでした。
そりゃそうでしょうよ。親しくもない、恋人の父親っていうだけの人物から呼び出されていきなり『謝罪がしたい』とか言われても驚くしかないでしょう。
(まあ、そりゃ……お叱りとかそういうのじゃなくて良かったって言えばそうだけど)
だけれど、謝罪されるいわれがない……こともなかった!
それってやっぱりクレドリタス夫人の件ですかね……!!
「……謝罪でございますか」
「そうだ。……まあ、想像はできるだろうが、ライラ・クレドリタスの件について謝罪させてほしい。あれを自由にさせたが故に息子を傷つけてしまい、そしてその後も改善することなく……貴女にまで暴言を吐いたと妻から聞いた」
「……」
正確にはバウム家を大事にしすぎてプリメラさまを軽視するような発言をしたんですけどね。
バウム夫人がどのようにあの時のことを説明なさったかまでは私も知りませんし、知りたいと思いません。
ただあの時のことは、バウム夫人が責任を持って対処するとお約束してくださったので、私としてはそれで良いと判断したまでです。
だから今更謝罪されても……とは思うんですよ。ええ。
本当に今更ですし。
(とはいえ、なあ)
ここで立場が上であるバウム伯爵さまの謝罪を『必要ないです』とか言うのも失礼ですし、そうなるとお立場やメンツってもんがですね……。
かといって謝罪を『受け容れます』っていうのも恋人の父親だしなあというこの葛藤!
「バウム伯爵さま。お気にかけてくださったこと、ありがとうございます」
「うむ……彼女に関してだが」
「しかし、バウム夫人がその際クレドリタス夫人を叱責し、そのことについては責任を持って対処してくださるとお約束してくださいました。そして、実行されたことも伺っております」
伯爵さまが言葉を続ける前にかぶせる!
これはこれで失礼なことではありますが、こんな力業でも必要な時はやるんです。やらねばならぬ、時がある……今がまさにそうです!!
「私に対し、夫人がきちんと対処してくださった。ならば信頼には信頼をもって、このことは不問とし、私はそれ以上を求めることはございません。ただ、お気遣いいただいたことに感謝を」
私はバウム伯爵さまを真っ直ぐに見据えてにこりと笑みを作って見せてから、深めにお辞儀をしてみせました。座りながらこのお辞儀はちょっと体勢的に苦しいですが、ぐっと我慢だ私。
どうだ、これで余計な謝罪をもう口に出来ないでしょう!
バウム伯爵夫人が対処すると約束し、私はそれを受けて対処してくださるならばそれでいいと言ったのです。そしてクレドリタス夫人は遠ざけられた。
伯爵夫人がバウム伯爵さまの代理でもあるのですから、これ以上の謝罪は必要ないのです。
ここで謝罪をしてもらうと、なんというか……余剰分、こちらもなにかしなきゃいけないみたいじゃないですか。
私からして見ると確かに不快な出来事ではありましたが、だからといって根に持つようなことでもないのですし、今更掘り返してもしょうがない話でもありますからね!
バウム伯爵さまからすると格下の小娘相手に謝罪しようと心に決めていた分、肩すかしを食らったようなお気持ちになるかもしれませんが……まあそのくらいは呑み込んでいただけることでしょう。
お辞儀をしっぱなしなのでバウム伯爵さまの表情は見えませんが、お怒りのご様子はありません。
少しの沈黙はありましたが、すぐに大きめのため息が聞こえました。
「……噂に違わず、聡明で気遣いのできる女性だな」
「恐れ入ります」
「私の体面についてだけではなく、妻の名誉も守ってくれたこと、感謝しよう」
「……勿体ないお言葉にございます」
バウム夫人が責任を持って対処した後に、加えて謝罪を私が求めたならともかくそうでないならやっぱりね、失礼ですもんね。
「では、……バウム伯爵としてではなく、一人の男として感謝を述べよう」
「えっ?」
「……息子を掬い上げてくれたことを、感謝する。そして、それを機に彼女をようやく決別のため歩ませることが出来た。ライラと、私と、双方の救いとなってくれた」
「……え?」
何を仰っているか一ミリも理解出来ないんですけれど、それはどうしたらよろしいでしょうか!?
なんか勝手に色々感謝されているんですが……その事実に私はどうして良いかわからず、言葉が上手く出てきません。
それをどう受け止められたのか、バウム伯爵さまはどこか安心したような表情を浮かべておいででした。
「……ライラの出自については、妻が話したと聞く。あれが不憫で、私のような男に想いを寄せてくれたことに感謝しつつも知らぬ振りをするのが彼女のためになると思った。……そして、私の友人と幸せになってくれて、良かったと思ったのだ。心の底から」
クレドリタス家は古くからバウム家に仕える家系でしたね。
その言葉から、流行病で亡くなったというクレドリタス家の当主はバウム伯爵さまにとって、信頼出来る部下であり友人でもあったのでしょう。
……いやまあ、うん、それはいいんですけども。
「だから、彼女が全てを失って壊れていくことが恐ろしかった。だがそれは言い訳にしか過ぎないのだろうな」
バウム伯爵さまが何故か私に心情をお聞かせくださいましたが、それを受け止めるにはこちらの覚悟ってもんがなに一つ準備出来てなかったんですけど!?
……大切な人を失って、壊れかけた女性を代わりに愛した。
なんてことは美談のようで、そうではないことはバウム伯爵さまも良く理解しておいでなのでしょう。
ただ、私はその先を……事実として聞いたこととして、ライラさんを妻に迎えようとして断られたとかそういうことも知ってしまっているので、なんとも言えませんでした。
文句も、同情も、なにも。
「それでも、もし、私が何かを言うことをお許しくださるならば……」
「なんだろうか」
「それらのお言葉は、私ではなくご子息に告げるべきことと思います」
「……息子には、ある程度のことは、話した。その上で、あれは受け止め、理解し、……そして、話してくれてありがとう……そう言ってきた」
話してくれてありがとう。
アルダールが、バウム伯爵さまにそう言ったのかと思うと、私はなんとも不思議な気持ちで満たされました。
それはなんというか、誇らしいという言葉が近いような、それとも違うような、そんな気持ちでした。
吹っ切れた、そうアルダールも言っていましたが、バウム伯爵さまから改めてその話を伺って本当に……どこまでも彼は、真っ直ぐに受け止めたのだなあと思うと、なんか……こう、なんかこうね!?
「ああやって、息子と面と向かうことができたのも、貴女がいてくれたからであろうな」
「そ、そう……で、しょうか」
「うむ。これからしばらくは色々と二人とも大変であろうが、貴女がいてくれるならばアルダールも乗り越えられるだろう」
「え?」
なんだ、色々大変だろうって。
私たち二人に何があるって?
バウム伯爵さまは満足そうに頷いていますが、私の頭には疑問符がいっぱいです。
「あの、それってどういう……」
「あいつもウィナー嬢との面会を終えて、今後についても覚悟が決まったからな」
問おうとしたその瞬間、バウム伯爵さまからよくわからない言葉が聞こえました。
誰と、誰が面会?
ウィナー嬢、って、それは……ミュリエッタさん、ですよね。
じゃあ、誰が?
話の流れからして、アルダールが。
「……え?」




