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なんだか色々心臓が強くなったような色々だめだったような気がしないでもない時間でしたが、アルダールはこの後用事があるとかで……いやうん、寂しくなんてないですよ?
思わずアルダールの手を掴んで「行かないで」とか言いそうになったことは秘密です。
……バレている気がしないでもないけど。
「……行きたくないな」
「な、なにがですか!」
「私がもう少しユリアといたいなってだけの話だよ」
私の行動から離れがたくなっているのは私だとわかっているくせに、自分がって言ってくれるアルダールのこの包容力よ……そういうところ! そういうところが世の女性たちを惹きつけて止まないんだから気を付けて!!
でもとても大切な用事らしく、アルダールはちょっと不満そうな顔を見せてからテーブルの上に置いた私の装飾眼鏡を手渡してくれました。
「……ユリア、ユリアが私のためになにかしたいと言ってくれる気持ちは、とても嬉しかった」
「え、ええ」
「私も同じ気持ちだよ」
甘ったるいだけじゃなくて、真面目な顔できっぱりと言われれば……まあやっぱり嬉しいですよね。
大したことができない自分というのも情けないですが、それでも気持ちが通じたのならばとりあえずよしです。できることはこれから増やす方向で。
そう、ポジティブにいかなきゃね。私は幼い頃からこれと言って突出した能力がなかった分努力でカバーしてきたんですから、きっとなにか良いものが見つかります。そう考えて頑張るしかありません。
頑張りすぎては周囲を心配させてしまうし、最近では自分が甘え下手であるということを理解もしました。だからこそ、周囲に頼ることだって大切だということも再確認できたわけですし……。
「だから」
「え?」
「私も、私の立場上まだきみに言えないことがある。ユリアが理解してくれることに甘えてばかりだけれど、それでも何かあったら頼ってくれるかい?」
「……ええ、勿論」
そりゃね、近衛騎士隊ともなれば言えないことの方が多いと思う。
お付き合いを始める時にはお互い公務もあるし、その時はちゃんと仕事に対してきちんとするって話をしたものね。
話してくれないから不安、教えてくれないから不安……そんなことは言いませんよ!
(いやまあ私も言えなかったりするから、ただのオアイコだと思いますけどね)
でも改めて言ってくれたのは、私の言葉にきちんと向き合って対応してくれたのだと思えば嬉しいものですよね。
仕事をする私を認めてくれて、色々と複雑な感じになったりもしましたけどアルダール自身はいつだって私に対して真摯に向き合ってくれていると思います。
「貴族の子供だとか、剣聖だとか、面倒だと思うことばっかりだけれどね」
ぽつりとため息と一緒に零された言葉に、ちょっとだけドキッとしてしまったのは私が【ゲーム】を知っているからなのか、ミュリエッタさんから聞いてしまった話のせいなのか。
だとしたらこれからある“用事”っていうのも?
先程までとは違った意味でのドキドキとした胸の鼓動が、動揺が顔に出ないように引き締めた所でアルダールが笑いました。
「まあ、ユリアの隣に立てるならありがたいか」
「ど、どういうこと、です?」
「いや。……ユリアは子爵令嬢だし、こうして王宮の奥にいるからディーンのことがなかったらこうして深い仲になることもなかったのかもなあ……なんてふと思ってしまっただけだよ」
「……そうですね」
言われてみれば、ゲームとは違う成長をしたプリメラさまをディーン・デインさまが見初めなかったら私とアルダールはほぼ接点がないんでした。
そうやって考えると不思議なものですよねえ。
「プリメラさまがお見合いなさらなかったら、どうなっていたのかしら……」
「さあ。王女殿下には他の婚約者候補が現れて、ユリアは変わらず侍女をしているんじゃないかな?」
「あら、そこで私に別の出会いがあるとは言わないんですね」
嫌味ではなく。
私だってそれなりの年齢ですし、プリメラさまが社交的に出られるようになればより注目されてそのお気に入り侍女は便利そうだからって声をかけてくる人がいないとは思わないですよ。
なんせ一般的には行き遅れ、チョロいもんだろと思われていてもおかしくありませんからね……まあ実際はチョロくなんてありませんけどね!
……ないよね?
「他の男になんてやってたまるか」
ちょっとアンニュイな気持ちに一瞬なったのを吹き飛ばすほどに地を這う低い声がアルダールから聞こえて思わず肩が跳ねましたけれど、何か。
えっ、今のアルダールから出た声ですよね間違いないですよね! ちょっと聞いた覚えもないくらい怖かったので、恐る恐る彼の方を見ればいつものように優しく笑ってましたよ。
目は、笑ってませんでした。
「もしもの話をしたのは私だけれど」
「は、はいぃ……」
「そういう言葉はいただけないな?」
「ご、ごめんなさい!!」
私悪くないじゃんってちらっと思わなくもないですが、謝りました。
嫌味とかじゃなかったんですよ、本当にそういう未来もありえたんだなあっていうだけの話でね? そんなにね、怒るなんてね? 思わないでしょ!?
「……ごめん、謝らせたいわけじゃなかったんだ」
「い、いえ」
ああうん、嫉妬深いとかそう言われているんだからその辺りは気を付けるべきってことですね? まあ……大丈夫でしょう。
「今こうして一緒にいるのは、アルダールですから。私にとっても仮定の話は意味がありませんしね!」
「……」
「アルダール?」
「……本当にきみは私に甘すぎないかなあって思うよ。いや嬉しいんだけどね」
困ったように、それでも嬉しそうに笑ったアルダールがなんだか今は大型犬みたいに見えたのは内緒ですよ! やはりディーン・デインさまとはご兄弟だなあなんて思ったなんて知られた日にはまたお説教でしょうからね……。
「さて、名残惜しいけれど本当にそろそろ行かなくちゃ」
「あ、ごめんなさいお引止めしてしまったみたいで……」
「いや。……できるだけ早く済ませてくるから、夕食も一緒にどうかな」
「えっ、いいんですか!?」
「ああ。用事といってもハンスの件でレムレッド侯爵さまに呼ばれているだけだからね、大して時間はかからないと思うんだ」
「まあ、ハンス・エドワルドさまに何か?」
「ちょっと職務上のことでね」
にこりとそれ以上は答えないアルダールに、言えない話なんだと私も頷いて部屋の外までお見送りしました。
あれっ、なんだかこれって新婚夫婦みたいだなと思ってちょっとどきっとしちゃいましたよ。
何べんドキッとしてるんでしょう、私の心臓は寿命数年分の働きとかしてないかここのところ心配でなりません。
もうすぐ城内で健康診断もあるから気を付けないと。
健康第一でお仕事頑張りましょうって常々みんなに言っている私が不健康と言われては面目丸つぶれ!
「それじゃあ、行ってくるよ。終わったら迎えに来るから……部屋にいてくれると嬉しいな」
「はい、わかりました」
気をつけて行ってらっしゃいとか本当に夫を見送る妻みたいなセリフが口から出そうになりましたが、侯爵さまにお会いするだけで気を付けても変だなと思った私はただ笑顔でアルダールを見送るのでした。
勿論、……お察しかと思いますが。
新婚ですかそうですか、私にもそんな憧れがなかったなんて言いませんけどええ一応お付き合いしていてなかなかにラブラブだと思っているからついそんな想像しちゃったんであってでもちょっと待って良い年齢した大人が何やっちゃってんの、と。
アルダールが去った後に自室をしっかり施錠した後のたうち回ったのは、最大の秘密です。




