第18章 ゆめぢから(3)
映画『君とつながっていた』は異常とも思える道筋をたどっていった。
まだ撮影完了前から、話題が沸騰する。
そんな例は昭和30年代の日本映画全盛のころにも稀だった。
ヒロにインタビューしていたあの映画雑誌記者は、自社の雑誌にそのあたりのことをコラムに書いた。
タイトルは「夢の力」という意味で、「ゆめぢから」となり、読者への手紙といったスタイルを取っている。
【ゆめぢから】
拝啓。
新作映画『君とつながっていた』の「力」について書きます。
そもそも始めからこの映画は不思議な運命を持って誕生しました。
あるひとりの女性が、みずからの生い立ちを綴ります。彼女が生まれてはじめて書いた脚本でした。
描かれるのは、決して順風の人生ではない。
けれども、「人生の底ぢから」というべきか、いや「ゆめぢから」と呼んだほうがよいでしょう、そんな力がみなぎっていて、人の心を引きつけました。
現代の奇跡といっても大げさではないほど、トントン拍子に事が運んで、映画化の実現となりました。
さあ、そこからです。
この作品の中でとても重要な意味を持つ役に、韓国男優・李芝河が起用されたのは、ご承知のとおり。そして、この脚本の作者・星野ヒロと李芝河の仰天するような縁についても、すでに報じたとおりです。
仰天、あるいは運命はそこで終わりではなかったのです。
はじめ、この作品の主人公「ヒロ」役は、某女優が候補として挙がっていました。
某、と名を伏せるのは、彼女の名誉のためです。
じつはクランクイン前の製作発表会の席でも、この配役は伏せたままでした。というのは、篠崎忠介監督が迷っていたからです。
ぎりぎりまで迷った篠崎監督は、ようやく踏ん切りがついて、その某女優でスタートしました。
ところが、ほぼ半分まで撮影スケジュールが進んだころになって篠崎監督は、
「どうしてもこのまま前へ進めない」
と重大な心境をもらしたのです。
周囲はあわてました。
原因がわかりました。
撮影が進めば進むほど、ヒロが薄れていく。つまり、脚本の中にあった実在感が消えていくということだったのです。
某女優は、憤慨も失望もしませんでした。
というのは、
「じつは監督、わたしもずっとそれを思っていたのです」
と打ち明けたのです。
彼女は、どうあがいてみても、このヒロを捉えきれない、と言うのです。捉えたと思えば、つるりと逃げてしまう。
軽くしようと思えば重くなり、重厚にしようとすれば薄っぺらくなる。どうにもならず悩んでいたというのです。
映画会社、全スタッフの話し合いで、決断が下されました。
異例中の異例、撮影の半分が終わった時点で、主人公の降板。
しかし、現場は冷静でした。
篠崎監督の中には、考えがあったのです。
そしてそれは、事実上のプロデューサーともいえる、この脚本の映画化を推し進めた千堂卓也とも意見の一致を見たのです。
すなわち、
「ヒロ役は作者本人に」
でした。
脚本を書いた星野ヒロが、脚本家としてのデビューだけでなく、みずからの作品の中の主役として女優としてもデビューすることになったのです。
撮影は、一からやりなおしとなりました。
しかし、これも異例ですが、摩擦がいっさいありませんでした。
あるべき姿になったという安定感がスタッフやキャストの中に満たされていたからです。
星野ヒロの演技は、不思議でした。
うまいか、へたかではありません。そんなのはただの批評です。
水が砂に吸い込まれていくように、かぎりなく素直で、かぎりなく切なく、かぎりなく可笑しくて、かぎりなく強い。
そういう味わいでした。
映画『君とつながっていた』の撮影は、新人脚本家であり新人女優である星野ヒロの「生まれたままの求心力」によってずんずん進んでいくことになります。
撮影中、星野ヒロの中に、ある感慨が生まれました。
それは進むにつれて増幅します。
くりかえしますが、この作品は星野ヒロ自身の生い立ちを描いたものです。それを、星野ヒロ自身が演じていくのです。
当然のことながら、演じれば演じるほど、星野ヒロはみずからの過去へ過去へとさかのぼっていきます。
これまで自分に関わってきた人びと。
育んでくれた人。
分岐点に立ったとき、道を示してくれた人。
数え上げればきりがない。
人間は、そうやって自分の歩んできた道を振り返ると、「もし」の渦中に入っていきます。
「もし、あのとき、あの出会いがなかったら」
「もし、あのとき、ああしなかったら」
「もし、あのとき、ああしていたら」
「もし……」
「もし……」
これが、「もしもし現象」です。
渦巻くように、それは過去の時間の中に切り込んでいきます。
そしてそれは、ついには、
「もし、わたしがこの世に生まれなかったら……」
となり、さらに、
「もし、この地球という星が誕生しなかったら……」
とまで進んでいく力となります。
ひとが、みずからの過去を振り返るということは、そうした力に身を委ねることでもあるのです。
主役の星野ヒロの胸中に渦巻きはじめたその力は、星野ヒロ一人の中におさまってはいませんでした。
撮影現場で、それは結果として現われたのです。
はじめはロケ見物している人たちのあいだに起きました。
見物を終えて帰った人の多くが変化し始めたのです。
どう変わったか。
さまざまな変わり方がありましたが、集約するとこうです。
だれもがお金や出世や名誉にすっかり執着をなくしてしまう。
「自分の短い人生にとって、夢ってなんだろう」
そのことを必死に考えるからです。
これは、「もしもし現象」のあたらしい側面と呼ぶべきでしょう。
そのうち影響は見物客だけではなくなりました。
スタッフもキャストも監督も、渦巻くように「夢」について思いをはせるようになりました。
それはまるで、撮影というよりもひとつの大きな精神運動のようでもありました。この映画は、作品の評論というレベルを超えて、一種の社会現象のように完成前からセンセーションを起こす結果となりました。
なにが、そうさせたか。
いま、だれもきちんと分析することはできません。
ただひとつ言えるとしたら、ゆめぢから。
そう考えるほかないということをお伝えして筆をおきます。
敬具