第18章 ゆめぢから(4)
記者のそのコラムは、なかなか核心をついていた。
ゆめぢから。彼がそう名づけたパワーは、撮影が終盤に差しかかるにつれて、いっそう充実した。
モノが自然発火するように、映画が完成すると同時にセンセーションは最高潮に達した。
全国一斉封切となる。
どこも、前売り券が即日完売だ。配給会社が大きな予算を投じて独自にプロモーションをやっても、こうはいかない。コラム『ゆめぢから』を書いた記者が言うように、言葉にならないマグマが発生しているとしか思えなかった。
銀座の老舗映画館、アンドロメダ座も一席の余地もない満員で初日を迎えた。
映画は、前評判を裏切ることはなかった。
なによりも、映像全体を覆い尽くす詩情が秀逸だった。
その詩情の中で、新人女優であり脚本の作者でもある星野ヒロの演技はしなやかに弾んでいる。みずみずしいのだ。
このアンドロメダ座に星野ヒロはいなかったが、もし立ち会っていたら、思わず声を洩らしただろう。
父がいる、母がいる、5人の兄姉がいる。
男の哀しみのようなものを初めて教わったバー『Forest』のマスター透さんがいる。
ヒロが初めてのCDを出したとき応援してくれたマッちゃんがいる。
ヒロが初めて持った自分の店『アトランティス』のスタッフたちがいる。
ヒロの視界を大きく広げてくれた宮古島の吉野さんもいる。
ああ、なんと、傷つけ合いボロボロになって別れた中国人料理師のチャンもいる。
だれもが、映像を食い入るように見ている。
いつくかの美しいシーンは重ねられたが、その絶頂ともいうべきものが、星野ヒロと李芝河とのラブシーンだ。
それはユニークなラブシーンだった。
二人は、抱擁しない。くちびるも合わせない。それどころか、手を握り合うこともしない。二人のからだは、いっさい触れ合っていないのだ。それには、理由がある。
李芝河の演じる青年は、この世の実在ではない。
加茂原瞬という少年がいた。バイクごと崖から落ち、若いいのちを終えた少年。ヒロが「カモ」と呼び、ヒロのその後の人生をずっと左右してきた少年。それほど強い存在なのに、ふたたび会うことのかなわない少年。
李芝河は、その「カモ」の化身として現われた青年なのだ。現実と非現実のあいだに存在する化身。
だから二人のラブシーンには、からだという実在がないのだ。
しかし、観客は固唾をのんだ。
北欧の霧に包まれたかのような二人。
深海にたゆたうような二人。
二人はからだのどの部分も触れていないのに、これほどの官能はなかった。これほどの濃密はなかった。
「ぼくは蝶だ」
と李芝河がつぶやく。
それが、中国の戦国時代の思想家・荘子の故事であることは、そのシーンの直前で観客にさりげなく伝えられてある。
故事とは、「胡蝶の夢」というもので、ある男が、自分が蝶になった夢を見る。夢から覚めた彼は、自分がさっきまで夢で蝶になっていたのか、それともいま、蝶が夢の中で自分になっているのか、どちらなのか、まったくわからなくなった、という話だ。
李芝河のそうしたつぶやきに、星野ヒロがほほえむ。
「ええ、わたしも蝶」
2匹の蝶が、人間の夢を見て浮遊している。
抑えに抑えたピアノの旋律が、二人に寄り添う。
老舗映画館アンドロメダ座の観客は、呼吸も忘れて映像に引き込まれている。いわば、観客もすべて「蝶」になってしまったかのようだ。スクリーンが現実なのか、現実がスクリーンなのか、幻惑されている。というよりも、もう、そんなことはどちらでもよくなっている。
父母も兄姉も、元『Forest』のマスター透さんも、マッちゃんも、元『アトランティス』のスタッフたちも、宮古島の吉野さんも、中国人のチャンも、みんなスクリーンと同化している。
おや……?
もし、ここに星野ヒロがいたら、彼に気づいただろうか。アンドロメダ座の観客席の最後列、いちばん左端に座って映画を観賞している彼に……。
高校生だ。
二重の目元がすずしく、口元は強い意志を示すようにキュッとしまり、鼻筋はりりしく通っている。
彼は、机の引き出しの奥の奥にかくれていた、とっておきの宝物を見るように、映像の中の星野ヒロを追っている。
身動きひとつしない。
――ずっと、つながっていたんだ……
そんなことを考えている。
暗闇だったから、ほかの観客には見えなかったが、ひとすじ、銀の糸のような涙が彼の頬を伝わっている。
ピアノの旋律は天空に昇りつめるように響いている。
そのとき、スクリーンの星野ヒロが秋の陽のようにほほえんで、その観客席の高校生に、そっと声をかけた。
「おかえり、カモ」
ご愛読ありがとうございました。とりあえずこれで完結です。ようやくここまでたどり着きました。何度も途中で挫折しそうになりましたが、こんな私の文章でも毎回楽しみにしていただいている方が多く、その方達の励ましの声で何とか書き上げることができました。ありがとうございます。
この物語は私の体験を基にしてはいますが、あくまでもフィクションなので、自分の人生をそのままなぞったものではありません。おわかりだと思いますが、特に最後の方はかなり私の妄想が入っています(笑)。今の夢はこの小説のラストを実現することです。子供じみた夢だと笑い飛ばされそうですが、今まで私はこうした夢を生きる糧としてしてきました。もちろん、叶わぬ夢の方が多かったのですが、夢の実現に向かって努力する過程で得たものもまた多かったと思います。
とりあえずは、この小説を書籍にしたいと考えています。夢実現への一歩として、いろいろ頑張るつもりです。
最後にあらためて、ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。
あなたの夢もきっと叶いますように──




